消去法に近い形で選別し、殺す標的としたアカウントの名前はカナデとなっていた。中性的で性別が分からないが、一人称が俺のため男だろうと安直に判断する。

 カナデという名前も、彼のゴミ箱というあまりにも適当すぎる名前同様偽名の可能性があるが、殺すにあたってそこは取るに足らないことである。寧ろ本名などはあやふやな方がいい。互いのことを詮索し、詳しく知り合う必要はない。

 自らの手で存分に人を殺せるのなら、どこの誰でも良かった。相手がどんな人物であろうとも。殺せたらいいのだ。男だろうが女だろうが、殺せたらいいのだ。

 彼が自殺志願者を狙っているのは、単純に殺しやすそうだからだ。死を切望している人間を殺すのは、生きようとしている人間を殺すよりも楽なのではないかと彼は思っている。人を殺すことは好きだが、未だ嘗て活力に溢れた人間を殺したことはないため、楽なのではないか、という推量でしか言い表せられなかった。

 死を求めている人間は楽に殺せそう。死を求めている人間は手が掛からなさそう。死を求めている人間は死を求めているのだから殺してもよさそう。殺すことで自分の欲求が満たされる上に、殺されることで相手も絶望しかないこの世から消えることができる。双方が幸福になれる。生かすよりも殺す方がいいこともあるのだ。生かす役割があるのなら、殺す役割があったっていいのではないか。殺し屋という職業があるくらいなのだから。

 早く殺したい。殺してしまいたい。カナデは長話などせずさっさと殺させてくれるだろうか。家に上がってすぐに、そうさせてくれるだろうか。

 カナデはどのように殺されることを望むだろう。望みがなければどんな風に殺してやろう。絞殺は連続になる。ひとまずその方法以外で殺すのがいい。