薔薇の花言葉 [サファイア・ラグーン2作目]

 その後の僕達は新しい結界へ戻り、僕はモカにも話した今後の自分の身の振り方を、カミルおばさんとティアに打ち明けた。ティアは少し淋しそうな顔をしたが、時間を掛けずに納得したのは、彼女自身もまたシレーネになるべく、励む必要があると認識したからに違いない。「明日もまた来るよ」と告げて帰ろうとする僕に、ティアは自分の鱗を一枚剥ぎ取って手渡した。今まで消極的だった彼女にしては珍しく、皆の前で大胆にも僕の頬に口づけて、しばしの別れの挨拶をした。

 約束通り翌日にもお邪魔をしたのは、新しい世界を隅々まで見回り確認しておく必要があると思われたからだ。侍女達の手も借りて偵察したが、特に損傷は見当たらず、ひとまずは大丈夫だろうということで落ち着いた。

 只一つ、今回の大改革で活躍した五人の中で、カミルおばさんの消耗は激しく、僕達が見回っている間も休んでもらったが、そのまま再び深い眠りについてしまった。やっと今までの体調を取り戻して覚醒したのはそれから三日後。ついに僕の夏休みも終わりを告げようとしていたので、二人がアネモス公を訪ねる間にティアを守るという約束は果たせなかったが、何日もの時を二人きりで過ごすなんて、さすがに戸惑わずにはいられないかもしれない。「残念だったわね」とモカは意地悪な瞳で笑ったが、僕は内心少しホッとしていたりもした。

 テラばば様の死の真相を打ち明けて、ジョル爺・カミルおばさん・母さんに形見の鱗を手渡せたのは、それから数日経ってのことだった。あの岩場の島に集まって、鱗を手にしながら本当の理由を知った三人と父さんは、一瞬驚きの表情を見せたが、それは次第に穏やかな微笑みへと変わった。

 「母様らしいわ」──カミルおばさんの呟きに一層眼を細めて笑ったジョル爺は、本当に嬉しそうに鱗を見つめて、そして優しく指先でいつまでもそれを撫でていた。



 ──それから一年半。

 一九〇四年二月十二日──今日はティアの十六歳の誕生日。

 人魚の成人を迎え、外界を自由に行き来出来る許可を得る日でもあり、そして……ティアがシレーネとして、神に次ぐ者となる日だ──。



「ジョエル? そろそろジョルジョ父様が港に着く頃よ。先に行っていてちょうだい」

 地中海と生まれ育った家を交互に眺めながら、これまでの軌跡を辿(たど)っていた僕は、壁の向こうから顔を出した母さんに呼びかけられて、ちょっと面を食らった。

「先にって……母さん達は?」
「もちろん行くわよ! 父様独りで待たせているのも悪いから……今日に限って髪がまとまらないのよ~支度が出来たら父さんと追いかけるから、父様と一緒に船で待っていてくれる?」

 焦った表情の母さんは、緩い巻き毛の金色の髪と時間を気にしながら駆けていってしまった。どうせ船に乗ったら海風で崩れちゃうのに……そういうところ、今でもちゃんと女性なんだな。

 僕は苦笑しながら裏口より家に戻り、キッチンでカップを片付けて、上着を取りに自室の扉を開けた。綺麗に整えられた部屋。おそらく二度と戻ってくることはない──今日、僕は人魚の身体を手に入れるのだから──。

「それじゃ、父さん、母さん、先に行くよー」

 エントランスの扉を開きながら、リビングにいるであろう二人に声をかける。なのに視界に入れた正面には、門扉の手前に両親が立っていた。

「え……?」
「やっぱり父さんの船で後から行くわ……泣いちゃいそうだから」

 そう言って笑った母さんは、もう少し涙ぐんでいた。
 そんな顔されたら、僕だって泣いてしまいそうだ。

「ジョエル……これを」

 それでも懸命に笑顔を保つ母さんの肩を、父さんは優しく叩いて、目の前に歩み寄る僕に、何かを握り締めた左手を差し出した。

 ──父さんの父親のカケラ──懐中時計。

「え……そんな大切な物っ……」
「これにはアーラ様の魔法が掛けられているから、海の中でもちゃんと時を刻んでくれる。これから海に住むお前にあげられる物なんてそうないんだ……持っていきなさい」
「……ありがとう、父さん」

 僕は今でも美しく銀色に光るその時計を受け取った。金属なのに温かい──父さんは随分長い間これを握り締めていたのかもしれない。

「晴れの門出にこんな顔してちゃ駄目ね! はい、お約束の花束。ティアラを大切にするのよ」

 母さんは先に僕を抱き締めてキスをし、そして後ろに立て掛けておいた大きな薔薇の花束を手渡した。これ、モカとトロールに贈った倍はありそうだ。

「ありがとう、母さん。……実を言うと、結構自信はあるんだ──何せ、父さんと母さんの息子だから、ね」

 僕は花束を受け取りながら、にっこり笑ってウィンクをした。途端顔を見合わせる二人。そうさ、人間と人魚という種族の枠も、陸と海という世界の違いも乗り越えて、愛し合った二人の子供なのだから、僕という存在が一途にティアを愛せない訳がない。

「それじゃ、行くよ。出来るだけ早く来てよ? 愛する息子の結婚式なんだから!」

 そう……今日はティアの誕生日・成人式・就任式、更に僕の人魚となる日に加えて、シレーネの補佐就任と、そして僕達の結婚式! 盛り沢山な一日なのだ。

 丘を下って港を目指す僕が抱えるのは、淡いピンクの薔薇の花束。こんな寒い冬でも、温室で育てられた特別な美しい薔薇。今回はどんなに注目されても、気恥ずかしさなど微塵も感じない。

 走る僕を気品に満ち溢れた甘い香りが包み込んでいた。ジョル爺の待つ船へ、住み()となる地中海へ、そして愛しいティアラの(もと)へ。



 『我が心、君のみぞ知──』らなかった、『美しい少女』の許へ──。










      = Essere Continuato =






◇シリーズ二作目の読了誠に有難うございました!

 本作は前作主人公「ルーラとアメルの子供って男の子よね?」と思ったことから端を発し出来上がった作品でございますが、お陰様でサファイア・ラグーンの秘密や結界の返却など、幾つか残された伏線を回収することが出来ました。

 ですがまた新たに生まれ、回収されなかった伏線が存在することにお気付きかと思われます。
 そちらは完結編となります三作目にて気持ちスッキリさせていただきますので、お手数ですがまたお付き合いくださいませ*

 前作同様、終章途中やその後のエピソードを数点集めました『短編集』、金髪と銀髪の人魚の特殊な力を宿した所以に関する『スピンオフ』が数章控えておりますので、『完結編』の前にそちらをどうぞお楽しみください☆
 さて、三作目の主人公が誰になりますか・・・皆様の予想を裏切ることが出来ましたら幸いでございます(笑)

 この度も温かな感想に高評価、本当に有難うございました!! そしてこれからもどうぞ宜しくお願い致します♡