薔薇の花言葉 [サファイア・ラグーン2作目]

 僕は意を決してティアを見、次にアーラ様を真っ直ぐ見た。そして──。

「質問があって参りました。人魚と人間の狭間の子であるこの僕を……アーラ様は、人魚に変えられますか?」
「ジョエルっ!?」

 左隣のティアが驚きの声と共に立ち上がった。右隣のモカも言葉を失って、僕の横顔を覗き込んでいる。

「何を……言っているの……?」

 ティアのテーブルに置かれた拳が震えていた。ゆっくりと彼女を見上げる。本気であることを告げるために、穏やかな微笑を(たた)えてみせたが、ティアの瞳はそれを理解出来るほどの冷静さを持ち得ていなかった。

「そんなこと……駄目よ! 絶対に駄目!!」
「何故……?」

 左手で彼女の手の甲を優しく包み込む。きっと反対されるとは思っていたが、まさかこんなに拒絶されるとは──。

「だって……!」
「ティアラ」

 そんなやり取りを止めたのはアーラ様だった。アーラ様の表情には特に変わりはなかった。口調に怒りの色もなく、しかしティアは自身の心の乱れを反省したように謝罪し席に着いた。

「ジョエル、質問の内容は了解した。が、結論は後に回そう。最後にティアラ、そなたが此処へ来た目的は何じゃ?」

 今度は僕とモカがティアを見つめる番だった。いや、モカはその答えを知っているのだろう。ティアは僕の方を見ることなく、そして僕と同じように意を決した表情でアーラ様を見た。

「私は……私は、質問ではなく、お願いがあって参りました。私を……人間にしてください!」
「ティア……」

 どうしてなんだろう? ──伝えた言葉を噛み締めるように、彼女の口元は引き締まって、そして僕へ振り向こうとはしなかった。成人まであと一年半。それまで待っても僕は卒業して間もなくの頃なのに、ティアは何を焦っているの?

「内容は了解した。が、二人の言うことをどちらも叶えたら意味がないのじゃろ?」

 アーラ様は言い終えた後、上の砂浜でそうしたように愛情のある含み笑いをした。僕達の事情を理解されているに違いない。

「まぁ、未だ時間は有る。二人もアモールと共に魔法を習いなさい。結論はその後じゃ。長くてあと六日……その間に二人の願いが決まれば告げなさい」

 更に同じく宙に浮かんで僕達の頭上を通り越し、振り向いてにんまりとしたが、その直前モカをじっと見つめたアーラ様の真意は分からなかった。そしてそれに気付いたモカも……まるで心の中でやり取りしたように、一瞬二人だけの時が流れていた。

「さて……三人の部屋を造るかの?」

 その言葉に僕達も立ち上がって、アーラ様の(もと)へ集まった。向かって左から鮮やかなオレンジ、淡いブルーグリーン、そして右端にペールピンクの扉を出現させ、それぞれ真正面に立つ僕達の部屋だと説明を受けた。

「わー……綺麗な白砂……」

 オレンジ色の扉を開いたモカは、室内の美しい砂地と其処から繁る豊富な海藻に瞳を輝かせた。逆隣のティアの部屋も同様で、彼女もその様子から察するに気に入ったようだ。



 さて……すると僕の部屋は?

 ノブを回して手前に引いた中身は、懐かしい……いや全く新鮮味のない景色が目に入った。これって四日前に出てきた時のままの自分の部屋なんじゃないのか?

「ジルのは? 人間の家と同じなの? 見せて見せて」

 扉と僕の隙間から覗き込もうと顔を寄せたモカに、慌てて扉を閉め立ちはだかる。こんなに生活感のある空間なんて、二人に見せられる訳がない。

「アっ、アーラ様!」

 無理やり覗こうと仕掛けるモカを押さえつけながら、アーラ様へ助けを求めた。

「其処が一番快適なのかと思って複製してみたのじゃが……やれやれ。ジョエル、希望を言いなされ」

 呆然と見つめるティアの隣で、ゆらゆらと上下に浮かび傍観しているアーラ様に、

「え? えっと……あーっ、僕の部屋でなければ何処でもっ!」

 何かが思い浮かぶ前に口走っていた。扉が小刻みに震動して落ち着く。アーラ様の頷きにそっと開くと、小じんまりした家具の並ぶ、質素ながら清潔感のある部屋が其処に在った。

「アメルが幼少の頃に使っていた部屋じゃ。まぁ、辿れば今のジョエルの部屋じゃがの。また他に要望があったら変えてやろう」
「アメルおじ様の部屋……」

 僕は恐る恐る一歩踏み入ってみたが、確かに壁や床は僕の部屋と同じだった。もちろん今よりも新しく傷も少ない。僕の部屋は途中で増築しているためこれよりも明らかに広いが、確か十年位前はこんなスペースだった。

「あた……この部屋、水がないのね」

 外と同じ調子で進入したモカが、バランスを崩して倒れた。手を貸してモカを起こしている内に、扉からティアが顔を覗かせたので、逆の手で彼女を招き入れる。

「この部屋が後々ジョエルの部屋に……?」
「うん。でもその奥の壁を取り払って広げたんだ。ベッドは其処じゃなくてこっちにあるよ」
「説明するくらいなら、先刻(さっき)見せてくれれば良かったじゃない」
「ち……散らかってるんだよっ」

 モカの突っ込みをはぐらかしてみせたが、動揺は隠せなかった。散らかっている訳じゃない。今までティアから貰った綺麗な石の欠片や貝殻が、全て飾ってあるのを見られることが気恥ずかしくて(たま)らなかっただけだった。



「さて……少し休むかの? 落ち着いたらまた此処へ出てきなさい。魔法を教えよう」

 アーラ様は背後からそう言い残して、振り返った時には既に一番遠くに見える白い扉の中へ消えるところだった。

「落ち着いたらって……何時よ」
「まぁ……アーラ様のことだから、僕達が出てくれば気付くのだろ」

 僕の言葉に半分納得したモカは、「昼寝でもするわ」といつもの調子であくびをし、自分の部屋へ籠った。が、さて僕達はどうしよう?

「あの……それじゃ」

 静けさが満ちた僕の部屋で、気まずくなったようにティアが背を向けた。しかし僕はそれをすかさず止めていた。

「あ……」
「あっ、えっと……ティア、疲れていないなら、散歩でも行かない?」
「散歩?」

 そうして僕達は透明なドームより抜け出し、珊瑚礁の森を歩き出したが、彼女が自室で休みたかったとしても、その手を放せずにいた気がして、しばらくは勝手な自分を責めずにはいられなかった。

「ジョエル……?」

 あの砂浜への一本道を登りながらずっと無言の僕に、ティアは心配そうに声を掛けた。僕は歩みを止め、

「ごめん、ティア。でも……ありがとう」
「えっ?」

 薄く笑んで謝罪と感謝を表した僕に、彼女は戸惑っていた。

「いや、いいよ、分からなくて。……それより、良かったね。追い返されなくて」
「うん……でもアーラ様が呼んだなんて……それに姉さんの能力を上げただけで、私が来ることを予測出来たなんて、アーラ様は何でもお見通しなのかしら」

 前方を向いたまま疑問を口にするティアの横顔を見つめて、僕もまた思う。

 ──時と数。

 『時』は今がその時でないと言いたかったのだろうけれど、『数』とは? 一体何の数なのだろう。

 お互いに謎へと思いを巡らせている内に、あの砂浜へ辿り着いた。今でもアーラ様の魔法は効いているようで眩しくは感じない。

「ジョエル、どうするの? 私はこれ以上進めないわ」
「じゃあ、こうするだけだよ」

 僕は以前のようにティアを抱えて、海を背にして歩き出した。

「あのっ、ジョエル……疲れちゃうわ」
「全然気にならないくらい軽いから大丈夫だよ」

 彼女は心配しているというより、緊張しているようだった。『あの夜』以来、僕に触れられることに過敏になっている節がある。
 これ以上負担を掛けるのもどうかと思い、しばらく歩いたところでUターンしたが、彼女の面持ちは変わらなかった。

「ティア、これ何だか知ってる?」

 目の前に浮かぶ無数の球体。金色に光り、シャボンのようにフワフワと揺らいでいる。

「え……? ううん」

 彼女はやっと僕の顔を見た。

「昔、サファイア・ラグーンの中のことを父さん達に訊いたことがあって、これは海で亡くなった人や人魚の魂だって言っていた。此処で七日間過ごしたら天国へ行くんだって……父さんもこうして母さんを抱えて歩いたそうだよ」

 僕が歩く度に魂達が舞い上がって、まるで金色の花畑にいるようだ。



「アメルおじ様が……ルーラおば様を?」
「うん」

 ティアは僕から目の前の魂へ視線を移し、少しの間感慨深く辺りを見つめていた。

「これは誰にも言うなって言われたけど……それから父さんは、此処へ連れてきてくれたお礼を言って、母さんの頬にキスしたんだって」
「ふうん……うん!?」

 彼女はいつものように相槌を打ってみたけれど、僕の意地悪そうな眼つきに気が付いて動揺した。

「あそこで僕がオーケーしなかったら、ティアも来られなかっただろ?」
「え……だからって」
「ん」

 右の頬をティアの目の前へ突き出す。横目に真っ赤になって固まる彼女の表情が見えた。

「まあまあ」

 瞳を閉じて。

「えと……ジョエル……ありがと──」

 そして温かな唇が頬に触れた時、少しばかりティアの緊張がほどけた気がした──。