薔薇の花言葉 [サファイア・ラグーン2作目]

 祭りが佳境を迎える頃には()うに日も暮れ、点された松明が一層の盛り上がりを見せた。が、その灯りを目指して現れた父さんの船の迎えで、僕は帰路へと着いた。

 モカは外界へ出た早々に叔父である父さんに会うことが出来て、そして直接花束のお礼を言えたことに、いつになく興奮を隠せない様子だった。反面僕は再びティアに会うことなく此処を離れなければならない自分に、少しだけもどかしさを感じていた。

 誰かに嫉妬するティア。それを勝手な思い込みだと推察するモカ。そしてその所為(せい)なのかティアから避けられる僕──。
 確かにモカの成人式である今日、幾つかの動きはあった。けれど全てが曖昧なまま実像が見えてこない。

 ──ティアから笑顔を奪ったのは、誰──?

 父さんは成人の儀式のこと、陸上での祭りのことなどを質問してきたが、時々曇ってしまうことを自覚せざるを得ない僕の表情には一切触れなかった。そして家に辿(たど)り着いた僕達を、温かな笑顔で包み込んだ母さんも同じだった。明日も早いからと僕のスーツを整え、身体の汚れを拭うよう促した母さんは、色々と訊きたいこともあっただろうに──。

 ──僕の表情から、何を感じ取ったの?

 母さんがシレーネに就任した時、ティアと同じ立場だったカミルおばさんもどんな想いだったのだろう。

『でも、きっといつか分かるよ。あんたも誰かを守りたいと思ったらさ』

 ふと、最後の晩トロールがこの部屋で語ったことも思い出された。

 ──ティアのことを好きな気持ちと、守りたいという想いは、イコールではないのだろうか?

 考え出したらキリがなかった。でも明日はトロールの結婚式だ。早く休まないといけない。
 濡れた髪が、夏の暑さを残したこの部屋に、首筋に心地良かった。

 ──明日は僕もモカのように、とびっきりの笑顔でトロールを祝福しよう。

 今日の自分を反省してベッドに横たわると、重々しく感じられた心も身体も少し軽くなった気がした。ゆっくり(まぶた)を伏せる。そして次に明るさを感じて目を開いた時には、眠った感覚もないまま朝を迎えていた。まるで時が僕だけをさらっていったかのように。頭の中がはっきりしないままリビングへ足を運んだが、其処にはいつもと変わらない父さんと母さんの笑顔があった。

 この朝は昨朝の僕を気遣ってか、父さんが薔薇の大きな花束を胸に抱いて運び、シチリアへ向けて船を走らせた。親子三人で海へ出るなんて久し振りのことだ。ジョル(じい)も来れば良かったのに、と口走った僕に母さんは舌を出して、船員仲間だったカルロと一緒に別の船で向かっていることを白状した。

 やがて船は滑るようにシチリアの港へ吸い込まれ、満面の笑みを(たた)えたトロールとご主人、そして母さんの言う通りジョル爺とカルロが待っていた。
 船乗り見習いをしていた父さんに、船員としてのノウハウを叩き込んだのはカルロだ。そしてサファイア・ラグーンへの往復にもカルロは同乗していた。両親にとってはこの上ない嬉しい再会だったに違いない。

 少し立ち話などをした後、移動のための馬車に乗り込む頃、更に驚きの再会があった。

「姉様! あ……アモール?」

 父さんの船のすぐ横に、目立たないよう気を付けながら、顔を出して手招きする二つの影が見え隠れしたのだ。

「シ、シレーネ様! モカ様も!!」

 ──モカ? へぇ~、トロールもそう呼んでいるのは意外だった。

「トロール、結婚おめでとう! 式には出られないけど、これお祝いよ!」

 モカがそう言ってトロールの手に大切そうに差し出したのは、鮮やかな赤珊瑚のネックレスだった。結界の中には生育しないから、カミルおばさんが外界で得た物だろう。

「こんな素晴らしい物を……こんな遠くまで……何ともったいない──」

 トロールは感極まってご主人の胸で泣き、カミルおばさんは困った顔をしながらも嬉しそうだった。そしてモカは物心ついて以来初となる叔母ルーラと、血の繋がりはないが祖父に当たるジョル爺に会えて大満足の様子だった。

 片方は人間になったとは云え、人魚と人間の間に生まれ、親の涙を石として持ち、金色の髪をした二人。母さんにとっても感慨一入(ひとしお)のようだ。式の時間が迫っていなければ、トロールの涙も母さん達のお喋りも尽きることはなかったかもしれない。

 男性陣の説得でようやく馬車に乗り込んだトロール達を、カミルおばさんとモカは見えなくなるまで見送っていた。これからアネモス公の(もと)へ向かうのだろうか。結界で留守番のティアは、それをどんな気持ちでやり過ごすというのか──?

 再び考え込みそうな心を(いさ)め顔を上げた途端、真正面のジョル爺がウィンクしてみせた。──こんなことでは駄目だな。僕は薄く溜息を吐き、少々苦々しい笑みを祖父に返した。

 しばらく続いた緩い坂を登りきるや、先に広がった草原に小さな教会が建っていた。その向こうに見渡せるのは地中海だ。建物の両側に茂るオリーブの葉が青々として、教会の白壁と碧い海原に良く映え、鮮やかな色彩だけでもこの地に降り注いだ幸せを証明しているかのようだ。



 それから間もなくして始まった結婚式も披露宴も、とても賑やかで楽しい時間となった。
 大人しいご主人に比べて、親族のほとんどは陽気で明るく、何よりトロールを事の(ほか)気に入っている様子だった。並んだ姿はどちらの親戚か分からないほどだ。輪になって歌い踊る姿は昨日の祭りとはまた違う雰囲気ではあったが、どちらも心からの喜びを表したかけがえのない時を刻み込んでいた。

 ──ティア。

 トロールの白いウェディングドレスが昨日のティアのレースのドレスと重なって、僕は一瞬不思議な眩暈(めまい)を起こした。



「どうした? ジョエル」

 近くに(たたず)んで皆のダンスを傍観していた父さんが声を掛ける。その時だった。突如として目の醒めるようなすっきりとした感覚が僕を取り巻き、今こそがその時なのだと僕の身体に訴えかけたのだ。

「父さん、次の仕事はいつ?」
「え? ああ、明後日からだよ。今回は十日ほど掛かるかもしれない」
「そう……そうしたら今夜にでも話したいことがあるんだ。母さんにも一緒に」

 僕の眼差しは一直線に父さんの視線の目指す先を貫いていた。穏やかだった表情が刹那に引き締まり、父さんは再び和らいだ笑みを浮かべた。

「……そうか。では帰宅後、母さんと話を聞こう」

 まるで僕の熱意が伝わったかのような、とても至誠のある返答だった。僕は元気良く「うん」と(うなず)き、踊りの輪の中へ戻った。いつになく清々しい気持ちが僕を包み込んでいた。

 明るいシチリアの人々や豊かなご馳走で満ち足りた気分に浸った僕達は、トロールの名残惜しそうな握手と抱擁に後ろ髪を引かれながらも、幸せな気分のまま自宅へと戻った。

 さて……そして、これからが僕の時間だ。
 支度を替えてリビングへ戻る。既にお茶の用意もされて、二人共テーブルに着き、僕を待っていた。

「さぁ、召し上がれ」

 目の前の席に着いた緊張の膨らんだ僕に、母さんが優しく紅茶を勧めてくれた。芳醇な液体が舌の上を流れ落ちるにつれ、胸の奥から温かくなるのを感じた。

「えっと……父さん、母さん。この夏休みに、行きたいと思っている所が在るんだ」

 どうやって切り出せば良いのか分からなかったが、口を()いて出てきたのはそんな言葉だった。二人が続きを待っていることは表情から見て取れる。「何処へ?」と無言で問う両親に、

「サファイア・ラグーンへ……行きたいんだ」

 僕の決意に圧倒されるであろう姿を予想しながら、それでも覚悟を決めて告白した。
 が、二人の面持ちは特に変わることはなかった。と言っても、案の定というほど自分達の答えがまとまっていた様子でもない。

「何をしに行きたいの?」

 母さんがにこやかに尋ねる。

「アーラ様に訊きたいことがあって……」

 けれどその内容は気恥ずかしくて口には出せなかった。頬に熱を感じる。顔が赤くなっているのは自分でも分かって、思わず下へ(うつむ)いた。

「……自分の将来に関わることなんだな?」

 父さんが僕の想いを代弁してくれた。慌てて頷いた僕に、父さんは隣に座る母さんと一度目を合わせて、再びこちらを向いた。

「私も……母さんも反対ではないよ。でもサファイア・ラグーンは私達の領域じゃない。行くならシレーネ様から許可を得なさい」
「はっ、はいっ! ありがとう、父さん、母さん」

 理想以上に理解力のある両親と、まず一段階進めたことに喜びが溢れた。

「明後日なら結界の上を通るから送ってやろう。帰りはプシケにでも送ってもらえるように、自分から頼みなさい」

 二段階──シレーネからの許し。カミルおばさんは許してくれるだろうか? もし許しを貰えたなら、その時ティアはそれをどう思うのだろうか。

 ──いや。

 ティアが応えてくれるかどうかじゃない。ティアが応えたいと思える人間になることが大切なんだ。

 僕を信じて、僕について来てくれるように──。