この手に愛と真実を〜クールな検事の一途な想い〜【書籍化】

「少し休んだらどうだ?」

わらび餅を食べたあと、お茶を飲みながら礼央は凜香に声をかける。

「はい。でも、眠れそうになくて」
「眠らなくてもいい。身体を横にするだけでも疲れが取れるぞ」
「そうですよね。じゃあ、少しだけ」
「電気暗くする」
「ありがとうございます」

凜香がベッドに入ると、礼央はリモコンで天井の明かりを絞った。

「朝比奈さんは? 眠らないんですか?」
「ああ。時間になったら起こしに来るから、安心して休め」
「自分のお部屋に帰っちゃうんですか?」
「当然だ」

すると凜香は、しょんぼりとうつむく。
礼央はベッドのそばの床に腰を下ろした。

「どうかしたか?」
「はい、あの。ひとりになると不安になりそうで……。おしゃべりして気を紛らわせたいというか」
「なるほど。じゃあ、君が寝付くまではここにいよう」
「私が寝たら帰るんですか?」
「当然だ」
「じゃあ、がんばって起きてます」
「……は?」

呆気にとられていると、凜香は楽しそうに話し出した。

「朝比奈さんや矢島さんと知り合ってから、まだ二週間ちょっとなんですよね。信じられない、もっとずっと長く一緒にいた気がします。色んなことがあったから」
「ああ」

礼央が目を伏せると、凜香が顔を見上げてきた。

「聞いてもいいですか? 朝比奈さんは、どうして検事さんになったのですか?」
「え? いや、話すほどのことでもない」
「でも刑事さんも検事さんも、とっても大変なお仕事ですよね。強い想いを持ち続けていないとやっていけない、違いますか?」
「それは、そうだが」
「矢島さんも、いつもの明るい雰囲気からは想像できないほど、正義感にあふれて熱意を持っている人でした。朝比奈さんはいつも凛としていて、心の中になにかを秘めている感じがします」
「俺の、心の中に……」

少しためらってから、礼央はポツリと呟いた。

「俺の父は、警察官だったんだ」

凜香はじっと礼央を見つめて、言葉を待っている。

「小さい頃から、俺は父のうしろ姿を見てきた。交番勤務員だった父は、常に地域の人々に目を配り、子どもたちやお年寄りからも慕われていた。休みの日に公園へ行っても、スーパーに買い物に行っても、いつも誰かしらに『朝比奈さん』と声をかけられる父が、俺は自慢だった。ある日、強盗傷害事件の110番通報を受けた通信指令本部から緊急出動要請がきて、父は現場に駆けつけた。顔馴染の小さな酒屋の店主が、ナイフで切りつけられてレジのお金を奪われたとわかって、父はすぐに犯人を追った。なんとか探し出し、犯人を検挙したんだが……、その後犯人は不起訴処分となり、釈放された。明確な証拠が足りないと検事が判断した結果だった」
「そんな……。じゃあ、犯人は罪に問われずに?」
「ああ。しかも不起訴処分になったことで気を大きくしたのか、更なる犯行に出た。今度はスーパーの店長を人質にして、金庫の金を集めさせ、それを奪って逃げようとした。だがパトカーに周囲を囲まれると、焦った犯人は怒鳴り散らして警察を威嚇し、人質の店長の首に当てていたナイフを持つ手に力を込めた。結果、店長は助からなかった」

凜香がハッと息を呑んだ。

「亡くなったスーパーの店長は、俺にも優しく声をかけてくれるおじさんだった。父は、ただひたすら後悔していた。最初にしっかり証拠を押さえて起訴できていれば、と。そして捜査一課に希望して異動した。誰よりも犯人逮捕に執着し、証拠を集め、危険をかえりみずに現場に飛び込むようになった。自分が負傷しても犯人は逃がさない、そんな執念にとらわれていた。あの日も……。俺が小学六年生の時だった。朝、俺たちの登校班を学校まで見送ってから出勤するのが決まりだった父は、いつもと同じように子どもたちを見守りながら付き添っていた。そこに高齢ドライバーの車が突っ込んで来たんだ。父は『止まれ!』と叫びながら俺たちの前に立ちはだかり、そのまま俺の目の前で……」

言葉に詰まると、腕を伸ばした凛香が、ギュッと礼央の手を握りしめた。
大きな瞳に涙を溜め、こぼれ落ちないように懸命にこらえている。

礼央はそんな凜香の手を握り返した。

「父が抱えていた後悔を胸に、俺は検察官を目指した。逮捕するだけでは、犯人に罪を償わせることはできない。起訴して、法の場で裁きを受けさせる。法廷に送り込む権限を持つのは、検察官だけだから」

唇を震わせながら頷いた凛香の瞳から、一筋の涙が頬に流れる。
礼央は右手で凛香の頬を包むと、親指でそっとその涙を拭った。

「朝比奈さん、私……」

言葉を詰まらせながら、凛香は懸命に訴える。

「私、必ずあなたと矢島さんの力になってみせます。なにがあっても、絶対に諦めません」

礼央は、ふっと優しく凛香に微笑んだ。
凛香の頭をなでてから、表情を引き締める。

「頼む。君のことは必ず俺が守り抜くから」
「はい」

そして礼央はもう一度、凛香を見つめて優しい笑みを浮かべた。