翌朝、私が学校に着くと、校内がざわついていた。
 廊下で立ち話をする生徒たち、教室で何かを見つめるグループ。みんな同じ話題で持ちきりのようだった。

 私は自分の教室に向かいながら、耳をそばだてた。

「あの画像、見た?」
「すごくない?本物かな」
「如月さんって、そんな子だったんだ」

 教室に入ると、友達が私を待ってた。

「すごいじゃない」
「何がですか?」

 私は戸惑った。友達の一人がスマホを見せてくれた。

「サヤカさんの投稿、もう学校中で話題になってるよ」
「みんな、ミツキさんのこと心配してる」
「最初に気づいたんでしょ?すごいね!」

 私は複雑な気持ちになった。確かにみんながミツキさんのことを心配してくれるのは嬉しい。
 でもなんとなく違和感もある。この話題の盛り上がり方が、なにか悲しく感じられた。

 まるでミツキさんの苦境が娯楽として消費されてるような気がした。
 みんな心配してるというより、面白がってるように見える。

「でも本当なの?」

 友達の一人が疑わしそうに言った。

「画像が変すぎない?加工してるんじゃないの?」
「そんなことないですよ」

 私は慌てて否定した。でも確証があるわけじゃない。
 私だって最初は信じられなかった。

 けれど、これまでのミツキさんの内容からはそんなことを感じさせなかった。
 私は、これまでのことを簡潔に話す。
 それを、みんな興味深そうに聞いてた。

 でもその興味は、心配というより好奇心のように感じられた。

 その時、サヤカさんが教室に入ってきた。
 いつもより注目を集めてるのが分かる。周囲の子たちの視線が、一斉に彼女に向かった。

「おはよう」

 サヤカさんは満足そうに微笑んでた。自信に満ちているその表情。

「昨日の画像、ありがとう。すごい反響よ」
「どれくらいですか?」
「もう千人以上が見てくれてる。この学校だけじゃなくって、他の学校の子たちも興味を持ってくれてるの」

 私は驚いた。
 そんなに広がってるなんて。

「で、ミツキさんからの連絡は?」
「昨日、ちょっとメッセージのやり取りをしました」
「そう。どんな感じだった?」

 私はサヤカさんに、ミツキさんが「みんなが心配してくれてるなら頑張れる」と言ったことを話した。
 でも彼女が注目されることを楽しんでるという部分は、なぜか言えなかった。

 サヤカさんの目が輝いた。

「それよ!それを投稿するの」
「え?」
「ミツキさんの生の声。みんな喜ぶわ」

 私は困った。

「でも、その…」
「大丈夫よ。ミツキさんだって、みんなに心配されて嬉しいはずよ」

 私は本当にこれでいいのか、と思った。
 でも、サヤカさんの勢いに押し切られてしまった。

 彼女は既に次の投稿の内容を考えてるようだった。



 昼休みに、私は一人でミツキさんにメッセージを送った。

『昨日はありがとうございました。元気になりましたか?』

 すぐに返事が来た。

『はい。みんなが心配してくれてるって知って、すごく嬉しかったです』
『本当ですか?よかったです』
『でもちょっと恥ずかしいです。私なんかのことで、みんなが』
『そんなことないですよ。みんな本当に心配してますから』

 ミツキさんからの返事が、少し遅れて来た。

『実は……もう少しここにいたいんです』
『え?』
『初めてなんです。こんなにたくさんの人に注目してもらえるのって』

 やっぱりミツキさんは注目されることに魅力を感じているのだ。

『今まで、誰も私のことなんて見てくれませんでした』
『そんなことないですよ』
『でも今は違います。みんなが私のことを心配してくれてる。コメントもたくさんもらってます』

 ミツキさんは完全に状況を理解している。
 そして、それを楽しんでる。

『でも中には悪いコメントもありますよね?』
『はい。でも心配してくれる人の方が多いです。それだけで十分です』

 ミツキさんが前向きになってくれるのは嬉しいけど、異世界に留まりたがってるのは心配だった。
 …それに、ミツキさんの話を広めた一端には、私にも責任があるのだ。

 その日の夜、ミツキさんから新しい投稿があった。
 今度は自分を写した画像だった。でも顔は影になってよく見えない。

 シルエットだけが写ってる画像だった。
 背景は、これまでの画像と同じように現実離れしてた。

 彼女の背景にあるのは、まるで宇宙空間のような、星が散りばめられた暗闇。

『みんな、心配してくれてありがとう。』

 コメント欄には、たくさんの応援メッセージが並んでた。
 でも私は素直に喜べなかった。全てが違う方向に向かってる気がしてならなかったからだ。

 サヤカさんからメッセージが来た。

『見た?ミツキさんの投稿。これは使えるわ』

 使える?その言葉に、私は嫌な予感がした。

『どういう意味ですか?』
『みんな感動してるでしょ?もっと盛り上げましょう』

 盛り上げる?

 でも、サヤカさんの次のメッセージを見て、私は愕然とした。

『実はちょっと問題があるの』
『問題?』
『みんな、私よりミツキさんに注目してるのよ』

 一瞬、その言葉の意味を私は理解できなかった。

『でもそれでいいんじゃないですか?ミツキさんを助けるのが目的なんですから』
『そうね。でも……』

 サヤカさんの声に、何か不満そうな響きがあった。

『私だって頑張ってるのに、誰も褒めてくれない』
『そんなことないですよ。みんなサヤカさんに感謝してますよ』
『本当?でもコメントはミツキさんのことばっかり』

 私は困った。
 確かに最近のコメントはミツキさんを応援するものが多い。

 でもそれは当然じゃないの?

 助けが必要なのは彼女なんだから。

『サヤカさんがいなかったら、こんなに多くの人に知ってもらえなかったですよ』

 私は慰めようとしたけど、サヤカさんのメッセージは同じ調子だった。

『でもみんな私のことは忘れてるじゃない』
『そんなことありませんよ』
『あるわよ。最初はよかったの。みんな私の投稿も見てくれて、『サヤカちゃん、これすごいね』って言ってくれた。でも今は?』

 サヤカさんの声に、明らかな嫉妬が混じってた。

『今はみんな、ミツキさんのことしか見てない。私はただの脇役になってる』

 このサヤカさんのメッセージに私はなんていえばいいのか、分からない。

『でもミツキさんを助けることが一番大切ですよね』
『そうね。でも私の努力も認められたいの』

 その時、私はこれまで見なかったことに気が付いた。
 そうだ、やっぱり…サヤカさんの本当の目的は、ミツキさんを助けることじゃない。
 自分が注目されることだったんだ、と。



 その日の夜、私は一人で部屋にいた。
 サヤカさんの本性が本当にそれで、やっぱりショックだった。

 それなら私一人でミツキさんを助けなければならない。
 サヤカさんに頼ることはできない。

 私はミツキさんの最新の投稿を見た。
 また新しい画像が投稿されてた。今度は階段の画像。

 でもその階段は普通の階段じゃない。上にも下にも無限に続いてるような、錯覚的な構造をしていた。
 階段が、どこまでも続いてる。まるで永遠に登っても降りても、同じ場所にたどり着いてしまいそうな、不気味な階段だった。

『どちらに進めばいいのか分かりません』

 私は不安になった。ミツキさんは明らかに混乱してる。

 私は急いでメッセージを送った。

『ミツキさん、動かない方がいいですよ。変な場所に行っちゃダメです』

 既読はついたけど、返事は来なかった。

 私は焦った。
 このままでは、ミツキさんがどんどん危険な状況に陥ってしまう。
 サヤカさんの協力は期待できない。私一人で彼女を助けなければならない。

 でもどうすればいいんだろう。

 私は別途で横になった。そうだ、これまでに分かったことを整理してみよう。

 きさらぎ駅。ミツキさんが迷い込んでしまった場所。
 でも、そんな駅は実在しない。そうだ、あんな闇に周囲を囲われた駅なんて存在するわけない。

 つまりこれは現実の場所じゃないということだ。

 そして、ミツキさんの画像は、どんどん現実離れしていく。
 今、彼女は注目されることを楽しんでる。帰りたい気持ちより、みんなに心配されてる状況を楽しんでる。

 私は考えた。
 もしかして、きさらぎ駅というのは、ミツキさんの心の状態を表してるのかもしれない。
 彼女の孤独感や承認欲求が、現実離れした世界を作り出してるのかもしれない。

 …だとしたら、彼女を現実に戻すには、どうすればいいんだろう。

 私はベッドに横になりながら、スマホを弄る。
 ネットでいろいろと検索をしてみる。

 心理学、オカルト、都市伝説…。

 もしかしたら、きさらぎ駅について、何か書かれてるかもしれない。
 いろいろと検索をしていると、あるサイトで短い記述を見つけた。

『きさらぎ駅は、強い孤独感や逃避願望を持つ者が迷い込むとされる異界である』

 私の推測は当たってたのかもしれない。

 続きを読んでみた。

『この異界からの帰還は困難であり、迷い込んだ者は現実よりも異界での生活を好むようになる』

 まさにミツキさんの状況だった。

 さらに読み進めると、帰還方法についても書かれてた。

『帰還するためには、現実世界からの強い呼びかけが必要である。特に迷い込んだ者が最も求めているものの名を呼ぶことが有効とされる』

 ミツキさんが最も求めてるもの。それは何だろう。

 注目?承認?

 私は考えた。ミツキさんが本当に求めてるのは、注目されることじゃないかもしれない。
 彼女が本当に欲しがってるのは、きっと……友達だ。

 本当の友達。心から理解してくれる人。
 それが彼女が一番求めてるものに違いない。

 だって、それは…。私も…。

 そこまで考えてから私は、次の行動を考えてみた。
 そうだ、これから本格的にミツキさんを助ける方法を実行するのだ、と。

 少なくともサヤカさんに頼らず、自分の力で。
 もう一度ミツキさんと話してみよう。

 私はスマホのSNSアプリを起動して、彼女へメッセージを送ることにした。

『ミツキさん、私と友達になりませんか?』

 しばらくして、返事が来た。

『友達……ですか?』
『はい。今まで話す機会がなかったけど、本当はもっと早く話しかければよかったです』
『でも私みたいな人と』
『そんなことありません。ミツキさんと友達になりたいです』

 長い沈黙の後、返事が来た。

『……ありがとうございます。でも私、友達ができたことがないんです』
『私も本当の友達は少ないですよ。でもミツキさんとなら、本当の友達になれる気がします』

 また沈黙。そして。

『本当ですか?私のことを本当に友達だと思ってくれますか?』
『はい。だから帰ってきてください』

 今度の沈黙は、とても長かった。

 私は不安になった。
 もしかして間違ったことを言ったかな?

 そしてついに返事が来た。

『……考えてみます』

 それだけだった。でも私には希望が見えた気がした。
 ミツキさんの心に、何かが響いたのかもしれないからだ。