「え……」

「は……?」

 私と飛翔が動揺する間に、鬼がワンピースの切れ端を地面に放り投げ、愛音の血がついた切っ先でガリガリと何かを描く。

「……ふふっ」

 鬼は満足したのか立ち上がり、ぎろりと私達へ目を向けた。
 ささやかな月明かりが、鬼の顔を照らす。飛び散った鮮血、屈託のないあからさまな笑顔。

 ──目尻から流れる、一筋の雫が、頬を静かに伝っていた。

「え……」

 泣い、てる……? 笑いながら、泣いてる?

 恐怖から一転し、私の脳内は困惑の二文字で埋め尽くされる。逃げるなんて選択肢が一瞬で消え去った。

 どうして泣いているの──その疑問を口にする前に、鬼は靄に紛れるように突然姿を消した。

「……はぁっ」

 突然疲労感が押し寄せ、私はその場に崩れ落ちる。
 脱出を試みればゲームオーバー──よくある架空のデスゲームと同じだ。

 ……愛音を止められなかった。全員で逃げ切るんだって……自分で決めたことなのに、動けなかった。

 ──愛音のことよりも、鬼が気になってしまったのは、どうして?

 一年前、たまたま同じ委員会に入って話すようになって。
 すぐ後にあった合宿で、夜更かしして、見つかって先生に一緒に叱られて、おかしいねって笑い合った。
 大切な思い出が、私の記憶にいっぱい詰まってる。

 だから……ほんの一瞬、揺らぎを見せただけの鬼に興味を惹かれたことが、酷く怖かった。

「羽田……どうしたんだ」

「……何が?」

「だからお前、あの鬼がどうのって」

「……分かんないよ。私だって、分かんないよ……っ」

 皆と一緒に帰りたい。皆と一緒に毎日思い出を作りたい。
 それは紛れもなく本心なのに……愛音のことを、蔑ろにしてしまったんだ。

 ふと、動かない愛音の方に視線を向ける。死に際の苦痛に歪んだ表情、絶え間なく血流が迸る無惨な傷口。

 ねじり切れそうな自分の心臓を諌めるように、私はさっと目を逸らす。

「……そう言えば、あの鬼の……」

 あの鬼……最後にワンピースを切り裂いていた。愛音の傍に落ちている切れ端を、縋るように手に取る。
 愛音の血で、たどたどしい手つきで書かれていたのは、ただ一言。

「"助けて"……」