紫陽花の憂鬱

 一歩、また距離が近付いた音がした。思っていたよりも大きな手が、紫月の頭に乗って遠慮がちに撫でる。親にも彼氏にも頭を撫でてもらったことなんて、なかったような気がする。紫月は昔から成績優秀だった。そんな成績だったら親から何でも買ってもらえるよなんて話をしていた友達がいたことを不意に思い出す。どんな成績をとっても、何かで表彰されても、紫月の親は紫月の姉を可愛がっていた。見た目も可愛くて、愛想があって、いつもニコニコしていて。それとは対照的に内向的だった紫月のことは今も昔もきっと、可愛くはないのだろう。

(…日向くんの妹だったら、もっと小さい頃からこんな風に頭を撫でてもらえたのかな。)

 そんなもしもはどう足掻いても存在しない。でも、日向の手から伝わる優しさは、ずっと欲しかったもののように思えた。
 遠慮がちに撫でていた手の動きが止まりそうな気配がして、紫月はゆっくりと目を開けた。手がすぐ離れるかと思っていたのに、まだ手は乗ったままで、そのまま目が合うと急激に羞恥心が襲ってきた。目が合った瞬間の日向の真っ直ぐな目が、紫月の心拍数を上げた。もっと、ふわっと微笑みながら、小さい子を見つめるみたいな目だと思っていたのにそうではなかった。今までに見たことのない、同じ人なのに別の人にも感じられるような目だった。
 目が合っても、日向はパッと手を上げはしなかった。射抜くように真っ直ぐだった目が、少し力が抜けたような柔らかいものに変わる。

「手が止まったから、もう終わりだと思った?」
「お、思った…。」
「…なんかちょっと、すぐ終わりにするのは勿体なくて。もうちょっと、いい?」
「は、はいっ!」
「なんで敬語?あ、緊張させた?」
「…初めて、人に頭を撫でてもらったから…。緊張もしたけど、…本当に日向くんの妹だったら良かったなってちょっと思っちゃった。」

 正直な言葉がするっと落ちて、言った後に大丈夫かなと心配になる。それでも相手が日向だからきっと大丈夫だと思い直せる。そう思って、紫月は日向の方を見上げた。

「…妹じゃ、…困る。」

 ほんのりと耳が赤く見える日向の手が、完全に動きを止めてしまった。