『朝日さんの学生時代に変わったことなどはありましたか?』

「朝日は大学生のとき、サークルの先生に勧められ、心療内科に1人で行ったことがあると私に教えてくれたことがあります。正直、その話を聞いたときはショックでしたが、何が原因だったのか、何に追い詰められていたのか、全く分かりませんでした。そして、軽く話す朝日を見て、今はもう大丈夫なんだとその話題の追求もしませんでした。年頃の子に内容まで聞ける勇気はありませんでした。その代わりに学費やお小遣いはわがままを言っても必ず支払いました。それしか、私にできることが無かったからです。」

『事件発見時のお気持ちをお聞かせください。』

「………朝日を見たときは目を疑いました。まさかうちの子が…と。床には新聞紙とバスタオルと毛布がたくさん敷かれ
ていて、身体は太もものあたりまで黒いゴミ袋で覆われていました。部屋の中はすごく冷たくて、冷房が19度で強風に設定されていました。私の仕事が忙しくて2階に上がることが少なくなって、漂う腐敗臭にも全く気が付きませんでした。朝日の遺書には死ぬ理由なんてひとつも書かれてなくて、ただ淡々と私が朝日の亡き後、しなければならないことが書かれていました。もう伝えたいことも、分かって欲しいこともないと朝日は言っていましたが、もっと早く、教えてくれれば良かったのにと思います。やるせない気持ちになりました。」

『最後に朝日さんに何か伝えたいことはありますか?』

「…伝えたいこと…ですか。」

『はい。』

「やはり…親より先に死ぬ子どもというのがどれ程悲しいことなのか、どれ程親や周りの者が傷つくことなのか、あの子が親になって気づいてほしかったですね…。無念です。それだけです。」