『ご主人と奥様は、小さい頃の朝日さんにどのような接し方をされていたのですか?』
「私は三兄弟みんな同じ愛情を持って育てていました。あの人…、妻は…朝日にだけ厳しかったように思います。朝日が妻に口答えすると、朝日のお茶碗や洗濯物だけ洗われずに廊下に放り出されていたり、勉強を後回しにする朝日の教科書やノートを片づけなさいと言われても、そのまま机に置きっぱなしにされていれば、妻は窓から朝日の文房具を外に放り投げ捨てるような人でした。」
『詳しくお話をお聞かせください。』
「朝日がまだ高校生のとき、門限が21時だったようで、門限を過ぎると冬の寒い夜でも夏でも関係なく、妻は玄関の鍵をかけれていました。信用が無かったのか、大学生の時は22時だったと思います。妻は朝日にだけ鍵を持たせていませんでしたし、朝日だけ、泊まりは禁止で門限が厳しくあったように思います。」
『ご主人はその時、何を?』
「小学校中学年から、中学、高校時代は朝日の反抗期により、私と朝日はひと言も喋ることはありませんでした。ケーキ屋の仕事は本当に忙しかったのですが、なにゆえ作り手が私ひとりでしたから夕方の18時に店を閉め、掃除をし、翌日の仕込みを行い、20時に就寝し、深夜の1時にまた起きて、エンドレスで仕事をする毎日でした。妻の仕事は私が配達に出る間の店番、レジ打ち、経理と家事、育児、子どもたちの教育も全て任せていました。口出しは一切していません。」
『朝日さんの門限についてお聞かせください。』
「朝日だけに門限が厳しいのは朝日が女の子だからという理由だったと思います。朝日が帰ってきたのが21時1分くらいでも、妻は朝日を家には入れませんでした。たまたま私が0時に起きなければならなかったとき、工場の後ろのドアをノックする音に気づいて開けてあげることが何度かありました。」
『ご主人が、門限について朝日さんに声を掛けてあげるなどはされましたか?』
「してなかったですね。門限を守れない朝日が、注意されても聞かない朝日が、口答えする朝日が悪いと妻は言っていましたし、朝日もそう思っていたと思います。何も相談されなかったので、朝日にも何も言っていません。」
「私は三兄弟みんな同じ愛情を持って育てていました。あの人…、妻は…朝日にだけ厳しかったように思います。朝日が妻に口答えすると、朝日のお茶碗や洗濯物だけ洗われずに廊下に放り出されていたり、勉強を後回しにする朝日の教科書やノートを片づけなさいと言われても、そのまま机に置きっぱなしにされていれば、妻は窓から朝日の文房具を外に放り投げ捨てるような人でした。」
『詳しくお話をお聞かせください。』
「朝日がまだ高校生のとき、門限が21時だったようで、門限を過ぎると冬の寒い夜でも夏でも関係なく、妻は玄関の鍵をかけれていました。信用が無かったのか、大学生の時は22時だったと思います。妻は朝日にだけ鍵を持たせていませんでしたし、朝日だけ、泊まりは禁止で門限が厳しくあったように思います。」
『ご主人はその時、何を?』
「小学校中学年から、中学、高校時代は朝日の反抗期により、私と朝日はひと言も喋ることはありませんでした。ケーキ屋の仕事は本当に忙しかったのですが、なにゆえ作り手が私ひとりでしたから夕方の18時に店を閉め、掃除をし、翌日の仕込みを行い、20時に就寝し、深夜の1時にまた起きて、エンドレスで仕事をする毎日でした。妻の仕事は私が配達に出る間の店番、レジ打ち、経理と家事、育児、子どもたちの教育も全て任せていました。口出しは一切していません。」
『朝日さんの門限についてお聞かせください。』
「朝日だけに門限が厳しいのは朝日が女の子だからという理由だったと思います。朝日が帰ってきたのが21時1分くらいでも、妻は朝日を家には入れませんでした。たまたま私が0時に起きなければならなかったとき、工場の後ろのドアをノックする音に気づいて開けてあげることが何度かありました。」
『ご主人が、門限について朝日さんに声を掛けてあげるなどはされましたか?』
「してなかったですね。門限を守れない朝日が、注意されても聞かない朝日が、口答えする朝日が悪いと妻は言っていましたし、朝日もそう思っていたと思います。何も相談されなかったので、朝日にも何も言っていません。」



