スタジオ内に緊張が走る__


クランクインから3週間目
今日の撮影は、ヒロインと主人公の“キスシーン”

 

セットは薄暗いアパートの部屋

照明が落ちる瞬間
全員の空気が一段階沈んだ

 

「じゃあ……いきます」
監督の低い声とともに、カメラが回り出す

 

 

奈々と涼真は、向かい合って立っていた

カメラの前なのに
視線を合わせた瞬間、心臓の音だけが響いた気がした

 

『……どうして、何も言ってくれなかったの?』

奈々の台詞が、静かに空気を裂いた

 

涼真は一歩、距離を詰めた

 

『お前が、誰かに抱きしめられるのなんて
……見たくないに決まってんだろ』

 

__その瞬間


奈々の肩がびくっと震えた
それも“演技”としてカメラは捉える


 

奈々は台詞通り、そっと涼真の胸に手を置いた
そして、台本通りのキスが始まる――はずだった

 

 

けど、唇が触れる直前
涼真が、小さく呟いた

 

“緊張してんの?……力、入りすぎ"

 

奈々の耳元に触れた
誰にも聞こえない低くて掠れた声に、心が跳ねた

 

____次の瞬間
唇が、そっと重なった

 

深くも、長くもない


けど確かに“演技では済まない”体温が伝わった

 

それだけのはずなのに


涼真はそっと、奈々の後ろ頭に手を添えて離そうとしなかった

 

そのまま、もう一度
重ねたキスは、台本にはなかったもの

 

(……ダメだ、これ以上は)

 

奈々の中で理性がざわつく

 

けど離れるタイミングも
空気も、すでに失っていた

 

ようやく“カット”の声が飛んだ時

 

ふたりはゆっくり唇を離したけど
見つめ合ったまま動けなかった

 

周囲の拍手と歓声だけが響いていた

 

「……すごい、鳥肌たった」
「ガチだったよね、今の」

 

スタッフの声が聞こえてくる
けど奈々の耳には何も入ってこない

 

 

「……演技、だよね?」
小さく呟いた奈々に

 

涼真は少し口角を上げて
ごまかすように笑った

 

「さあ、どうだろな」

 

奈々はその顔を見て、心臓がまた跳ねた

 

(ほんとにもう…わかんないよ)