撮影後・控室
着替えを終えて
水を一口飲んだ瞬間、ドアがノックもなく開いた
「……おつかれ」
…涼真くんだった
「……うん、おつかれさま」
さっきの絡みの撮影とは打って変わって
静かすぎる部屋に、言葉だけがぽつんと浮いた
涼真は何も言わず
部屋の壁にもたれたまま奈々を見つめていた
「…ちゃんと…見てた?」
「ああ。最初から最後までな」
奈々はふっと息を吐く
言い訳みたいになる気がして、言葉が見つからない
「……しっかり演じたよ、役として」
「ちゃんとわかってる」
「……でも、涼真くんがいたから、逆に集中できたかも」
「……ん」
いつもより返事が短い
涼真は、壁から体を離して
ゆっくり奈々の前まで歩いてきた
目の前に来て、静かに言う
「ただ…なかなか複雑だな、ああいうの」
「え?」
「俳優なのにな。…俺が嫉妬するの、おかしい?」
___奈々は、返せなかった
返せないまま
涼真の手が、そっと彼女の頬に触れる
「でもな…
それくらい、今の芝居。すげぇ良かったよ」
奈々の顔が、ふっと緩む
「……ありがと」
「でも、ちょっとだけムカついた」
「え、やっぱ嫉妬してるじゃん」
涼真くんが軽く笑う
その笑顔が、奈々の緊張を溶かしていく
「ちゃんと俺も…負けない芝居見せてやるから」
「……うん、楽しみにしてる」
奈々は、涼真くんの手に自分の手を重ねた
そして心の中で
もう一度だけ繰り返した
(あの時のセリフ…嘘じゃないから)
___
撮影の映像チェックが、事務所から共有された
(……あのシーン)
ベッドに押し倒されて
相手役と演じた、濃密な“ふたりの時間”
だけど、そこに――涼真くんの視線があった
「集中しろ」
「俺とのこと、思い出せ」
あの、口パクの意味を
今になってもずっと考えてしまう
台詞より、あの目の方が
__私の心をかき乱した
あの瞬間だけ
演じてる“凛”じゃなくて、私自身がそこにいた気がした
涼真くんは、きっと気づいてた
(……やばい、こんなことで揺れてる場合じゃないのに)
自分に言い聞かせるみたいに、髪をまとめ直した
けど、心は勝手に
彼の声と熱を、何度も何度も、再生してた
──そして次の日
今日の撮影は、涼真くんの単独シーンだった
奈々は自分の出番が終わったあと
控えめにモニターの前へ移動する
涼真くんが演じるのは
凛と別れた直後、孤独に沈む“透”のシーン
ベッドに寝転んだまま
写真立てを眺めてる、ただそれだけの場面
でも、その視線が、たまらなかった
『……会いてぇよ』
吐き捨てるような
でも壊れそうな声で、そう呟いた
___その瞬間
奈々の心臓が
一拍、音を立てて跳ねた気がした
(これ……私のこと、想ってる“透”なんだ)
わかってる、演技だって
でも、やっぱり――涼真くんは“本物”だった
ただの相手役じゃない
誰よりもリアルに、感情を届けてくる人
その芝居に
___もう一度、
惚れ直してしまった
(……ズルいよ、そんなの)
胸がまた、熱くなる
次の撮影は、またふたりのシーン
今度は、もっと彼の隣にちゃんと立ちたくなった



