現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

街中の小さなカフェ。木製の家具に柔らかな照明。観葉植物がさりげなく配置された空間は、まるで恋人たちの会話をそっと包み込むようだった。

飛鳥と遥真は、対面で座っていた。

「先週に引き続き、ありがとうございます。今日は“カフェでの自然な振る舞い”を練習しましょうか」

飛鳥が言うと、遥真はすっと姿勢を整えた。

「はい。どのくらいの距離が自然ですか?」

「テーブル越しだと、顔を傾けたときに視線が交わるくらいかな。あと、話すときの声のトーンも少し落として」

「……これくらいですか?」

遥真がやや低めのトーンで話しかける。視線は飛鳥の目をまっすぐに捉えていた。

「そう。それで、呼び方も意識して」

「美園さん……って呼ぶのは、距離があるか…。じゃあ、“飛鳥さん”って、読んでいいですか?」

一瞬、飛鳥の手が止まる。

「ええ、構わない。むしろ、名前呼びのほうが自然ね」

「じゃあ……飛鳥さん」

たった一言。それだけで、耳の奥が熱を帯びる。

(練習、練習。これはあくまで演技の一環……)

互いのカップを手にしながら、あえて“恋人としての雑談”を試みることにした。

「プロフィール確認させてもらったけど、誕生日って4月11日なんだっけ?」

「はい。子どもの頃は、誕生日がクラスの友だちより早くて、ちょっとだけ得意げでした。飛鳥さんは、いつですか?」

「私は9月27日。秋が好きだから、その時期に生まれて良かったって、ちょっと思ってる」

自然な笑みがこぼれる。

「そういえば飛鳥さんって、食べるの好きなんですか?いつもピアスが食べ物モチーフだから、ちょっと気になってて。美味しそうでかわいいなって思ってました」

「えっ、気づいての?今つけてるのは、スイカとパイナップル。夏っぽくて元気が出るかなと思って。けっこう食いしん坊だから、ついアクセサリーもそっち系選んじゃうんだよね。そういえば、遥真くんのプロフィール、好きな食べ物は“ブロッコリーとささみ”ってなってたけど、本当なの?」

遥真は一拍おいて、少しだけ声を落とした。

「それ……本当は、ちょっと違ってて」

「え?」

「本当は、プリンが大好きなんです。コンビニのでも、ホテルのでも。子どもの頃からずっと。だけど、アクション俳優のイメージ崩しそうで、ずっと隠してました」

「……かわいいじゃない、それ」

飛鳥は、吹き出しそうになった口元を抑えた。

「でも、なんか安心した。人間らしいっていうか……遥真くんにも、そういうギャップがあるんだなって」

遥真は照れくさそうに笑った。

「ありがとうございます。……飛鳥には、そう言ってもらいたかったのかも」

(いま、私、呼び捨てにされた……?)

ほんの少しだけ、心がきゅっとなった。

その後も、レッスンは穏やかに進んだ。飲み物をシェアする振りをしたり、ふとした拍子に目が合ったり、演技として行うすべての動作に、なぜか現実味が宿っていく。

カフェを出る頃には、日が傾きはじめていた。

「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

遥真が、自然な仕草で手を差し出す。

飛鳥も、無言でその手を取った。

歩き出す。人通りのある道を、肩を並べて。

手の温もりが心地よく、ぎゅっとつながれた指が安心をくれる。

——けれど。

駅に近づいたその瞬間。

遥真の手が、そっと離された。

名残惜しそうでもなく、あくまで自然に。演技の終わりを示すように。

なのに、飛鳥の心の奥では、小さな音を立てて、何かが沈んだ。

(……なんで、寂しいって思ってるの、私)

全部“演技”だってわかってる。練習、役作り、仕事の一環。

それでも、つないだ手を離された瞬間に、ほんの少しだけ心が空っぽになった気がして——

それが怖くて、飛鳥はうつむいたまま、一言も発せず、駅までの道を歩き続けた。