現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

天気は快晴。午後の太陽が街路樹の影を長く伸ばし、ほんの少し汗ばむような陽気。

飛鳥と遥真は、ショッピングモール近くの公園まで足を延ばしていた。

「次は“自然な恋人の振る舞い”をテーマにしましょうか」

飛鳥がそう言うと、遥真はいつものように真面目に頷く。

「了解です。じゃあ……まずは並んで歩いてみましょうか」

何でもないような歩調。

それだけなのに、飛鳥の内心は妙に落ち着かない。

視線を合わせないまま、隣に立つ彼の気配を、肌で感じてしまう。

(自然に、自然に……)

“演技のため”という言葉を心の中で何度も繰り返しながら、一歩ずつ歩を進める。だけど、歩幅ひとつ取っても、肩の距離ひとつ取っても、意識すればするほど不自然になるような気がしてならなかった。

公園の小道に差しかかったとき、段差に気づかずつま先を引っかけそうになった瞬間——

「大丈夫ですか?」

遥真がとっさに、手を添えた。

その手のひらの温もりが、腕越しにふわりと伝わってくる。

「ありがとう……」

平静を装ってそう言ったが、内心では動悸が跳ね上がっていた。

(演技、よね……?)

さっきのは、台本にはない。ただの、咄嗟の行動。

だが、それが逆にリアルで——だからこそ、心が揺れる。

無言の時間が流れる。けれど、沈黙が気まずいわけではない。不思議と心地よい。沈黙すら“共有できる何か”のように感じる。

さらに。

その帰り道、タクシーに乗り込んだ瞬間、後部座席にクーラーの風が吹き込んできた。

「寒くないですか?」

遥真がふいに、脱いでいたジャケットを飛鳥の肩にふわりとかけた。

「えっ……いや、平気……」

「でも、肌が少し冷たそうだったので」

彼のその言葉に、息をのんだ。

気づかれたこと、気にかけられたこと。

そのすべてが、嬉しいと思ってしまった。

——でも、それって……

(これも“演技”の延長……?)

わからない。どこまでが演技で、どこからが本気なのか。

まるで、台本のない恋愛ドラマに迷い込んだような気分だった。

「遥真くん」

「はい?」

「ジャケット、ありがとう」

「いえ。恋人だったら、ああいうの、自然にやるかなって思っただけで」

その言葉が胸に刺さる。

自然にやる。

“恋人だったら”。

だから、それはあくまで役作り——そう、理解しているはずなのに。

車窓に映る自分の顔が、ほんのり赤らんでいることに、気づいてしまった。

(まずいな、これ……)

演出家として、冷静でいるべき立場なのに。

それでも、この“レッスン”の中で、確実に自分の心の中に何かが芽生えていることを、飛鳥は否応なしに自覚しつつあった。

そんなとき、遥真がふと口を開く。

「……美園さん。僕、最初はただ演技を学ぶためだと思ってましたけど……たぶん、いまはそれだけじゃなくなってきてます」

「え?」

「僕、恋って……こういう風に誰かと向き合うことなんだなって。今、少しずつ、わかってきた気がするんです」

飛鳥の心が、かすかに波打った。

(……それって、“役”としてじゃなく、私自身を見てくれてるってこと?)

言葉にはしないまま、胸の内でその疑問が膨らんでいく。

やがて車は停車し、目的地に到着した。

だが、飛鳥の頭の中では、遥真のひと言が、何度も何度もリピートされていた。

——これも演技?

——それとも、本気?

その答えを探すには、もう少し時間が必要だった。