魔法使い時々王子

雨はまだ名残を残しているものの、風は収まり、王宮の敷地にはしんとした静けさが戻っていた。

小舟から降りたアリスとシドは、無言のまま歩く。
並んで歩くその姿を、王宮の影からひとりの侍女が見つめていた。エミリーだった。

エミリーは、ふたりが離れがたいような距離で歩いているのを目にして、ふっと目を細める。

「……やっぱり、何か変わったのかもしれませんね、アリス様」

そう呟くと、彼女は静かにその場を離れた。

***
濡れたドレスを脱ぎ、白い部屋着に着替えたアリスがソファに腰を下ろしていると、控えめなノックが響いた。

「アリス様。失礼いたします」
扉を開けたのはリアンだった。ガウン姿のまま、少し心配そうな表情を浮かべている。

「リアン。どうしたの?」

「レイ様からお聞きしました。……アリス様が塔にいらしたと。お怪我などはございませんか?」

「ええ、私は大丈夫よ。雷が近くに落ちて窓が割れて驚いたけど……シドがいてくれたの」

言ってから、自分の鼓動が少しだけ早くなっているのに気づいた。
“抱きしめられた”とは言わなかった。ただ、“一緒にいた”という事実だけを伝えた。

リアンの笑みが、ほんの僅かに揺れる。

「そうでございましたか……塔には、お二人だけで?」

「ええ。嵐がひどくて戻れなかったの。シドが冷静だったから助かったわ」

アリスは努めて平静を装ったが、リアンの返す声はわずかに沈んでいた。

「……無事で何よりでございます。」

「ええ、本当に」

「では、アリス様。今日はお疲れになったでしょう。どうかごゆっくりお休みくださいませ」

「……ありがとう、リアン。おやすみ」

「おやすみなさいませ」

扉が閉まると同時に、アリスは深くソファに沈み込んだ。
あの時、シドの腕の中で感じたあたたかさが、まだ肌に残っている気がした。

一方、部屋を出たリアンは静かに足を止めた。
廊下の灯りに照らされた横顔に、いつもの穏やかな表情はなかった。

静まり返った廊下。リアンは窓の外を見つめた。
雲間から月が姿を見せ始めていたが、その光はなぜか冷たく感じた。

彼女の胸には、名前のつかない想いがひとつ、ぽつんと灯り始めていた。