魔法使い時々王子

大広間前の廊下は、いつもの王宮とは別世界のように静かだった。
シドは壁際に立ち、背筋を伸ばしてアリスが来る方向をじっと見つめていた。

そのとき、小さな靴音が廊下の奥から響いた。

シドの心臓が、理由もなくひとつ跳ねる。

緩やかな光の中に、アリスが姿を現した。

淡い薄紫のドレスが、歩くたびに静かに揺れた。
髪はいつもより丁寧にまとめられていて、額の飾りがささやかに光を返す。
普段のアリスとは違う、王女としての姿だった。

だが——
どれだけ着飾っても、どれだけ格式ばった晩餐でも、
そこにいるのは“アリス”ただ一人だった。

シドは思わず息を止めてしまった。

アリスはシドに気づくと、そっと微笑んだ。

「……シド」

その一言だけで、胸の内が少し熱くなる。

「迎えにきてくれたのね」

「……ああ。護衛は、俺がつくことになったから」

アリスは小さく頷いた。

「聞いたわ。ロザリア様にお願いしたの。
あなたなら……私も安心していられると思ったから」

その素直な言葉に、シドは一瞬返す言葉を失った。

(……そんな顔で言うなよ)

胸の奥がじわりと痛む。

「……ありがとう。光栄だよ、アリス」

ようやく絞り出すように言うと、アリスは嬉しそうに少しだけ視線を伏せた。

ふと見ると、アリスの手はほんの少し震えていた。
舞踏会で婚姻が発表される——
その重さを思えば当然だ。

「緊張してるのか?」
シドは静かに尋ねた。

「……少しだけ」
アリスは正直に答えた。

「でも、大丈夫。あなたがそばにいてくれるなら」

その一言に、シドは心の奥で何かを強く握りしめるような感覚に襲われた。
アリスが寄りかかるその小さな安心を、手放したくはなかった。

「行こう、アリス」
シドは手を差し出す代わりに、一歩前へ出てアリスの前を歩いた。

「——俺が、君を守る」

小さな声だった。
アリスには届かなかったかもしれない。
だが、シドの胸にはしっかり刻まれた言葉だった。

アリスはシドの少し後ろを歩きながら、そっと彼の背中を見つめる。
その背に向けた視線は、どこまでもあたたかかった。

そして、二人は大広間の扉の前に並び立った——。