魔法使い時々王子

数日後。
午後の温室は柔らかい陽光に包まれ、ガラス越しの光が花々を優しく照らしていた。
アリスは葉についた水滴を指で払いつつ、静かに花に水をやっている。
シドはその少し後ろで、持ってきた薬草を棚に並べていた。

ふと、シドが口を開いた。
「……ダリウス様、また旅に出るんだってな」

アリスは水差しを置き、振り返らずに答えた。
「ええ、そうみたいね」

その横顔には、どこか寂しさと、憧れの色が混じっていた。
「彼はね、風のような人なの。自由気ままで、誰にも止められない。……ちょっと羨ましいわ」

シドはアリスの背に視線を向けながら、柔らかく問いかけた。
「アリスも……旅に出たいと思ったりするのか?」

アリスはしばらく何も言わず、花びらの先をそっと指で触れた。
その仕草は、答えを探している少女のようで――
やがて、ゆっくりと首を横に振った。

「……いいえ」

アリスはほんの少し笑みを浮かべたが、その目はどこか陰りを帯びていた。
「結局、私はここしか知らないのよ。どれほど居心地が悪いと思うことがあっても……私は“王宮”でしか生きていけないの」

胸の奥にしまっていた本音が、静かに零れ落ちた。

シドは数歩近づき、アリスの横顔を見つめた。
「アリス様は……王族としての務めを、ちゃんと果たしている。誰にでもできることじゃない」

アリスは少し驚いたように目を瞬き、シドの方を見上げた。
その瞳に映ったのは、まっすぐな励ましの光。

シドは微笑んだが、心の中では別の声が沈んでいた。

――俺には、出来なかったことだ。

その想いは、静かに胸の奥へ沈んでいき、表情には決して浮かばなかった。