陽の光がガラス越しに差し込み、温室の中はやわらかく霞んでいた。
アリスは小さな如雨露を傾け、青紫の花にそっと水を落とす。
水滴が葉先を伝い、光を弾いた。

「ダリウスはね、王位継承順位はもうないの」
彼女は視線を花に落としたまま、穏やかに言葉をつづける。
「だから王室から与えられる公務も数少ないわ。兄のルイに子どもが生まれた時に、すべての公務を辞めて――旅に出たいと申し出たのよ」

シドは隣で静かに聞いていた。
土の香りと、湿った空気。窓の外では風が庭木を揺らしている。

「……旅、ですか」
シドの問いに、アリスは小さくうなずく。
「ええ。最初は王も反対したそうだけど、ダリウスの望みがあまりにも真っ直ぐだったから、最終的には許されたの」

水を注ぎ終えたアリスは、如雨露を台に戻し、ふとシドを見た。
「でも、旅先からはたくさんの手紙が届いたわ。異国の街の風景や、そこに住む人たちの話。読むたびに、まるで自分も一緒に旅をしている気分になるの」

彼女の瞳が少し遠くを見て、微笑む。
その横顔を見つめながら、シドは胸の奥で静かに息をのんだ。

「……自由な人なんですね」
そうつぶやいたシドの声は、温室の空気に溶けていった。