迎えた6月8日。
優樹は早めに出社して業務をこなしていた。

「部長、おはようございます」

始業時間よりもかなり早くに、茉莉花も出社して来た。

「おはよう。早いな」
「午後の訪問に向けて準備を確認したくて。それより部長の方こそ。すみません、私の案件の為にご自分のお仕事を済ませなければいけないのですよね?」
「いや、いつもこのくらいの時間に来ている。普段と変わりない」

手を止めずに淡々と答える。

(というのは嘘だが、彼女にはこうでも言わないと)

そう思いながらパソコンに向かっていると、ふいに視界に茉莉花が入って来た。

「よろしければどうぞ」

そう言って、優樹のデスクにコーヒーカップを置く。

「ありがとう」
「いいえ」

にこっと笑ってから茉莉花は席に戻って行った。

しばらくは静けさの中、二人がパソコンのキーボードを打つ音だけがかすかに響く。
だが優樹はなぜか心が落ち着き、ゆったりと時間が流れるような気がしていた。

ふと視線を上げて茉莉花を見る。
さらさらの黒髪を低いポニーテールにして、白のブラウスと水色のフレアスカートを合わせたオフィススタイル。
真剣に仕事をしている横顔は、思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。

いつの間にかじっと見入ってしまい、いけないと頭を振る。

(彼女には優くんがいるんだぞ?)

そう思うが、優くんという響きにまた気を取られてしまった。

(優くん……。ニックネームだろうか。本名は? 優太とか、優輔とか、あるいは)

優樹、と考えてしまった途端、ボッと顔が赤くなる。

(俺はいったい、何を考えている? たとえ妄想でも許されない)

咳払いをして姿勢を正し、再びキーボードを打ち始めた時だった。

「おはよう、茉莉花。ハッピーバースデー!」

明るい声で沙和がオフィスに入って来た。

(乾さんか、いつも元気だな。って、ちょっと待て! 今、なんて?)

ハッとして顔を上げると、沙和が笑顔で茉莉花にプレゼントを手渡していた。

「わあ、ありがとう! 沙和ちゃん」
「お約束のジャスミングッズよ。帰ったら楽しんでね」
「うん! 嬉しい。ほんとにありがとね」
「どういたしまして。今日のクライアント訪問もがんばって。あ、水族館は?」
「もう、沙和ちゃんってば」
「あはは! ごめーん」

聞こうとしなくても聞こえてくる二人の会話に、優樹は心臓がバクバクしてきた。

(今日は清水さんの誕生日なのか! 優くんと水族館に行く日だよな。どうしよう、クライアント訪問……)

どうしようもこうしようもないのに、ソワソワと落ち着かなくなる。

(クライアントとの約束は15時。優くんとの待ち合わせは何時なんだ? 間に合うのか?)

直接聞いてみるべきか、いや、そんなことは出来ない。
とにかくなるべく早く打ち合わせを終えなければ。

優樹は妙な使命感を胸に、ドキドキしながら仕事をこなしていった。