「オーケー。じゃあ、スタンバイいいかな。撮影はじめようか」
現場のスタッフさんたちがいっせいに「はい!」と声をあげた。
私もつられて「はっ、はい」なんて上ずった声を上げる。
後ろで聞いていた柳原くんにクスクス笑われてしまった。
うう、だってしょうがないじゃん。
私は今までしたこともない大人っぽいメイクをして、したこともない可愛いツインテールをしている。耳上の位置だから、なんだかこれも子どもっぽ過ぎなくて上級者って感じなんだ。
そして黒いハットに、オーバーサイズぎみのロゴTシャツ、スポーティーな印象のレギンス、ごつめの厚底スニーカー。
こんな服装、したことないよ。なんだか自分じゃないみたい。
ドキドキして、頭のなかが真っ白だよ。
初めての撮影、初めてのモデル、初めての大人の世界。
一般人の私にはとてもじゃないけど想像もつかなかったことが、今起きている。いまだに信じられないよ。
それもこれももとはと言えば、モデル並みの顔を持つ式見木蓮のせい。
私はその火の子をはからずも浴びちゃっただけ。
本来、こんなきらきらした場所に私がいるわけないんだよ。
「じゃあ、百里ちゃん。あそこのまえに、竜胆くんと立ってくれる」
「はっ、はい!」
白いスクリーンの前に誘導され、私はいよいよ始まるんだといよいよ体が固まってしまう。
なんとかその場に立ってみると、もう景色がスゴイ。何台ものライトに、大人の数。ロボットみたいなカメラを持った人。さっきまで普通に話していたお兄さんも、今ではキチンとプロの目つきになっている。
奥のほうで柳原くんが手を振ってるけど、もうそれに振り返す気力はない。
そういえば私、ポージングの練習したんだっけ。
でも、どんなことをしたのか思い出せない。
結局こうなんだ。どれだけ練習しても、こうなってた。
私みたいな、ドジで挙動不審なやつがモデルなんかできるわけないんだよ。
あーあ。式見の言う通りだったな。
「じゃあ、気楽にポーズとってこっか」
「えっ」
「まず、ピースから。ほら、カメラにいっしょに向かってピースしよ」
ぴ、ピースなんていいの?
そんなのモデルじゃなくて、ただの記念撮影じゃん。
「いいねえ、じゃあ二人とも笑って! はい、ピース!」
カメラマンさんの声に、とっさに私はピースをする。
でも、うまく笑えない。
「ねえ、あそこ見て」
「え?」
小林くんが、天井を指さす。
そこには、ひもでぶら下がった豚のぬいぐるみ。しかも……。
「な、なんで羽が生えてて、ラッパを吹いているのっ?」
「このスタジオの守り神だってさ」
「ええっ、どんな守り神っ?」
――パシャ!
カメラのシャッター音。
あっ。私……今、自然に笑えてた。
すごいな、小林くん。私の緊張を解いてくれてたんだ。
それからは、少しだけ緊張しながらもなんとか希望のポージングを取ることができるようになってた。
何回もポーズを変え、こんなに顔の筋肉使ったことあるかなってくらい笑顔を作った。
でも、ちょっとだけ楽しいって思えた。
小林くんが、隣にいて心強かったのもある。
式見がいなくなっちゃって、不安だったってのもあるけど。
式見、今何してるかなあ。
「それじゃあ、最後にラブラブショット、行こうか」
「ら、ラブラブッ?」
カメラマンさんの言葉に、私はつい声を上げてしまった。
「モデル同士のイチャイチャショットって、読者に受けるんだよ。これは、モデルの色んな一面を見せることで、読者のなかで【推し】を作ってもらうためなんだ。そうすることで、読者といっしょに記事を、雑誌を作り、盛り上げていく。雑誌の目玉のひとつだね。【今日の自分の推しを確認するために雑誌を買ってもらう】。これも一つの戦略なんだ。読者の推しになれるように、いっしょにがんばろう!」
仕事の目つきになっているお兄さん。
いや、これは本気だ。
スタッフさんたちもさっきまで以上に衣装やメイク直しに気合が入っている。
イチャイチャショットはそれだけ大切なものなんだろうな。
でも、初めて会ったばかりの小林くんとどうやってイチャイチャすればいいんだろう。
私、彼氏すらできたことないのに。
「んじゃあ、まずは手をつないで見つめあってみて」
戸惑う私をよそに、小林くんにサッと恋人つなぎをされてしまう。
んええええ、一気に緊張が戻ってきちゃったよ。
体がだんだん熱くなってくる。やばい、手に汗かいちゃうよ。
「はい。じゃあ次は、百里ちゃんが竜胆くんの腕に手を回して」
ひええええ、ムリムリそんなの。
心臓がバックバクなの、気づかれる。
てか、恋人でもないのにそんなことできないって。
「おい、早く。みんな仕事なんだから。緊張してる場合じゃないよ」
小林くんの言葉に、ハッとする。
そうだよね。私はともかく、大人の皆さんは仕事なんだもん。
これ以上、私なんかのために時間とらせるわけにはいかないよね。
私は意を決して、右手を小林くんの左腕に回した。そして、左手を腰に回し、小林くんを見上げる。
ポージング動画のラスト辺りでみた、ふたりでするときのおすすめポーズ。視線を合わせることで、仲のよさを表現できるって言ってたのを思い出したのだ。
「うん、いいね。その調子!」
カメラマンさんが褒めてくれた。
よおし、一気に自信が戻ってきたぞお。
「じゃあ、ラスト! ふたりで自由にポージングしてみてくれる?」
きたあああ、自由にポージング! 来ると思ってたよ!
よ、よーし。動画で見たポージングをありったけ披露していくしかない。
なんとかしぼりだせ、私の脳みそ!
「百里」
「何。今、ポージングを思い出してるんだから」
「いや、二人でのカットなんだからさ。気持ち合わせないと」
小林くんの言葉に、「あっ」と声をもらす。
そうだった。また一人で突っ走るところだった。
今は小林くんと息を合わせないと。
「緊張するしで、早く終わらせたいんでしょ」
「ま、まあ。もう手汗すごいし」
「この場の全員が納得するポージング教えてあげようか。それやったら、カメラマンも納得して、グーサインしてくれるよ」
「そんなポーズがあるの? やるやる、すぐやる」
「オッケー。言ったな」
ニヤリといたずらっぽく笑む小林くん。
私は内心でホッと胸をなで下ろした。
いい思い出にはなったけど、もう二度目は無理かもね。
撮影が終わったらさっさと柳原くんに言っちゃおう。
モデルは私には向いてないかも、って。
だから、小林くんが言うポーズをした、もうこれで――。
「息、止めてね」
「え?」
小林くんの手が、腰に回る。
パシャパシャとシャッターの切られる音がする。
私のアゴに小林くんの手が添えられて、顔の角度を変えられた。ライトがまぶしい。
待って、何しようとしてるの。
これは。待って、ねえこれ。
小林くん、キスしようとしてないッ?
「ま、ままま、ちょ」
ささやき声で抗議すると、小林くんも小さな声で返してきた。
「何」
「なんで、なに、なにして」
「キスショット。これは受けるよ。大丈夫、するマネだから」
「そ、そうなの?」
「誤って、しちゃったらごめんね」
「はっ? なに言って、そんなん」
焦っている柳原くんがお兄さんに何か言ってるのが見えた。
でも、お兄さんは大人の顔をして聞き入れるようすがない感じ。
待ってよ。私、キスなんてしたくないし。
だって、小林くんはさっき会ったばかりの男の子なんだよ。
するマネだって言うけど、小林くんのくちびるには悪魔みたいないたずらっぽい笑みが浮かんでる。
いや、こいつ信用できない!
あいさつしたばかりの時も、よくわからない言い分をぶつけられたし。
ハッ、その時の腹いせをしようとしてる?
うそうそうそうそ、こんなんで憂さ晴らしは勘弁してくれー!
「何してんの?」
その時、私の後ろから、聞き覚えのあるかったるそうな声が聞こえてきた。
小林くんの驚いている顔。
周りも騒然としてる。
そりゃそうだよね。だって撮影現場に、見知らぬ男の子が飛び入りしてきたんだもん。
まあ、私は知った顔のやつなんだけど。
「式見。何してるの」
「それはこっちのセリフなんだけど」
「いや、今撮影中」
「その男、誰?」
「こ、小林くん……」
めちゃくちゃだるそうな式見と、超絶不機嫌そうな小林くんが私の頭の上でにらみ合っている。
そして、なぜかシャッターの音が鳴りやまない。
なんでこの瞬間も撮り続けてるんだろう。
ひそひそ声がどこからともなく聞こえてきた。
「これはおいしいシチュエーションかも……」
「平凡女子と、イケメン二人の逆ハーレムショットで企画いける……!」
「飛び入りのあの子、画面映えやばいよ。加工なしで十分!」
わあ、みんな式見の登場に沸いてるんだ。
普通ならこんな状況、スタッフさんにつまみだされそうなのに。
さすが式見。
「ねえ、百里。聞いてるの」
「な、なんなの」
「心配した」
「え?」
急に悲しそうな顔で、何言い出すの。
式見の長いまつげが、ふわっと伏せられて。
その物憂げな表情に、一気にカメラのシャッターが切られてる。
誰から見ても、きれいな美少年。その隣には平平凡凡な私。
でも、そんな式見の視線は私だけに向けられている。
「その男に、変なことされてるんじゃないかと思って」
「小林くんのこと? この人は一緒にモデルをやってくれてただけで」
「キスされそうになってた」
「いや、それは」
する、フリだけ。のハズ、だったよね。
そりゃ一瞬だけ小林くんのこと、信用できないって思ったけど。
でも結局は、されなかったわけだし。
式見が乱入してくたおかげ……で。
そっか。
式見のおかげで、助かったんだ。私。
「あのさあ。アンタ誰?」
私と式見の間に、小林くんがわりこんでくる。
「今、撮影中」
「何も注意されてないけど? ほら、みんな構わず仕事続けてるじゃん」
式見はさっきと変わらず撮影を続けているスタッフさんたちを指さす。
図星を指されて、小林くんは悔しそうに言葉をつまらせた。
「さっきまでは俺と百里で楽しくやってたのにさ。あんたの乱入でも百里の笑顔が消えちゃったの。わかる? アンタが百里をこんな戸惑った顔にさせてんだよ」
小林くんが私のほっぺたをツンと突いてくる。
そりゃ、式見が急にあんな悲しそうな顔をするから、戸惑った顔をしてたかもしれないけど。
それを式見のせいだなんて、私は思ってないよ。
でも小林くんの言葉に、式見はジッと私を見つめて言った。
「確かに、百里は俺の前で笑ってくれたこと、ほとんどないから」
式見は辛そうに、そうつぶやいた。
「百里は、俺といて楽しくないんだよね」
「そんなこと……」
「むりやり友達にしたって、ダメだよね。いつかは、笑ってくれるかなって思ってたけど。でも、ダメなんだよ。百里に対してだけは、俺が素直になれないから」
「式見……?」
こんな顔の式見、見たことない。
式見ってば、どうしちゃったの?
いつもの毒舌で皮肉屋の式見はどこいっちゃったの。
本当は、そんなこと考えてたの……?
「オッケー!」
とたん、カメラマンさんの声が上がる。
「いやあ、いい写真いっぱい取れたよ。これば編集作業が忙しくなりそうだ。それにしても、いい表情を引き出すために台本まで用意するなんて、新しい試みだね。新人さんにはこれくらいのがやりやすいのかな。柳原さん、やるねえ!」
柳原くんのお兄さんの背中をバンバン叩きながら、カメラマンさんは嬉しそうだ。
いや、これ台本だと思われてたんだ。
というか、私たちの会話、聞かれちゃってたんだよね。
なんか、恥ずかしい。
でも式見は少しも気にしてる様子はない。
小林くんはと言うと、さっさと現場を後にしてしまっていた。
悪いこと、しちゃったかな。撮影の邪魔、だったよね。
謝りに行ったほうが、いいのかな。
「百里。もうあいつのこと考えるの止めて」
「あいつって、誰のこと」
式見を見上げると、あからさまない嫌そうな表情になっていた。
「小林、とかいうやつのことに決まってるでしょ。頭悪いの」
「はあ。なんで? 撮影の邪魔しちゃったし、謝るくらいはしたほうがいいかなって思ってただけ」
「なんで百里が謝るの。謝る人間、違うじゃん。百里は謝る必要ないでしょ」
「だって、式見は謝らないでしょ」
「当たり前じゃん。なんで俺が謝らないといけないの」
「じゃあ、私が謝るしかないじゃん」
「だから、百里が謝るのは違うでしょ。なんで百里がそんなことすんの」
ああ、もう平行線。
こうなったらどうやったって、式見が意思を曲げることはないんだよね。
「はいはい。お二人さん、お疲れさま。ほい、差し入れ」
柳原くんがポン、と式見の肩を叩いた。
式見に、缶コーヒー。私に、缶のカフェオレを差し出してくれる。
「今日はありがとな。また、頼むかもだけど」
「もう来ない。絶対来ない」
式見がキッパリと答えると、柳原くんは「やっぱりか」と苦笑する。
「今回のが雑誌に載ったらSNSで絶対に話題になるぞ。ファンができるぞ。式見にも、花井にも。生活が一変するかもな」
「じゃあ、載せないでくれる?」
「……それはムリ。兄貴がもうさっそくやる気モードになってるし。ああなったら人の話聞かないんだよ」
ちょっと待って。人の話聞かない人、多すぎない?
パソコンに向かって、写真のデータを見ている大人たち。
みんなその表情は真剣そのものだ。
「式見。なんで戻ってきたんだよ。そのせいで、兄貴も他の大人たちも、目の色かわったぞ。突然、現場にイケメンが登場したってさ」
「後半は知ったこっちゃないけど」
「じゃあ、なんで戻ってきた?」
「……百里を置いて来ちゃったなあ、って思ったから。連れて帰ろうと思って」
何その言い分。
柳原くんと視線が合って、二人して笑いあってしまった。
それに、式見はまた不機嫌そうに口をとがらせる。
「ねえ、もうムリだからさ。帰っていいよね」
そう言って、私の手をつかんだ。
「ちょっと式見。着替えないと」
「じゃあ、さっさと着替えてくれる。……そこで、待ってるから」
「わ、わかった……」
何だか、心臓がうるさいかも知れない。
式見の視線が、熱っぽくて。私の顔がどんどん真っ赤になっていくのを感じる。
柳原くんが、こそっと耳打ちをしてきた。
「花井。式見とのツーショット写真、いる?」
「えっ?」
「さっき、こそっとスマホで撮ってさ。そこのプリンターでそっこう印刷してみた。素人撮影だけどさ、なんとなくよくね?」
柳原くんが撮ってくれた写真のなかには、私と式見がいて。
困り顔の私を式見がジッと見つめていた。
最近見る、式見のその表情。
それは写真で見ると、また違って見えた。
いつもは、その瞳に見つめられるとドキドキして、何も考えられなくなってしまっていた。
でも、写真を見た今、式見のその瞳の意味に気づいてしまった。
式見が私を見つめる、その瞳の意味がなんなのか、わかってしまったんだ。
現場のスタッフさんたちがいっせいに「はい!」と声をあげた。
私もつられて「はっ、はい」なんて上ずった声を上げる。
後ろで聞いていた柳原くんにクスクス笑われてしまった。
うう、だってしょうがないじゃん。
私は今までしたこともない大人っぽいメイクをして、したこともない可愛いツインテールをしている。耳上の位置だから、なんだかこれも子どもっぽ過ぎなくて上級者って感じなんだ。
そして黒いハットに、オーバーサイズぎみのロゴTシャツ、スポーティーな印象のレギンス、ごつめの厚底スニーカー。
こんな服装、したことないよ。なんだか自分じゃないみたい。
ドキドキして、頭のなかが真っ白だよ。
初めての撮影、初めてのモデル、初めての大人の世界。
一般人の私にはとてもじゃないけど想像もつかなかったことが、今起きている。いまだに信じられないよ。
それもこれももとはと言えば、モデル並みの顔を持つ式見木蓮のせい。
私はその火の子をはからずも浴びちゃっただけ。
本来、こんなきらきらした場所に私がいるわけないんだよ。
「じゃあ、百里ちゃん。あそこのまえに、竜胆くんと立ってくれる」
「はっ、はい!」
白いスクリーンの前に誘導され、私はいよいよ始まるんだといよいよ体が固まってしまう。
なんとかその場に立ってみると、もう景色がスゴイ。何台ものライトに、大人の数。ロボットみたいなカメラを持った人。さっきまで普通に話していたお兄さんも、今ではキチンとプロの目つきになっている。
奥のほうで柳原くんが手を振ってるけど、もうそれに振り返す気力はない。
そういえば私、ポージングの練習したんだっけ。
でも、どんなことをしたのか思い出せない。
結局こうなんだ。どれだけ練習しても、こうなってた。
私みたいな、ドジで挙動不審なやつがモデルなんかできるわけないんだよ。
あーあ。式見の言う通りだったな。
「じゃあ、気楽にポーズとってこっか」
「えっ」
「まず、ピースから。ほら、カメラにいっしょに向かってピースしよ」
ぴ、ピースなんていいの?
そんなのモデルじゃなくて、ただの記念撮影じゃん。
「いいねえ、じゃあ二人とも笑って! はい、ピース!」
カメラマンさんの声に、とっさに私はピースをする。
でも、うまく笑えない。
「ねえ、あそこ見て」
「え?」
小林くんが、天井を指さす。
そこには、ひもでぶら下がった豚のぬいぐるみ。しかも……。
「な、なんで羽が生えてて、ラッパを吹いているのっ?」
「このスタジオの守り神だってさ」
「ええっ、どんな守り神っ?」
――パシャ!
カメラのシャッター音。
あっ。私……今、自然に笑えてた。
すごいな、小林くん。私の緊張を解いてくれてたんだ。
それからは、少しだけ緊張しながらもなんとか希望のポージングを取ることができるようになってた。
何回もポーズを変え、こんなに顔の筋肉使ったことあるかなってくらい笑顔を作った。
でも、ちょっとだけ楽しいって思えた。
小林くんが、隣にいて心強かったのもある。
式見がいなくなっちゃって、不安だったってのもあるけど。
式見、今何してるかなあ。
「それじゃあ、最後にラブラブショット、行こうか」
「ら、ラブラブッ?」
カメラマンさんの言葉に、私はつい声を上げてしまった。
「モデル同士のイチャイチャショットって、読者に受けるんだよ。これは、モデルの色んな一面を見せることで、読者のなかで【推し】を作ってもらうためなんだ。そうすることで、読者といっしょに記事を、雑誌を作り、盛り上げていく。雑誌の目玉のひとつだね。【今日の自分の推しを確認するために雑誌を買ってもらう】。これも一つの戦略なんだ。読者の推しになれるように、いっしょにがんばろう!」
仕事の目つきになっているお兄さん。
いや、これは本気だ。
スタッフさんたちもさっきまで以上に衣装やメイク直しに気合が入っている。
イチャイチャショットはそれだけ大切なものなんだろうな。
でも、初めて会ったばかりの小林くんとどうやってイチャイチャすればいいんだろう。
私、彼氏すらできたことないのに。
「んじゃあ、まずは手をつないで見つめあってみて」
戸惑う私をよそに、小林くんにサッと恋人つなぎをされてしまう。
んええええ、一気に緊張が戻ってきちゃったよ。
体がだんだん熱くなってくる。やばい、手に汗かいちゃうよ。
「はい。じゃあ次は、百里ちゃんが竜胆くんの腕に手を回して」
ひええええ、ムリムリそんなの。
心臓がバックバクなの、気づかれる。
てか、恋人でもないのにそんなことできないって。
「おい、早く。みんな仕事なんだから。緊張してる場合じゃないよ」
小林くんの言葉に、ハッとする。
そうだよね。私はともかく、大人の皆さんは仕事なんだもん。
これ以上、私なんかのために時間とらせるわけにはいかないよね。
私は意を決して、右手を小林くんの左腕に回した。そして、左手を腰に回し、小林くんを見上げる。
ポージング動画のラスト辺りでみた、ふたりでするときのおすすめポーズ。視線を合わせることで、仲のよさを表現できるって言ってたのを思い出したのだ。
「うん、いいね。その調子!」
カメラマンさんが褒めてくれた。
よおし、一気に自信が戻ってきたぞお。
「じゃあ、ラスト! ふたりで自由にポージングしてみてくれる?」
きたあああ、自由にポージング! 来ると思ってたよ!
よ、よーし。動画で見たポージングをありったけ披露していくしかない。
なんとかしぼりだせ、私の脳みそ!
「百里」
「何。今、ポージングを思い出してるんだから」
「いや、二人でのカットなんだからさ。気持ち合わせないと」
小林くんの言葉に、「あっ」と声をもらす。
そうだった。また一人で突っ走るところだった。
今は小林くんと息を合わせないと。
「緊張するしで、早く終わらせたいんでしょ」
「ま、まあ。もう手汗すごいし」
「この場の全員が納得するポージング教えてあげようか。それやったら、カメラマンも納得して、グーサインしてくれるよ」
「そんなポーズがあるの? やるやる、すぐやる」
「オッケー。言ったな」
ニヤリといたずらっぽく笑む小林くん。
私は内心でホッと胸をなで下ろした。
いい思い出にはなったけど、もう二度目は無理かもね。
撮影が終わったらさっさと柳原くんに言っちゃおう。
モデルは私には向いてないかも、って。
だから、小林くんが言うポーズをした、もうこれで――。
「息、止めてね」
「え?」
小林くんの手が、腰に回る。
パシャパシャとシャッターの切られる音がする。
私のアゴに小林くんの手が添えられて、顔の角度を変えられた。ライトがまぶしい。
待って、何しようとしてるの。
これは。待って、ねえこれ。
小林くん、キスしようとしてないッ?
「ま、ままま、ちょ」
ささやき声で抗議すると、小林くんも小さな声で返してきた。
「何」
「なんで、なに、なにして」
「キスショット。これは受けるよ。大丈夫、するマネだから」
「そ、そうなの?」
「誤って、しちゃったらごめんね」
「はっ? なに言って、そんなん」
焦っている柳原くんがお兄さんに何か言ってるのが見えた。
でも、お兄さんは大人の顔をして聞き入れるようすがない感じ。
待ってよ。私、キスなんてしたくないし。
だって、小林くんはさっき会ったばかりの男の子なんだよ。
するマネだって言うけど、小林くんのくちびるには悪魔みたいないたずらっぽい笑みが浮かんでる。
いや、こいつ信用できない!
あいさつしたばかりの時も、よくわからない言い分をぶつけられたし。
ハッ、その時の腹いせをしようとしてる?
うそうそうそうそ、こんなんで憂さ晴らしは勘弁してくれー!
「何してんの?」
その時、私の後ろから、聞き覚えのあるかったるそうな声が聞こえてきた。
小林くんの驚いている顔。
周りも騒然としてる。
そりゃそうだよね。だって撮影現場に、見知らぬ男の子が飛び入りしてきたんだもん。
まあ、私は知った顔のやつなんだけど。
「式見。何してるの」
「それはこっちのセリフなんだけど」
「いや、今撮影中」
「その男、誰?」
「こ、小林くん……」
めちゃくちゃだるそうな式見と、超絶不機嫌そうな小林くんが私の頭の上でにらみ合っている。
そして、なぜかシャッターの音が鳴りやまない。
なんでこの瞬間も撮り続けてるんだろう。
ひそひそ声がどこからともなく聞こえてきた。
「これはおいしいシチュエーションかも……」
「平凡女子と、イケメン二人の逆ハーレムショットで企画いける……!」
「飛び入りのあの子、画面映えやばいよ。加工なしで十分!」
わあ、みんな式見の登場に沸いてるんだ。
普通ならこんな状況、スタッフさんにつまみだされそうなのに。
さすが式見。
「ねえ、百里。聞いてるの」
「な、なんなの」
「心配した」
「え?」
急に悲しそうな顔で、何言い出すの。
式見の長いまつげが、ふわっと伏せられて。
その物憂げな表情に、一気にカメラのシャッターが切られてる。
誰から見ても、きれいな美少年。その隣には平平凡凡な私。
でも、そんな式見の視線は私だけに向けられている。
「その男に、変なことされてるんじゃないかと思って」
「小林くんのこと? この人は一緒にモデルをやってくれてただけで」
「キスされそうになってた」
「いや、それは」
する、フリだけ。のハズ、だったよね。
そりゃ一瞬だけ小林くんのこと、信用できないって思ったけど。
でも結局は、されなかったわけだし。
式見が乱入してくたおかげ……で。
そっか。
式見のおかげで、助かったんだ。私。
「あのさあ。アンタ誰?」
私と式見の間に、小林くんがわりこんでくる。
「今、撮影中」
「何も注意されてないけど? ほら、みんな構わず仕事続けてるじゃん」
式見はさっきと変わらず撮影を続けているスタッフさんたちを指さす。
図星を指されて、小林くんは悔しそうに言葉をつまらせた。
「さっきまでは俺と百里で楽しくやってたのにさ。あんたの乱入でも百里の笑顔が消えちゃったの。わかる? アンタが百里をこんな戸惑った顔にさせてんだよ」
小林くんが私のほっぺたをツンと突いてくる。
そりゃ、式見が急にあんな悲しそうな顔をするから、戸惑った顔をしてたかもしれないけど。
それを式見のせいだなんて、私は思ってないよ。
でも小林くんの言葉に、式見はジッと私を見つめて言った。
「確かに、百里は俺の前で笑ってくれたこと、ほとんどないから」
式見は辛そうに、そうつぶやいた。
「百里は、俺といて楽しくないんだよね」
「そんなこと……」
「むりやり友達にしたって、ダメだよね。いつかは、笑ってくれるかなって思ってたけど。でも、ダメなんだよ。百里に対してだけは、俺が素直になれないから」
「式見……?」
こんな顔の式見、見たことない。
式見ってば、どうしちゃったの?
いつもの毒舌で皮肉屋の式見はどこいっちゃったの。
本当は、そんなこと考えてたの……?
「オッケー!」
とたん、カメラマンさんの声が上がる。
「いやあ、いい写真いっぱい取れたよ。これば編集作業が忙しくなりそうだ。それにしても、いい表情を引き出すために台本まで用意するなんて、新しい試みだね。新人さんにはこれくらいのがやりやすいのかな。柳原さん、やるねえ!」
柳原くんのお兄さんの背中をバンバン叩きながら、カメラマンさんは嬉しそうだ。
いや、これ台本だと思われてたんだ。
というか、私たちの会話、聞かれちゃってたんだよね。
なんか、恥ずかしい。
でも式見は少しも気にしてる様子はない。
小林くんはと言うと、さっさと現場を後にしてしまっていた。
悪いこと、しちゃったかな。撮影の邪魔、だったよね。
謝りに行ったほうが、いいのかな。
「百里。もうあいつのこと考えるの止めて」
「あいつって、誰のこと」
式見を見上げると、あからさまない嫌そうな表情になっていた。
「小林、とかいうやつのことに決まってるでしょ。頭悪いの」
「はあ。なんで? 撮影の邪魔しちゃったし、謝るくらいはしたほうがいいかなって思ってただけ」
「なんで百里が謝るの。謝る人間、違うじゃん。百里は謝る必要ないでしょ」
「だって、式見は謝らないでしょ」
「当たり前じゃん。なんで俺が謝らないといけないの」
「じゃあ、私が謝るしかないじゃん」
「だから、百里が謝るのは違うでしょ。なんで百里がそんなことすんの」
ああ、もう平行線。
こうなったらどうやったって、式見が意思を曲げることはないんだよね。
「はいはい。お二人さん、お疲れさま。ほい、差し入れ」
柳原くんがポン、と式見の肩を叩いた。
式見に、缶コーヒー。私に、缶のカフェオレを差し出してくれる。
「今日はありがとな。また、頼むかもだけど」
「もう来ない。絶対来ない」
式見がキッパリと答えると、柳原くんは「やっぱりか」と苦笑する。
「今回のが雑誌に載ったらSNSで絶対に話題になるぞ。ファンができるぞ。式見にも、花井にも。生活が一変するかもな」
「じゃあ、載せないでくれる?」
「……それはムリ。兄貴がもうさっそくやる気モードになってるし。ああなったら人の話聞かないんだよ」
ちょっと待って。人の話聞かない人、多すぎない?
パソコンに向かって、写真のデータを見ている大人たち。
みんなその表情は真剣そのものだ。
「式見。なんで戻ってきたんだよ。そのせいで、兄貴も他の大人たちも、目の色かわったぞ。突然、現場にイケメンが登場したってさ」
「後半は知ったこっちゃないけど」
「じゃあ、なんで戻ってきた?」
「……百里を置いて来ちゃったなあ、って思ったから。連れて帰ろうと思って」
何その言い分。
柳原くんと視線が合って、二人して笑いあってしまった。
それに、式見はまた不機嫌そうに口をとがらせる。
「ねえ、もうムリだからさ。帰っていいよね」
そう言って、私の手をつかんだ。
「ちょっと式見。着替えないと」
「じゃあ、さっさと着替えてくれる。……そこで、待ってるから」
「わ、わかった……」
何だか、心臓がうるさいかも知れない。
式見の視線が、熱っぽくて。私の顔がどんどん真っ赤になっていくのを感じる。
柳原くんが、こそっと耳打ちをしてきた。
「花井。式見とのツーショット写真、いる?」
「えっ?」
「さっき、こそっとスマホで撮ってさ。そこのプリンターでそっこう印刷してみた。素人撮影だけどさ、なんとなくよくね?」
柳原くんが撮ってくれた写真のなかには、私と式見がいて。
困り顔の私を式見がジッと見つめていた。
最近見る、式見のその表情。
それは写真で見ると、また違って見えた。
いつもは、その瞳に見つめられるとドキドキして、何も考えられなくなってしまっていた。
でも、写真を見た今、式見のその瞳の意味に気づいてしまった。
式見が私を見つめる、その瞳の意味がなんなのか、わかってしまったんだ。



