氷上のキセキ Vol.1 ~リンクに咲かせるふたりの桜~【書籍化】

「いくぞ、結。ワンツー、スリー、アップ!」

17歳の春。
私はいつもの桜の木の下で、晶に高くリフトされていた。

両手をつなぎ、晶が私を回転させながら持ち上げるラッソーリフトで、私がアクセルジャンプのような踏み切りで飛び上がるため、アクセルラッソーと呼ばれている。

私たちはいつの間にか、そんな難しいリフトもこなせるようになっていた。

開脚して高く上がり切ると、私は右手だけでバランスを取り、左手を宙に差し出す。

「キャッチ! 取れたかも」
「じゃあ下ろすぞ。せーの」

トンと地面に下りると、私は左手を開いてみた。

「あった!」
「ほんとだ」

手のひらに載せた桜の花びらに、私たちは微笑み合う。
私の右手薬指には、晶から贈られたあの指輪が光っていた。

全日本ジュニア選手権大会で優勝した私たちは、年明けの世界ジュニアフィギュアスケート選手権大会にも出場し、銅メダルを獲得した。

結成1年目で世界3位になれたのは、フリーのプログラム『さくらのうた』のおかげかもしれない。
晴也先生が「海外でも日本らしい曲はアピールできる」と言っていた言葉通り、外国のジャッジも観客も、このプログラムを絶賛してくれた。

選曲の時点で既に、晴也先生が世界選手権を見据えていたのには驚いたけれど……。

それより驚いたのは、大会が終わって帰国した時だった。
出発の時は誰にも声をかけられなかったのに、空港に着いた途端、私たちは大勢のマスコミに取り囲まれたのだ。

しかも『木谷・関口組』のはずが、誰がつけたのか『キセキの結晶ペア』と呼ばれるようになっていた。
まあ、私たちの成績がまぐれとか奇跡だと思われるのも無理はないけれど……。

そんなこんなでしばらくは取材を受けたりと慌ただしく、さらに私も晶も高校の学年末テストで大変だった。

無事に3年生への進級が決まり、取材も落ち着いた頃、人心地ついた私たちはようやく喜びを噛みしめる。
まるで祝福してくれるように、桜の花も満開になった。