Sapphire Lagoon[サファイア・ラグーン1作目]

◆時点は終章二部及び【δ】の後、【α】の前になります。

 かなり甘々ですが、これでこそあの二人なのかも?






 サラサラと奏でる()()れの()が、幸せに満ちた二人を木洩れ日に煌めく森へと招き入れていた。

「少し散歩でもしておいで。明日の式の準備もあるから、三時までには戻ってくるんだよ」

 ジョルジョの言葉に頷いたルーラとアメルは、ルイーザやラウラの微笑みに見送られ、足取りも軽く背を向けた。

 テーアから渡された小さなバスケットを手に、アメルは少し距離を置いてルーラと肩を並べていた。空気だけで水の存在しない木立の中、隣を見れば美しい脚線をした二本の足で歩く彼女がいるなんて──まるで夢のようで、何処かフワフワとしたおぼつかない歩みに感じられながら、前を向いて一生懸命に歩いていた。

「あ、あの木の向こうがこの丘のてっぺんよ。とても見晴らしが良いの」

 突然視界に入った指先と、宝物を見つけたようなルーラの明るい横顔、そしてこれから見えるであろう絶景のある前方に再び顔を向ける。途端右手が握られて、彼女の駆け出す腕に引かれるように後を追った。アーチ状にめぐらされた木々の天蓋の下、温かな掌に包まれて向かう光への路は、まるで明日の幸せなひと時を思わせるような、いつになく輝かしい世界だった。



「……ぅわっ……」

 一気に広がった空と眼下の樹海に目を突かれて、思わず手を(かざ)す。しばし瞬かせた(まなこ)が近付く金色に()まった時、少しだけ時間が止まり、ゆったりと流れ始めた感じがした。



「ね、綺麗でしょ?」

 目の前で自分を見上げる彼女の笑顔が、背後の青と緑を見ようとした刹那、アメルはルーラを抱き締めていた。

「ア……メル……?」

 胸の中で小さく疑問を呟いたルーラであったが、その答えは求めずに彼の抱擁に身を任せた。両手をアメルの背中に回し、同じくらいの強さで抱き締める。お互いの体温がとても心地良く、立ったままでも眠りに落ちてしまいそうだと思った。

「ありがとう……ルーラ」

 頭上から聞こえてくる声に、そして見下ろすふんわりとした巻き毛に、二人は離れていた月日の長さを改めて感じた。船上で別れの挨拶をした時には、もっと近くにあった頬がこんなにも遠い──それでもきっと心は近付いている。

 アメルはルーラがそっと頭を上げたことに気付いて、前髪を傍らに寄せ、丸みのある額に口づけをした。それから彼女は満足したように彼を強く抱き締めた。唇でのキスは、明日の誓いの口づけのために取っておきたいのだろうと、アメルはただそう思った。

「いい景色だね」

 彼女を少しだけ自由にして正面の風景に目を向けたアメルは、感慨深く(ささや)いた。こうして陸上を一緒に見られるなんて、思いもよらなかった出来事だ。

「でも……どうせなら海が見えたら、って思ったりもするの」

 背に当てていた手を彼の腰に置いて、ルーラは振り向きながら微かに寂しそうな顔をした。

「あ、それなら……」

 ──僕の家からは、海が見えるよ。

 そう告げようとした唇を慌ててつぐむ。どうせなら驚かせようか? きっとルーラのとびきり喜ぶ顔が見られるに違いない。

「え?」
「う、ううん……何でもない……けど……ご、ごめんっ、ルーラ!」
「??」

 突然笑い始めたアメルに、ルーラは目を丸くした。何かに(こら)えるように背を丸くした後に、いきなりルーラの両手を握った。

「はー……えーと、ごめんね……ちょっとくすぐったかったんだ」
「くすぐったい?」

 高揚した頬を恥ずかしがるように、バスケットを提げたままの左手で後頭部を少し掻いてみせたが、照れ隠しするように右往左往する右手は、行き場を失ったように泳いでいた。

「あ、ここを触られると、くすぐったいの?」

 と、ルーラが再びアメルの腰に手を戻す。焦ったアメルは一歩後ろへ飛び退()いて、意地悪な笑顔を作ったルーラの追跡から逃げ出した。

「ダメだよ! 本当にくすぐったいんだって……! ル、ルーラ!!」
「ちょっとだけ! アメルの弱点なんて初めてだものっ」

 バスケットを抱えて走るアメルを、ルーラは笑いながら追った。こうしてきっと色々なアメルを知っていくのだと思ったら、尚一層嬉しさが溢れ出した。

「お、お願いだから……わっ!」
「きゃっ」

 草叢(くさむら)に足を取られて背中から倒れ込むアメルに、ルーラもまたつまずいてその上に倒れた。

「大丈夫、ルーラ?」
「うん……アメルこそ大丈夫?」
「大丈夫。……じゃないっ! うっ、くく……ルーラっ!」

 腰元に伸ばされた揺らぐ指先に、必死に我慢したアメルだったが、ついに耐え切れず大声を上げて笑う。
 疲れてそのまま寝ころんだ草の青い匂いは清々しく、傍らに寄り添ったルーラの肩に手をやったアメルは、天上の切り取られた空を目に映して、ふとそれを閉じた。

 ──僕の弱点はこんなことじゃない……きっと、君だ……ルーラ。君を失うことが、一番怖い──。

「ねぇ、アメル」

 瞼を開くと、神妙な顔をしたルーラが彼を見上げていた。

「アメルの航海の間、ちゃんとルイーザ母様とお家を守るわ。だから、ね、約束して」
「ルーラ?」

 二人起き上がり、泣きそうな顔をしたルーラの頬に手を当てる。

「絶対戻ってくるって、約束して……アメルのお父様のようにはならないって……!」
「大丈夫だよ」
「……え?」

 再び抱きとめた華奢な身体から、小さく言葉が洩れた。彼女も自分を失うことを怖いと感じたからこそ、そんな確証も得ない約束をしたがったのだと思えば、どれほど愛おしいか知れなかった。

「間違いなく戻ってくるよ……だって、この腕の中に『海の女神(シレーネ)』がいるのだから──」
「あ……」

 自信に満ちたアメルの声に、深く心から落ち着きを取り戻したルーラは、その温かな抱擁の中からにっこりと微笑みを返した。

「何だか……安心したらお腹空いちゃった。アメル、あの、あたしが作ったの。良かったら」
「え……あ、これ?」

 反対の傍らに置かれたバスケットに手を伸ばし、ルーラは少しはにかんだ。

 蓋を開いた中から良い香りがして、アメルもつい口元を緩ませる。中身は南部名物のピニョラータやタラッリだ。
 小さく切った生地に蜂蜜を絡めたピニョラータと、フェンネルシードを練り込んだドーナツ型のタラッリは、どちらも程好く揚げられて、甘さも爽やかさもアメルの好みに良く合い、「美味しい!」という台詞が何度も彼の口から飛び出した。それをご馳走のように耳に運ぶルーラは次第に目を細めて、同じようにそれらをほおばった。

「海草よりも気持ちいい!」

 お腹の満たされた二人は、再び草の上に横になって、お互いの顔を見合わせた。以前のように繋がれた右手と左手が、離れていた時間を取り戻すように、まるで一体化したかの如く同じ温度になった。刻むアメルの鼓動を感じながらルーラは瞳を閉じ、自分の胸の音を聞く。今まで倍以上の命を持っていたこれが、今はアメルと同じ時を数えているのだと思うと、失った人魚の寿命など全く不要なもののように感じられた。

「さ……そろそろ戻らないと……ルーラ?」

 胸の懐中時計をちらりと覗き込んだアメルは、ルーラが眠りに落ちていることに気が付いた。まもなく約束の三時だ。起こさないように気を付けて、彼女を優しく抱き上げ家路へと戻る。ちょうど良い重みが、あの海の底で抱えて歩いた時を思い起こさせた。きっとこうして彼女に触れる度、あの短く長い旅路が鮮明に蘇るのだろうと、懐かしく切なく──そして大切に感じられた。










◆ 拙作を深く深く愛してくださいました素敵な作家様『有明暁』様より、ルーラとアメルの睦まじいイラストを頂きましたので、こちらにてご紹介させていただきます♡

 有明暁様、誠に有難うございました!! アメルを一番のお気に入りと仰っていただいた事、本当に感激でした☆ ルーラが以前の姿とは云え、やはりこのラブラブ振りは此処であろうとこちらを選ばせていただきました♪ 完結は致しましたが、これからもどうぞサファラグと不肖な作者を宜しくお願い致します*

   2014年6月10日 朧 月夜 拝