あの床屋の先の電柱を右に曲がってずっと行くと、誰も通った事がない古い細い道があるんだって。
中学一年の夏休みに入ったばかりで、それだけで舞い上がっていた僕にそう言ってきたのは小学生の頃からの友達の佑樹だった。
佑樹が言うには、その古道はいつもある訳では無いのだが気づいた時には普通に前からあるようなそんな感覚になる不思議な道であるということ。
うーん、何を言ってるのかよく解らない。
だけど、夏休みのギラギラとした陽射しの下ではそんな些細な事などどうでも良かった。
「今から行ってみようよ」
そう言ったのは僕の方だった。
「え、いきなり?」
佑樹は目を丸くした。元々丸いほうの目だったが、それを更に丸くしていた。
佑樹は、大袈裟に手振りしながら今から行っても本当に古道があるかどうか分からないし、半ズボンだから虫に刺されたりするのも嫌だからまた今度にしようと言ったが、それを確かめに行くのが面白いんじゃないかという僕の意見に嫌々ながらも流されて、二人は自転車を漕ぎ出した。
嫌々だったが行くと決まればもう心は踊り始める。あそこの自販機でジュースを買って行こうかなどと、気持ちは早くも冒険に変わっていた。
電柱から右に曲がると両側が藪になっていた。そこを過ぎると林というか森みたいなところに入って行き、両側から緑緑とした枝が道路に覆い被さるように伸びて、まるでアーケードの中のように見えた。僕らは、点々と続く木漏れ日の中を暫くのあいだ軽快に自転車を走らせた。
汗が滲み出ていた半袖の腕は日陰に入るとヒヤッとして気持ちよかったが、背中に張り付いた白いTシャツは剥がれようとはしなかった。
「もう、この辺りじゃないの?」
なかなか現れない古く細い道にしびれを切らしたのは僕の方だった。
「そうだなあ。この辺りでも良さそうなんだけどねえ」
そう言って佑樹はペースダウンして森の中を見渡した。それにつられて僕も森のほうを見ていると、突然に僕は「あっ」と、とてつもなく大きな声を張り上げてしまった。
前を走っていた佑樹が慌てて振り返る。僕はUターンをした。
「どうしたの?」
今度は佑樹が声を張り上げた。
「あった」
「えっ?」
僕と佑樹は自転車を放り投げるように道端に倒すと、見つけた道の入り口に立った。
「ここじゃない?」
そう聞く僕に佑樹は「多分↵・・・」と答えた。
道幅は人一人か一人半が横になった位であろうか。両側が木立なので一層狭く見える。それに、何となく薄暗い。
「どうする?」
佑樹が不安げに僕を見てきた。そう言われると内心僕も迷いが出てきて、「どうしようか?」という言葉が口をついて出ようとしたが、折角ここまで来たのだからという理由で、「何言ってるの。行くに決まってる」とキッパリと言い放った。
佑樹もそれを聞いてバカにされたく無いと思ったのか、「そうだよね」などと強がってみせた。僕らは自転車を引き起こすと、緩やかな上り坂を押しながら入っていった。
鳥のさえずりがあっちこっちから聞こえてくる。木漏れ日は完全に遮断された。
まだかな。そう思った時、道路右側に立てられた石製の高さ1メートル程の道しるべが目に入った。二人は歩を止めると、何だろうこれ?と言いながら書いてある文字を読み始めた。
「十日古道」
そう書いてあった。
「何だろう、これ?」
佑樹が首を傾げた。
「何て読むのかな。とおかこどう?」
そう言いながら他にも何か無いかと見廻したが何も無さそうであった。それでも僕らは一つ見つけた事で何かを達成しつつあるような気になって気持ちが盛り上がった。
「そろそろかな?」
「そろそろだね、きっと」
それから10分ばかり進んだだろうか。向こうから歩いて来る人影が見えた。
「誰か来てる」
古道に入って初めてすれ違おうとする人影に佑樹は不安になったのか、それとも邪魔になるからなのかは分からないが、すっと僕の後方に移動して僕らは縦並びとなった。
「誰かな?」
佑樹が小さな声で言っている。
人影がだんだんと近づいて来た。余り大きな人では無さそうで、それだけで随分と安心できる。もしかして、僕らと同じ年齢位の子かも知れない。そう思うと親近感が芽生えて来た。
人影が目前まで来た。ヨレヨレの麦わら帽子を深く被っている。浴衣かな?紺色の着物っぽい服装を纏っているが端々が酷くくたびれている。僕らは出来るだけ端のほうに寄って道を譲った。人影はお礼を言う訳でもなく、会釈さえせずにそのまま通り過ぎて行った。佑樹がすかさず隣にやって来て、「何、今の?」と聞いて来たが、僕に解るはずもない。
「この辺の農家の人かも」
と、適当に答えた。
「あ、そうか。だからあんな格好してたんだね」
いつの間にか、鳥のさえずりも聞こえなくなっていた。まだ大して時間も経っていないのに、何時間も過ぎたような感覚だ。この先に行ってもきっと何も無いだろうし、そろそろ帰ろうか。そんな気持ちになっていた。それは佑樹も同じだったようで、「もう帰ろうよ」と言ってきた。
帰りは下り坂だ。自転車に跨がればあっという間に元の道まで着いてしまうだろう。僕は自転車を抱えて方向転換した。佑樹もすぐに同じように方向転換した。
「えっ?」
「嘘?何これ」
「道が消えてる」
僕らは啞然とした。二人とも言葉を失った。少し経って佑樹がいきなり騒ぎ始めた。
「ねえ、どうしたらいいの?道が無くなるなんてそんなこと有り得ないって。帰れないよ、マジでどうしたらいいの?あの人何処に行ったの?あの人も消えたの?」
「僕にも解らないよ・・・・」
驚いた。いったいどういう事なんだろう。たった今、ずっと歩いて来たばかりの道が消えてるなんて。そんな馬鹿なことってある訳が無い。他に戻れるような小道でも無いのか、消えた道の方向を調べてみた。
「もう帰れないよ、僕たち。ねえ、どうする?どうしたらいいの?」
佑樹が後ろから僕の肩を押したり引いたり
してくる。
「うるさいなあ」
僕は振り返り佑樹の手を振り払った。
「痛いよ。何するの」
「お前も何か調べろよ。何処かに帰り道があるかも知れないだろ」
僕はイライラした。
「ある訳ないじゃん。僕らが来た道が消えて無くなったんだよ。道なんてもう無いに決まってる」
そう言われて、探すのをやめた。そして、こう言った。
「自転車を捨てて歩いてなら帰れるかも」
それを聞いて佑樹はすぐに反対した。
「嫌だよ。まだ買ったばかりの自転車なんだよ、これ。お母さんに怒られるよ」
そう言いながらサドルをポンポンと何回も叩いている。僕はそれを見ながら樹海のことを考えていた。迷ったら一生出ることが出来なくなるんだろうなあ。それが結論となった。
「仕方がない。先に進もうか」
何が何だかサッパリ解らないまま走っていると、急に前方が開けてきた。両側の木立が草むらに変わり、そして民家らしき建物がいくつか現れてきた。
「家だよ、家」
僕は嬉しくなって度々後ろを振り返った。佑樹も「やったー」と言って右手を振り上げている。
「もうすぐ帰れるよ」
僕は大きな声で叫んだ。後ろから「帰るぞー」って声がした。
凄く大きな木の脇を通り過ぎ、僕らの自転車は快適に走り続けた。道路も大した勾配が無くて、それだからか気持ちも随分と明るくなってノリノリとなってきた。
「喉が渇いてきたー」
祐樹が声を張り上げた。
僕らは一旦自転車を止めることにした。そして、あぜ道みたいな所の草の上に並んで腰を下ろした。
「この辺に自販機ないかなあ」
佑樹の髪の毛が汗でびっしょりになっている。そう言えば、一つも自販機が無かったけど、車も一台さえ見なかったことを思い出した。山の中だから人が少ないのだろうか。
「お店とかでもあればいいのにね」
そんな会話をしていたら、一台の車がこっちへ向かってきた。運転席の屋根にはスピーカーが付いている。なんだ、車いるじゃん。僕は安堵した。
「あれって移動販売車?」
佑樹が言った。
車は僕らの前で止まった。そして運転席の窓が開くと「ここで折り返すんだからそこを退いてくれないかな?」と声がした。やっぱり移動販売車だった。
「ねえ、おじさん。飲み物とかありますか?」
佑樹が尋ねた。
「あるけど」
おじさんは運転席から降りると荷台の方に行ってガラスケースを開けてどれが良いかと聞いてきた。僕らはガラスケースの中を覗いた。
「何これ?」
透明のビニール袋の入り口にストローを差して、そこを輪ゴムで縛ってある色とりどりの物を見てギョッとした。
「そうだよ。どれでも良いよ。好きなもの取りな」
「タダって事?」
「タダでは無いけど、物々交換で良いよ」
今どき物々交換だなんて、変なことをいうオジサンだなと僕は思ったが、佑樹は既に全てのポケットの中を確認していた。
「何も無い」
佑樹がガッカリしている。僕は、お金で払うからいくらかと聞いてみた。
「お金なんて要らないよ。そんな使えないもの貰ったって仕方が無いからな」
オジサンはショーケースを閉めて運転席に戻りながら手で僕らを追い払うような仕草をしてみせた。
「ねえ、オジサン」
「何だ?」
運転席のドアに右手を掛けたままオジサンは振り向いた。
「この道をずっと行くと何処に出るの?僕たち道に迷ったみたいで」
オジサンは「さあな」とだけ言うと、車に乗り込んでサッサと行ってしまった。
「さあなって、どういう意味?」
佑樹が僕の腕を掴んだ。
「解らないけど、教えるのが面倒臭かったんじゃ?」
そう答えてみた。佑樹は「そうかなあ」と言ってたが、それ以上は突っ込んで来なかった。佑樹は気が付かなかったのだろうか。助手席に座ってた人。何かかなり変な感じだったんだけど。また騒がれるのも面倒だから言わないけど、最初の人と同じようなヨレヨレの麦わら帽子を被ってたし、車が引き返してる最中に居なくなった。
僕らはまた先へ進むことにした。何度も後ろを振り返る僕に佑樹が「何してるの。行くよ」と声を掛ける。移動販売車はとっくに見えなくなっていた。
チラホラだった民家が走るにつれ密集してきた。密集といっても街中のようなものとは程遠く、それはあくまでも田舎の中での話である。
程なくして看板らしきものが軒からぶら下がってる家を発見した。僕は自転車の速度を止まる寸前まで落とし、じっくりと看板らしきものに書かれている文字を読んだ。
「しち屋?」
「いや、もち屋かな?」
上手く読み取れなかったが、前方から「しち屋って何?」という声がしたから、多分「しち屋」に間違いないだろう。僕は、「いや、何か知らないよ」と返事した。
中学一年の夏休みに入ったばかりで、それだけで舞い上がっていた僕にそう言ってきたのは小学生の頃からの友達の佑樹だった。
佑樹が言うには、その古道はいつもある訳では無いのだが気づいた時には普通に前からあるようなそんな感覚になる不思議な道であるということ。
うーん、何を言ってるのかよく解らない。
だけど、夏休みのギラギラとした陽射しの下ではそんな些細な事などどうでも良かった。
「今から行ってみようよ」
そう言ったのは僕の方だった。
「え、いきなり?」
佑樹は目を丸くした。元々丸いほうの目だったが、それを更に丸くしていた。
佑樹は、大袈裟に手振りしながら今から行っても本当に古道があるかどうか分からないし、半ズボンだから虫に刺されたりするのも嫌だからまた今度にしようと言ったが、それを確かめに行くのが面白いんじゃないかという僕の意見に嫌々ながらも流されて、二人は自転車を漕ぎ出した。
嫌々だったが行くと決まればもう心は踊り始める。あそこの自販機でジュースを買って行こうかなどと、気持ちは早くも冒険に変わっていた。
電柱から右に曲がると両側が藪になっていた。そこを過ぎると林というか森みたいなところに入って行き、両側から緑緑とした枝が道路に覆い被さるように伸びて、まるでアーケードの中のように見えた。僕らは、点々と続く木漏れ日の中を暫くのあいだ軽快に自転車を走らせた。
汗が滲み出ていた半袖の腕は日陰に入るとヒヤッとして気持ちよかったが、背中に張り付いた白いTシャツは剥がれようとはしなかった。
「もう、この辺りじゃないの?」
なかなか現れない古く細い道にしびれを切らしたのは僕の方だった。
「そうだなあ。この辺りでも良さそうなんだけどねえ」
そう言って佑樹はペースダウンして森の中を見渡した。それにつられて僕も森のほうを見ていると、突然に僕は「あっ」と、とてつもなく大きな声を張り上げてしまった。
前を走っていた佑樹が慌てて振り返る。僕はUターンをした。
「どうしたの?」
今度は佑樹が声を張り上げた。
「あった」
「えっ?」
僕と佑樹は自転車を放り投げるように道端に倒すと、見つけた道の入り口に立った。
「ここじゃない?」
そう聞く僕に佑樹は「多分↵・・・」と答えた。
道幅は人一人か一人半が横になった位であろうか。両側が木立なので一層狭く見える。それに、何となく薄暗い。
「どうする?」
佑樹が不安げに僕を見てきた。そう言われると内心僕も迷いが出てきて、「どうしようか?」という言葉が口をついて出ようとしたが、折角ここまで来たのだからという理由で、「何言ってるの。行くに決まってる」とキッパリと言い放った。
佑樹もそれを聞いてバカにされたく無いと思ったのか、「そうだよね」などと強がってみせた。僕らは自転車を引き起こすと、緩やかな上り坂を押しながら入っていった。
鳥のさえずりがあっちこっちから聞こえてくる。木漏れ日は完全に遮断された。
まだかな。そう思った時、道路右側に立てられた石製の高さ1メートル程の道しるべが目に入った。二人は歩を止めると、何だろうこれ?と言いながら書いてある文字を読み始めた。
「十日古道」
そう書いてあった。
「何だろう、これ?」
佑樹が首を傾げた。
「何て読むのかな。とおかこどう?」
そう言いながら他にも何か無いかと見廻したが何も無さそうであった。それでも僕らは一つ見つけた事で何かを達成しつつあるような気になって気持ちが盛り上がった。
「そろそろかな?」
「そろそろだね、きっと」
それから10分ばかり進んだだろうか。向こうから歩いて来る人影が見えた。
「誰か来てる」
古道に入って初めてすれ違おうとする人影に佑樹は不安になったのか、それとも邪魔になるからなのかは分からないが、すっと僕の後方に移動して僕らは縦並びとなった。
「誰かな?」
佑樹が小さな声で言っている。
人影がだんだんと近づいて来た。余り大きな人では無さそうで、それだけで随分と安心できる。もしかして、僕らと同じ年齢位の子かも知れない。そう思うと親近感が芽生えて来た。
人影が目前まで来た。ヨレヨレの麦わら帽子を深く被っている。浴衣かな?紺色の着物っぽい服装を纏っているが端々が酷くくたびれている。僕らは出来るだけ端のほうに寄って道を譲った。人影はお礼を言う訳でもなく、会釈さえせずにそのまま通り過ぎて行った。佑樹がすかさず隣にやって来て、「何、今の?」と聞いて来たが、僕に解るはずもない。
「この辺の農家の人かも」
と、適当に答えた。
「あ、そうか。だからあんな格好してたんだね」
いつの間にか、鳥のさえずりも聞こえなくなっていた。まだ大して時間も経っていないのに、何時間も過ぎたような感覚だ。この先に行ってもきっと何も無いだろうし、そろそろ帰ろうか。そんな気持ちになっていた。それは佑樹も同じだったようで、「もう帰ろうよ」と言ってきた。
帰りは下り坂だ。自転車に跨がればあっという間に元の道まで着いてしまうだろう。僕は自転車を抱えて方向転換した。佑樹もすぐに同じように方向転換した。
「えっ?」
「嘘?何これ」
「道が消えてる」
僕らは啞然とした。二人とも言葉を失った。少し経って佑樹がいきなり騒ぎ始めた。
「ねえ、どうしたらいいの?道が無くなるなんてそんなこと有り得ないって。帰れないよ、マジでどうしたらいいの?あの人何処に行ったの?あの人も消えたの?」
「僕にも解らないよ・・・・」
驚いた。いったいどういう事なんだろう。たった今、ずっと歩いて来たばかりの道が消えてるなんて。そんな馬鹿なことってある訳が無い。他に戻れるような小道でも無いのか、消えた道の方向を調べてみた。
「もう帰れないよ、僕たち。ねえ、どうする?どうしたらいいの?」
佑樹が後ろから僕の肩を押したり引いたり
してくる。
「うるさいなあ」
僕は振り返り佑樹の手を振り払った。
「痛いよ。何するの」
「お前も何か調べろよ。何処かに帰り道があるかも知れないだろ」
僕はイライラした。
「ある訳ないじゃん。僕らが来た道が消えて無くなったんだよ。道なんてもう無いに決まってる」
そう言われて、探すのをやめた。そして、こう言った。
「自転車を捨てて歩いてなら帰れるかも」
それを聞いて佑樹はすぐに反対した。
「嫌だよ。まだ買ったばかりの自転車なんだよ、これ。お母さんに怒られるよ」
そう言いながらサドルをポンポンと何回も叩いている。僕はそれを見ながら樹海のことを考えていた。迷ったら一生出ることが出来なくなるんだろうなあ。それが結論となった。
「仕方がない。先に進もうか」
何が何だかサッパリ解らないまま走っていると、急に前方が開けてきた。両側の木立が草むらに変わり、そして民家らしき建物がいくつか現れてきた。
「家だよ、家」
僕は嬉しくなって度々後ろを振り返った。佑樹も「やったー」と言って右手を振り上げている。
「もうすぐ帰れるよ」
僕は大きな声で叫んだ。後ろから「帰るぞー」って声がした。
凄く大きな木の脇を通り過ぎ、僕らの自転車は快適に走り続けた。道路も大した勾配が無くて、それだからか気持ちも随分と明るくなってノリノリとなってきた。
「喉が渇いてきたー」
祐樹が声を張り上げた。
僕らは一旦自転車を止めることにした。そして、あぜ道みたいな所の草の上に並んで腰を下ろした。
「この辺に自販機ないかなあ」
佑樹の髪の毛が汗でびっしょりになっている。そう言えば、一つも自販機が無かったけど、車も一台さえ見なかったことを思い出した。山の中だから人が少ないのだろうか。
「お店とかでもあればいいのにね」
そんな会話をしていたら、一台の車がこっちへ向かってきた。運転席の屋根にはスピーカーが付いている。なんだ、車いるじゃん。僕は安堵した。
「あれって移動販売車?」
佑樹が言った。
車は僕らの前で止まった。そして運転席の窓が開くと「ここで折り返すんだからそこを退いてくれないかな?」と声がした。やっぱり移動販売車だった。
「ねえ、おじさん。飲み物とかありますか?」
佑樹が尋ねた。
「あるけど」
おじさんは運転席から降りると荷台の方に行ってガラスケースを開けてどれが良いかと聞いてきた。僕らはガラスケースの中を覗いた。
「何これ?」
透明のビニール袋の入り口にストローを差して、そこを輪ゴムで縛ってある色とりどりの物を見てギョッとした。
「そうだよ。どれでも良いよ。好きなもの取りな」
「タダって事?」
「タダでは無いけど、物々交換で良いよ」
今どき物々交換だなんて、変なことをいうオジサンだなと僕は思ったが、佑樹は既に全てのポケットの中を確認していた。
「何も無い」
佑樹がガッカリしている。僕は、お金で払うからいくらかと聞いてみた。
「お金なんて要らないよ。そんな使えないもの貰ったって仕方が無いからな」
オジサンはショーケースを閉めて運転席に戻りながら手で僕らを追い払うような仕草をしてみせた。
「ねえ、オジサン」
「何だ?」
運転席のドアに右手を掛けたままオジサンは振り向いた。
「この道をずっと行くと何処に出るの?僕たち道に迷ったみたいで」
オジサンは「さあな」とだけ言うと、車に乗り込んでサッサと行ってしまった。
「さあなって、どういう意味?」
佑樹が僕の腕を掴んだ。
「解らないけど、教えるのが面倒臭かったんじゃ?」
そう答えてみた。佑樹は「そうかなあ」と言ってたが、それ以上は突っ込んで来なかった。佑樹は気が付かなかったのだろうか。助手席に座ってた人。何かかなり変な感じだったんだけど。また騒がれるのも面倒だから言わないけど、最初の人と同じようなヨレヨレの麦わら帽子を被ってたし、車が引き返してる最中に居なくなった。
僕らはまた先へ進むことにした。何度も後ろを振り返る僕に佑樹が「何してるの。行くよ」と声を掛ける。移動販売車はとっくに見えなくなっていた。
チラホラだった民家が走るにつれ密集してきた。密集といっても街中のようなものとは程遠く、それはあくまでも田舎の中での話である。
程なくして看板らしきものが軒からぶら下がってる家を発見した。僕は自転車の速度を止まる寸前まで落とし、じっくりと看板らしきものに書かれている文字を読んだ。
「しち屋?」
「いや、もち屋かな?」
上手く読み取れなかったが、前方から「しち屋って何?」という声がしたから、多分「しち屋」に間違いないだろう。僕は、「いや、何か知らないよ」と返事した。



