カラオケだけが楽しみだった私が、仕事にも恋にも本気になるまで

 その日の練習を終えたあと、美織と響生は駅前のカフェに入った。
 
 美織は、歌い疲れた喉をアイスティーで潤しながら、ぽつりと呟いた。

「デュエットって難しいですね。音もリズムも合ってるのに、まだまだ、噛み合ってない気がするっていうか……」

 響生は、コーヒーをひと口飲んでから答えた。

「音としては正確でも、心に響かないってとき、ありますよね」
「たぶん、“間”とか、“呼吸”とか、そういうのがまだ合ってないのかも」

   ◇◇

 ひとしきり初練習の振り返りをした後、話題は自然と、歌の話から仕事の話へと移っていた。

「青海さん、会社では、どんなお仕事されてるんですか?」
 ふと、美織が尋ねる。

「マーケティングです。市場調査とか、製品の企画とか、宣伝とか……まあ、いろいろですね」

「へぇ、すごい。じゃあ……」
 美織は、思い出したように身を乗り出した。
「最近、動画サイトでよく見る『えっへん。エッセンティア』っていうあのCM、あれも青海さんが?」

 響生は、少し照れくさそうに笑った。

「そうです。あれも僕の部で作ったんですよ。ちょっと変なノリだけど、印象に残るでしょ?」

「うん、あれ面白い。職場で話題になってましたよ」
 美織は感心したように頷く。

「マーケティングって、クリエイティブな仕事でいいですね。私は……総務部。雑用係みたいなものですよ」
 そう言って、美織は自嘲気味に笑った。

 だが、響生はきっぱりと首を振った。

「いや、総務だってクリエイティブな仕事だと思いますよ」

「え?」

「マーケティングは、“売る”ための仕組みをつくる仕事。総務は、“働く”ための仕組みをつくる仕事です」

 その言葉に、美織の目が少し見開かれた。

「“働くための仕組み”……なんて考えたことなかった」

「マーケティングは会社の“外”を動かす仕組みで、総務は“中”を動かす仕組み。会社を動かす両輪ですよ」

 美織は、グラスに口をつけながら、その言葉を反芻する。
 ――そんなふうに考えたこと、なかったな。