アステル! ~星成士たちとキラメキの祝祭~

 時任先輩が退却すると、魔霧はすぐに晴れ、学校のみんなが一斉に目覚めた。
 しかし、みんながみんな、眠そうに目をこすりながらも、次の瞬間には、さっきまでしていたことの続きをしだした。
 読書の続き、おしゃべりの続き、日直の仕事の続き。
 しかも、傷ついた壁や扉も、しっかりと修繕されている。
 時任先輩の魔霧には、ここまでのちからがあるってことか……。
「歌仙さん」
 廊下での、生徒たちのざわめきが、戻ってきているなか、セルヴァン会長の声が聞こえた。
 しかし、振り返っても誰もいない。
 自分のすがたを光の星成術で屈折させ、学校のみんなに見えないようにしているんだ。
「アステルのことですが、どうするおつもりで?」
 返事をしたら、みんなにひとりごとをいってると思われちゃうよ。
「――ねえ」
 なんと答えるべきか迷っていると、燐くんが一歩引いたところから、わたしを見ていた。
「そこに、誰かいるの?」
「えっ」
 瞬間、セルヴァン会長の気配がなくなる。
 それにも気づいたらしい燐くんが、軽く息をついた。
「……はあ。ほんと、さっきから、わけがわからないことばかり」
「り、燐くんっ。あのね」
 わたしが燐くんに一歩近づくと、燐くんは気まずそうに、一歩下がった。
 さらに一歩近づくと、また燐くんは一歩、遠ざかってしまう。
「な……なんで離れるのーっ」
 かなしくなっていうと、燐くんはわたしよりも、もっと辛そうな顔をしていた。
「きみのほうが、かなしそうな顔をするなんて、反則じゃない? 辛いのは、ぼくのほう」
「……えっ?」
「ぼくの知らないあいだに、何があったの」
 燐くんはさみしそうに、くしゃと顔をゆがめて、こぶしを握り締めた。
「わたしのこと……幼なじみに見えなくなっちゃった?」
 自分でいって、自分で傷ついて、胸のあたりに冷たい風が吹きこんだ。
「どうしてぼくが、きみに対して、そんなことを思うと思ってるの?」
「だって、急に再会した幼なじみが、へんな言葉や術を使ってたら、いやじゃない?」
 ひとりで落ちこんでいると、燐くんが苛立たし気に、声をあらげた。
「はあ? ……ひとりで勝手に自己完結しないでよ」
「え?」
「陽菜って、いっつもそうだったよね。ひとりで勝手に思いこんで、ぼくになんの相談もせずに決めてさ。幼稚園のときの七夕の飾りつけだってそう。ぼくは、陽菜が作った金色の星をてっぺんに飾りたかったのに、勝手にぼくの星をてっぺんに飾って、満足そうに笑ってた。遠足のときの、おやつだってそう。他の男子からもらったチョコレートを、『燐くんがすきなやつだ』っていって、ぼくにくれたりしたよね。ほんと……鈍感もいいとこ」
 燐くんは、盛大なため息をついて、その場にうずくまってしまった。
 わたしはあわてて駆け寄って、燐くんのそばに、座りこんだ。
 肩と肩が、触れる距離。
 こんなに近づいたのは、再会してはじめてだ。
 久しぶりの燐くんの温度に、なんだか懐かしい気持ちになる。
「ちょっと……近い」
「あっ、ごめん。離れるね」
「いやだなんて、いってない! また勝手に自己完結してる」
「えっと、ごめん……」
 燐くんは困ったように、くしゃりと髪の毛をかき混ぜ、わたしを恨めしそうに見あげた。
「説明、してくれるんでしょ。さっき、間違いなくそういったよね」
「うん。する、するよ」
「さっきの戦いのことも、ぜんぶきっちり説明して。あと――時任先輩がいってたことも」
「時任先輩がいってたこと?」
「呆れた。まさか、忘れたの?」
 燐くんは、不満そうにいった。
「いってたよね。『いま何枚の結界を張っている』とか『自分の寿命を削って、導力に変えている』とか。何のことかさっぱりわからないけど、これだけはわかる。陽菜に関することなんでしょ」
「それは……」
 逃がさないとばかりに、しゃがんだまま、わたしにつめ寄る燐くん。
 ついに、わたしの背中が壁にトン、とついてしまったとき、燐くんの猫に似たすべてを見透かすような瞳が、わたしをまっすぐに射抜いた。
「ぜんぶ、いって。ぼくに隠していること。すべて。――わかった? 陽菜」
「うん……わかった」
 すると、燐くんは少しだけホッとしたように、肩の力をぬいた。
「はあ。まさか、ぼくがいないあいだに、こんな、わけわかんないことになってるなんて。六年って、長すぎ……」

 ■

 せっかく、燐くんと下校しているのに、会話はほとんどなかった。
 わたしも、燐くんも、同じことを考えているんだと思う。
 どこから話せばいいんだろう。
 燐くんに、わかってもらうように話すには、どういうふうに話せばいいんだろう。
 頭のなかがパニック状態で、わたしはずっと、自分のつま先を見ながら、歩いていた。
「陽菜。どこ行くの」
「……え?」
「ここでしょ、陽菜の家」
 燐くんが指さしている家は間違いなくわたしの家で、なのにわたしは、すっかり通り過ぎようとしていた。
 すると、燐くんが、目じりを下げ、やわらかく笑う。
「ふつう、自分の家、通り過ぎる? ほんっと、陽菜って目が離せないね」
「うっ……か、考え事してて」
「そう、ぼくもだ。同じだよ」
 燐くんが、わたしの視線に合わせて、身をかがめてくれる。
 久しぶりに、燐くんと同じ目線になる。
 幼稚園のころみたいに。
 その目は、これまでに見たなかで、いちばん真剣で、きれいだった。
「陽菜が、どんなことをいおうと、ぼくの陽菜への思いは変わらない」
「燐くん」
「だから、思いつめないで。これからも、陽菜はぼくの大切な幼なじみだ。それは、陽菜もでしょ?」
 その言葉だけで、わたしの心は羽のように、スッと軽くなる。
「おじさんと、おばさんは?」
「今日の帰りは、ふたりとも六時過ぎかな」
「それじゃあ、しばらくは心配いらないね。ぼくがいなかった六年で、陽菜の部屋がどう変わったのか、見せて」
「ち、散らかってるけど……」
「そんなの、むかしから」
 燐くんのわたしのイメージって……。
 いや、その通りなんだけどね。