「――え? そうなの、陽菜」
わたしは、こくりとうなずいた。
たしかに、その話は竜胆先輩から聞かされていた。
この宝井中学校が建っている場所に、アステルが生まれるための理由があるなら、調べたほうがいいとは思ってた。
「理由はわかりましたけど、会長が制服を着る意味はあるんですか?」
「だって、制服じゃないと学校って入っちゃだめなんでしょう? みんな着ているじゃないですか」
そこは、気づくんだ……。
他の部分で、もっと気にするところがあると思うんだけど。
「学校は、許可を取らないと入っちゃだめなんですよ。制服も、自分でお金を出して買ったものじゃないと着ちゃだめなんです」
「あれは、落ちているものじゃなかったんですね」
「なんで落ちてるって思うんですか……。自分で服買ったりしないんですか?」
「いつも執事が用意したものを着ているので」
お金持ちのセリフだ!
この人、『自分でものを買う』っていう常識が抜け落ちてるのか。
「ちょっと、陽菜。うちの学校の調査をするのはいいけど、会長を連れて歩くのは、あまりにも危険すぎない?」
「そ……そうかも?」
わたしたちがコソコソ話していることに、セルヴァン会長は不満そうに、腰に両手をあてた。
「ぼくの目の前で、ないしょ話だなんて、とてもさみしいですね」
そうはいいつつも、なごやかに笑っているセルヴァン会長。
会長は、ずっと財団に引きこもっていた、と話してたよね。
もしかして、宝井中学校の調査という理由で、あわよくば学校生活を満喫したいんじゃないかな。
何百年もどこかに閉じこもって暮らしていたんなら、こういう生活もいいものに見えるのかも。
「そっか。さみしい思いさせてごめんね、会長。ほら、燐くんもいっしょに謝ろう」
「えっ? なんで、ぼくが……」
「ほらほら。減るもんじゃないし」
不服そうにしている燐くんと並んで、セルヴァン会長にぺこっと頭をさげた。
「ふふ、いいんです。はじめて友達とケンカをしたみたいで、楽しかったですよ」
「ケンカが楽しいなんて、へんなことをいうね」
燐くんがいうと、セルヴァン会長は、懐かしむように遠くを見つめた。
「ふだんはそんな相手も、いないですから」
燐くんが猫のような目を丸くして、驚いてる。
わたしも、ついドキッとしてしまう。
セルヴァン会長がそういう思いを吐き出すところを、初めてみたんだ。
いつもおだやかで、少し常識はずれなことをいうけど、博識で落ち着いているから。
「セルヴァン会長」
「すみません。なんだか、へんな空気になってしまいましたね」
金色のまつ毛を、もの憂げに伏せたセルヴァン会長は、いまにも消えてしまいそうな笑顔を浮かべた。
「アステル星成士財団は、ズヴィズダー家……つまり、ぼくの祖先によって作られました。なので、長い寿命を手に入れたぼくは、会長というイスを降りることは許されないんですよ。だから、財団の外の世界を知らないんです。だから……」
セルヴァン会長が、わたしの顔を頬が触れそうな近さで、のぞきこんでくる。
息づかいや、鼓動まで聞こえそうな距離。
「だから歌仙くんが、自分の望みを叶え続けてくれることを祈ってやみません。これからも、ずっと……」
そのとき燐くんが、わたしの腕をぐいっと引っぱった。
「近い。離れて」
「これは、失礼」
気を取り直したように、セルヴァン会長は太陽のような笑顔で楽しそうにいった。
「それでですね。学校って、どうすれば通えるんですか?」
「……きみ、本気なの?」
うんざりとばかりに、燐くんは右の手の平をあげる。
そういえば、とわたしは思いついたことをいってみる。
「燐くん、転校してきたばっかりだよね。そういう手続きに、くわしいんじゃない?」
すると、燐くんは観念したように、肩を落とした。
「……わからなくはないけどさ。こういうのって、住所とか印鑑とかいるでしょ。話を聞く限り、この人にそういう手続きができるとは思えないんだけど」
いつもながら、はっきりいう燐くん。
わたしが「まあまあ」と、ふたりの仲を取り持とうとしたとき。
不本意といわんばかりに、燐くんがぼそっとつぶやいた。
「だけど、気持ち……わからなくもないよ。ぼくも海外にいっていたときは、ずっとつまらないと思うことばかりだった」
「燐くん……」
「それでも、なんとかなるものだよ。動き続ければね」
燐くんの言葉に、セルヴァン会長がきらっと目を輝かせた。
「アステル。動き続けるには、どうすればいいんでしょうか?」
「自分で考えなよ」
「すっかり忘れてしまったんです。財団の外の常識は」
「他力本願。組織のトップって、ずいぶんわがままなんだね」
そのとき、可児先生が階段の下を通りかかった。
「こらー。もう帰りなさいー」
「はーい」
「あら。あなたたち、ふたりなの?」
「……そ、そうですけど」
すでに光の術で、すがたを消したセルヴァン会長のほうをつい、ちらっと見てしまう。
ふしぎそうにしている可児先生は首を傾げながら、「そう」と納得してくれた。
「なんだか、三人いるような気がしたのよね。変なこといって、ごめんね」
「い、いえいえー」
「それじゃあ、遅くならないように帰っ――あら、やっぱり三人いたんじゃない。アメリカからの帰国子女のセルヴァン=ズヴィズダーくん」
「――え? 先生、何をいって……」
「佐々波くんといっしょに転校してきたのよねー」
「……はいっ?」
突然、おかしなことをいい出した先生に、わたしと燐くんは、顔を見合わせた。
見ると、わたしの隣で、セルヴァン会長がにこにこと満面の笑みで、先生に手を振っている。
先生は、なんの違和感もなく、セルヴァン会長がわたしたちといっしょにいることを受け入れていた。
催眠や洗脳をされているようすも、感じない。
これって……?
「ちょっ! 会長っ?」
セルヴァンの肩を、ゆさゆさ揺らす。
「あははっ! 歌仙くんの担任の先生がぼくのことを見てる」
「ふふ、あなたたち三人って、仲いいわよねえ。見ていてほほえましいわ」
「そうでしょ? ぼくたち、仲いいんです」
無邪気に喜ぶセルヴァン会長に、いいかけていた言葉が、喉の奥でグッとつまってしまう。
「それじゃあ、先生、行くから。はやく帰りなさいよー」
にこやかに手を振ってくる先生に、セルヴァン会長はブンブンと大手を振り返している。
燐くんは、普段通りを装っているみたいだったけど、わたしは若干、顔が引きつっていたかもしれない。
気まずそうにしているわたしに、セルヴァン会長が上目づかいで、ジッとわたしを見つめてきた。
「歌仙くん」
「は、はい?」
「――ぼく、同級生みたいにできてましたか?」
「えっとお~……」
可児先生の気配が遠のいたのを確認してから、わたしは泳ぎそうになる目を、必死で押さえつけた。
だめだめ。
ちゃんと、セルヴァン会長にいわないと。
「会長。記憶を書き換えちゃ、だめですよ」
「だめでしたか。アステル以外で、はじめて、あなたと縁のある人と目があった。ぼくにとっては……うれしいことなんです。」
「もう……。そんなふうにいわれたら、いい返せないですよ」
だって、財団で過ごしていたときの話を聞いたから。
なんとかしてあげたい、なんて思ってしまう。
「燐くん、どうしよう」
「ぼくに聞かないでよ」
そうはいいつつも、燐くんは真剣に考えてくれたみたいで。
「……やるなら、完ぺきにやったほうがいい。可児先生以外の先生や、全校生徒の記憶を改ざんしないと、矛盾が出る」
「アステル!」
セルヴァン会長が、燐くんに抱き着こうと、腕を広げた。
すると、燐くんは「ただし」と、付け足す。
「ぼくには、これがどのくらいの導力を使うのか、わからない。陽菜に迷惑がかかるんなら、すぐにこんなことはやめて」
「大丈夫ですよ。ぼくは、アステル星成士財団の会長ですよ」
「きちんとした根拠があるなら、聞かせてほしいものだけど」
「『もう終わってる』と、いうことです」
「……え?」
得意げな顔をして、「ふふん」と胸を張る、セルヴァン会長。
「『セルヴァン=ズヴィズダー』という生徒がこの学校に在籍しているという記憶を、この校舎にいる全員に植えつけるんです。単純な、記憶生成術ですよ」
「もう下校してる生徒もいるでしょ。それはどうするの」
「問題ありません。この校舎に入ったとたんに、ぼくの記憶が自動的にインストールされる術です」
「なるほどね」
「どうですか? ぼく、すごいでしょう?」
燐くんは、「はいはい」とセルヴァン会長をあしらったあと、わたしのほうをチラッと見た。
「……まさか、これからぼくたちといっしょに、学校に通うつもり?」
「わたしが見張ってるから、大丈夫」
「ぼくも見てるよ。陽菜だけじゃ、大変でしょ」
すると、セルヴァン会長が、わたしたちのあいだに入ってきて、口をへの字にしていった。
「また、ふたりでひそひそ話ですか? ぼくも入れてください!」
わたしは、こくりとうなずいた。
たしかに、その話は竜胆先輩から聞かされていた。
この宝井中学校が建っている場所に、アステルが生まれるための理由があるなら、調べたほうがいいとは思ってた。
「理由はわかりましたけど、会長が制服を着る意味はあるんですか?」
「だって、制服じゃないと学校って入っちゃだめなんでしょう? みんな着ているじゃないですか」
そこは、気づくんだ……。
他の部分で、もっと気にするところがあると思うんだけど。
「学校は、許可を取らないと入っちゃだめなんですよ。制服も、自分でお金を出して買ったものじゃないと着ちゃだめなんです」
「あれは、落ちているものじゃなかったんですね」
「なんで落ちてるって思うんですか……。自分で服買ったりしないんですか?」
「いつも執事が用意したものを着ているので」
お金持ちのセリフだ!
この人、『自分でものを買う』っていう常識が抜け落ちてるのか。
「ちょっと、陽菜。うちの学校の調査をするのはいいけど、会長を連れて歩くのは、あまりにも危険すぎない?」
「そ……そうかも?」
わたしたちがコソコソ話していることに、セルヴァン会長は不満そうに、腰に両手をあてた。
「ぼくの目の前で、ないしょ話だなんて、とてもさみしいですね」
そうはいいつつも、なごやかに笑っているセルヴァン会長。
会長は、ずっと財団に引きこもっていた、と話してたよね。
もしかして、宝井中学校の調査という理由で、あわよくば学校生活を満喫したいんじゃないかな。
何百年もどこかに閉じこもって暮らしていたんなら、こういう生活もいいものに見えるのかも。
「そっか。さみしい思いさせてごめんね、会長。ほら、燐くんもいっしょに謝ろう」
「えっ? なんで、ぼくが……」
「ほらほら。減るもんじゃないし」
不服そうにしている燐くんと並んで、セルヴァン会長にぺこっと頭をさげた。
「ふふ、いいんです。はじめて友達とケンカをしたみたいで、楽しかったですよ」
「ケンカが楽しいなんて、へんなことをいうね」
燐くんがいうと、セルヴァン会長は、懐かしむように遠くを見つめた。
「ふだんはそんな相手も、いないですから」
燐くんが猫のような目を丸くして、驚いてる。
わたしも、ついドキッとしてしまう。
セルヴァン会長がそういう思いを吐き出すところを、初めてみたんだ。
いつもおだやかで、少し常識はずれなことをいうけど、博識で落ち着いているから。
「セルヴァン会長」
「すみません。なんだか、へんな空気になってしまいましたね」
金色のまつ毛を、もの憂げに伏せたセルヴァン会長は、いまにも消えてしまいそうな笑顔を浮かべた。
「アステル星成士財団は、ズヴィズダー家……つまり、ぼくの祖先によって作られました。なので、長い寿命を手に入れたぼくは、会長というイスを降りることは許されないんですよ。だから、財団の外の世界を知らないんです。だから……」
セルヴァン会長が、わたしの顔を頬が触れそうな近さで、のぞきこんでくる。
息づかいや、鼓動まで聞こえそうな距離。
「だから歌仙くんが、自分の望みを叶え続けてくれることを祈ってやみません。これからも、ずっと……」
そのとき燐くんが、わたしの腕をぐいっと引っぱった。
「近い。離れて」
「これは、失礼」
気を取り直したように、セルヴァン会長は太陽のような笑顔で楽しそうにいった。
「それでですね。学校って、どうすれば通えるんですか?」
「……きみ、本気なの?」
うんざりとばかりに、燐くんは右の手の平をあげる。
そういえば、とわたしは思いついたことをいってみる。
「燐くん、転校してきたばっかりだよね。そういう手続きに、くわしいんじゃない?」
すると、燐くんは観念したように、肩を落とした。
「……わからなくはないけどさ。こういうのって、住所とか印鑑とかいるでしょ。話を聞く限り、この人にそういう手続きができるとは思えないんだけど」
いつもながら、はっきりいう燐くん。
わたしが「まあまあ」と、ふたりの仲を取り持とうとしたとき。
不本意といわんばかりに、燐くんがぼそっとつぶやいた。
「だけど、気持ち……わからなくもないよ。ぼくも海外にいっていたときは、ずっとつまらないと思うことばかりだった」
「燐くん……」
「それでも、なんとかなるものだよ。動き続ければね」
燐くんの言葉に、セルヴァン会長がきらっと目を輝かせた。
「アステル。動き続けるには、どうすればいいんでしょうか?」
「自分で考えなよ」
「すっかり忘れてしまったんです。財団の外の常識は」
「他力本願。組織のトップって、ずいぶんわがままなんだね」
そのとき、可児先生が階段の下を通りかかった。
「こらー。もう帰りなさいー」
「はーい」
「あら。あなたたち、ふたりなの?」
「……そ、そうですけど」
すでに光の術で、すがたを消したセルヴァン会長のほうをつい、ちらっと見てしまう。
ふしぎそうにしている可児先生は首を傾げながら、「そう」と納得してくれた。
「なんだか、三人いるような気がしたのよね。変なこといって、ごめんね」
「い、いえいえー」
「それじゃあ、遅くならないように帰っ――あら、やっぱり三人いたんじゃない。アメリカからの帰国子女のセルヴァン=ズヴィズダーくん」
「――え? 先生、何をいって……」
「佐々波くんといっしょに転校してきたのよねー」
「……はいっ?」
突然、おかしなことをいい出した先生に、わたしと燐くんは、顔を見合わせた。
見ると、わたしの隣で、セルヴァン会長がにこにこと満面の笑みで、先生に手を振っている。
先生は、なんの違和感もなく、セルヴァン会長がわたしたちといっしょにいることを受け入れていた。
催眠や洗脳をされているようすも、感じない。
これって……?
「ちょっ! 会長っ?」
セルヴァンの肩を、ゆさゆさ揺らす。
「あははっ! 歌仙くんの担任の先生がぼくのことを見てる」
「ふふ、あなたたち三人って、仲いいわよねえ。見ていてほほえましいわ」
「そうでしょ? ぼくたち、仲いいんです」
無邪気に喜ぶセルヴァン会長に、いいかけていた言葉が、喉の奥でグッとつまってしまう。
「それじゃあ、先生、行くから。はやく帰りなさいよー」
にこやかに手を振ってくる先生に、セルヴァン会長はブンブンと大手を振り返している。
燐くんは、普段通りを装っているみたいだったけど、わたしは若干、顔が引きつっていたかもしれない。
気まずそうにしているわたしに、セルヴァン会長が上目づかいで、ジッとわたしを見つめてきた。
「歌仙くん」
「は、はい?」
「――ぼく、同級生みたいにできてましたか?」
「えっとお~……」
可児先生の気配が遠のいたのを確認してから、わたしは泳ぎそうになる目を、必死で押さえつけた。
だめだめ。
ちゃんと、セルヴァン会長にいわないと。
「会長。記憶を書き換えちゃ、だめですよ」
「だめでしたか。アステル以外で、はじめて、あなたと縁のある人と目があった。ぼくにとっては……うれしいことなんです。」
「もう……。そんなふうにいわれたら、いい返せないですよ」
だって、財団で過ごしていたときの話を聞いたから。
なんとかしてあげたい、なんて思ってしまう。
「燐くん、どうしよう」
「ぼくに聞かないでよ」
そうはいいつつも、燐くんは真剣に考えてくれたみたいで。
「……やるなら、完ぺきにやったほうがいい。可児先生以外の先生や、全校生徒の記憶を改ざんしないと、矛盾が出る」
「アステル!」
セルヴァン会長が、燐くんに抱き着こうと、腕を広げた。
すると、燐くんは「ただし」と、付け足す。
「ぼくには、これがどのくらいの導力を使うのか、わからない。陽菜に迷惑がかかるんなら、すぐにこんなことはやめて」
「大丈夫ですよ。ぼくは、アステル星成士財団の会長ですよ」
「きちんとした根拠があるなら、聞かせてほしいものだけど」
「『もう終わってる』と、いうことです」
「……え?」
得意げな顔をして、「ふふん」と胸を張る、セルヴァン会長。
「『セルヴァン=ズヴィズダー』という生徒がこの学校に在籍しているという記憶を、この校舎にいる全員に植えつけるんです。単純な、記憶生成術ですよ」
「もう下校してる生徒もいるでしょ。それはどうするの」
「問題ありません。この校舎に入ったとたんに、ぼくの記憶が自動的にインストールされる術です」
「なるほどね」
「どうですか? ぼく、すごいでしょう?」
燐くんは、「はいはい」とセルヴァン会長をあしらったあと、わたしのほうをチラッと見た。
「……まさか、これからぼくたちといっしょに、学校に通うつもり?」
「わたしが見張ってるから、大丈夫」
「ぼくも見てるよ。陽菜だけじゃ、大変でしょ」
すると、セルヴァン会長が、わたしたちのあいだに入ってきて、口をへの字にしていった。
「また、ふたりでひそひそ話ですか? ぼくも入れてください!」



