貴方ともう一度、恋の夢を

 あの娘に会うまでは、そのつもりだった。

 自分の欲のままに突き進もうとした。


 だけど、あの困ったような、寂しそうな顔を見ていると、その気も失せた。


 あの娘には、あの娘なりの幸せを掴んでほしい。
 桜子が叶えられなかった自由な道を歩んでほしい。


 そう、思ってしまったんだ。


「……わかったよ。あの娘の夢はとびきり美味しそうだったからね」


 緋翠はそう言うと席を立ち、身体を伸ばした。


「私は早速、人の世に向かうけれど、黎夜くんも行くかい?」
「……やめておく」


 あの娘から桜子の面影が抜き取られる瞬間を見ればきっと、俺は緋翠を止めてしまう。

 この決意が揺らいでしまうことがわかっていて、ついて行こうとは微塵も思わなかった。


「……そうかい」


 緋翠はそれだけを言うと、俺の横を通って、店を離れた。
 振り向くと、緋翠の姿はたくさんの妖に隠されてしまったようで、見当たらない。


 なんとも賑やかになってきた。


 ああ、そうか。妖が活発になる夜がやってくるのか。
 あの娘に桜子の欠片が残る最後の夜が。


 俺は猫に姿を変え、人の世に出た。


 向かうのは、あの橋。
 川面で月が揺れる。


『月が、綺麗ですよ』


 あの日見た月も、今日のように美しかった。
 人の姿になれば手が届くだろうかと思ったこともあったが、あれはきっと、誰の手にも届かないから、美しいのだろう。


 見ていることしかできない月。
 ただ遠くで、見ているだけ。