翌日の夕方。
授業を終えていざ帰宅、というところで、プライベートのアドレスを交換していた一ノ瀬 嗣翠から、一通のメールがきた。
『引っ越しは終わってるから、俺の家に来て。』
「仕事はっや」
荷物の梱包終わったよって昨日メールしたばっかなのに。
でもまあ、それだけ本気ってことか。
私は『了解』と短くメールを返し、行き先を駅に変えた。
「お邪魔しまーす」
「ああ、来たね」
一ノ瀬 嗣翠の私邸――それはやはり、結構大きい一軒家だった。
高校生で大きめの一軒家買えるとかセレブか。財力半端ない。
ちなみに私のアパートはだいぶボロい。それは私が情報に対して求めるお金が少ないからだけど――まあそれは置いといて。
そんな私の心境などつゆ知らず、一ノ瀬 嗣翠は私を制服姿で出迎えた。
ぬーん、昨日も体育館で見たけど、近くだと美がすごいな。綺麗の暴力。
「仮面被ってって言われたことある?」
「なに急に。あるわけない」
動揺のあまり変なことを聞いてしまった。
でも仮面被ったら色々な人の健康にいいと思うんだよね。
少なくとも私の視力は守られる。
・・・・・・とまあ、半分本音の冗談はさておいて。
部屋は2階の一室にセッティングされてあった。
至れり尽くせりだ、と思いつつ荷物を置いて、とりあえず私は昨日の調査報告をすることにする。
「昨日、新たなアルケーの犯行現場に行ってきたんだけど」
「ストップ」
「?」
話を切り出したばかりなのに、早速ストップを食らって首を傾げる。
なんかおかしなとこあったっけ?
「昨日行ってきた?1人で?現場に?」
「そうだよ?先週のやつ。早めに行かないと警察に捜査されちゃうからね」
報道されたら間近でまじまじと見られないし・・・・・・。
だが一ノ瀬 嗣翠はふぅー、と盛大にため息をついて呆れたように私を見た。
「流石はベルガモット、行動力がすさまじい・・・・・・けど、せめて調査に行くときは連絡して」
「え、ああ・・・・・・たしかに」
現場に行ったときも誰かの気配を感じたっけ。
通行人だったらよかったけど、違ったら結構危うかったのではないだろうか。
守ってもらえると言っても、彼に私の位置を感知する人間GPS能力はないわけで。
たしかに連絡するべきだったかもなあ。
「怪我はしてないよね」
「大丈夫だよ」
「・・・・・・ならいい、続きを」
「うん。アルケーの報告書を入手して現場を割り出したんだけど、現場には犯行の証拠になるのは何一つなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
一ノ瀬 嗣翠は難しい顔をした。
わかるよ。厄介だもんね。頭が痛くなる話だ。
「そもそもなんでアルケーの情報が欲しいの?」
気になって聞いてから後悔した。
普通これは情報屋ごときに言えることじゃない。
やっぱいい、と取り消そうとしたが。
「・・・・・・一ノ瀬組の構成員の1人が殺された。そいつは勝手に組の規約違反を犯してたから後々制裁する予定だったけど、仮にも構成員だったからな。仇討ちはしなきゃいけない」
・・・・・・なるほどね。
構成員の1人が殺されたなら、報復をしなきゃいけなくなるよね。
でもそいつは組の規約違反をしていたと。
「規約違反の内容は言える?」
「違法薬物の売買。薬物は組織を瓦解させる原因になるから禁止になってる」
「ふうん・・・・・・」
そういえば昨日見に行った現場の被害者は人身売買の手引きをしてたって話だっけ・・・・・・。
1ヶ月前の被害者も麻薬を売りさばいていた人だ。
・・・・・・・・・・・・ターゲットの履歴を漁ってみるか。
もしかしたら共通点が見つかるかもしれない。
「ところで」
考え込んでいると、一ノ瀬 嗣翠が切り出した。
「晩御飯は何がいい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
怪我はしてないよね、って聞いてきたときもちょっと思ったけど。
「おかん・・・・・・?」
「シェフの気まぐれサラダにするよ」
「ごめん」
おかんは気に触ったらしい。
シェフの気まぐれサラダってあれでしょ、そのへんの雑草摘んで持ってくるやつでしょ。
地雷だったみたいだ。雑草は健康によくない。反省。
「にしても、作ってくれるの?」
「椿は料理ができる?」
「無理」
「俺はできる」
なるほど、スパダリだな。
さぞかしモテるに違いない。わかってたけど。
そういえば食も保証してくれるんだっけね。
「うーん、食に執着はないから、食べれるやつだったらなんでもいいなあ」
「何がいいわけ」
・・・・・・意地でも決めさせる気だな。
まあ、なんでもいいが1番困るって言うしね。
って言ってもほんとになんでもいいんだけどなあ。
「じゃあハヤシライス」
「了解」
適当にそれっぽい名前を言えば、何でもないというふうに頷き、一ノ瀬 嗣翠はキッチンに消えた。
・・・本当に作ってくれるんだ。
ハヤシライスって結構面倒な料理だって記憶してたんだけど。
細かいところもちゃんとしてるっていうか、責任感があるっていうか・・・。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・何」
カウンターから一ノ瀬 嗣翠の様子をじーっと見ていると、居心地悪そうな雰囲気で一ノ瀬 嗣翠は声をかけてきた。
彼は今たまねぎを切っている。
大事なことだからもう一度。
彼は今、たまねぎを、切っている。
それも、今日同居し始めた私に、ハヤシライスを振る舞うために。
「なんか、噂ってアテにならないよね」
「情報屋のくせに今更だね」
それはそうだ。
でもほんとに実感したんだよ。冷酷非道で血も涙もない一ノ瀬 嗣翠は私1人のためにわざわざハヤシライスを手作りしてくれたりしない。
せいぜいレトルトでレンチンがいいところだ。
いや、「自分でやって」かもしれない。食費は出してやるって言って。
「・・・優しいね」
「俺が?」
ありえない、と目を見開きながらも一ノ瀬 嗣翠はたまねぎを切り続けている。
「うん、誠実で優しい。構成員の制裁を多く受け持つのも優しさだって知ってる」
嘘だ。今気がついた。
彼は数年前から、組長に構成員の制裁を自分に回すように持ちかけた。
今ではほとんどの制裁は彼が行なっている。
ただそれは構成員に限る話だが。
おそらくそれは、「正しい判断をする」ためだ。
薬に手を出したりなど、規約を自ら破ったものには厳重な制裁を。
任務で偶然が重なって失敗してしまった人には、軽い制裁で済ませて対策を講じる。
制裁の度合いについては構成員の病院での診察などで出した情報だったが、彼の性格からしてそういうことだろう。
「冷酷さで根のやさしさを隠してるだけなんだね、一ノ瀬 嗣翠って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なんで彼はやさしさを隠すようになったんだろう。
やっぱり生まれた環境がそうさせたのかな?それとも・・・。
「ねえ、組長は・・・あなたの父ってどんな人なの?」
「・・・情報屋のお前なら、知ってるはずだよ」
「だめ。噂はアテにならないって言ったでしょ。よく知る人の口から聞きたいの」
頑なに一ノ瀬 嗣翠の口から聞こうとする私に、一ノ瀬 嗣翠は逡巡した。マッシュルームを切りながら。
んー、あともう一押し、かな。
「じゃあ教えてくれたら、何でも一つ、あなたが知りたいことに答えてあげる」
「・・・何でも?」
「私が知りうる限り」
ここで「できる限り」は言ってはいけない。
そもそもこの人の情報屋になった以上、隠す必要があるやつなんてほぼないだろう。
おそらく別の殺し屋の情報とかだろうし。
「・・・わかった、話す」
「ありがとう」
私はお礼の代わりにまな板の上にバラバラになっていたマッシュルームをまとめておいた。
一度包丁を置いてハヤシライスのルーを取り出した一ノ瀬 嗣翠は、手を止めて虚空を見つめた。
相変わらず夜空みたいに真っ黒で底のない瞳をして、何かを考えている。
「父は、全部を狂気で塗りたくった頭してるおかしいやつだよ。人間とは思えない」
「・・・そう」
「良心も慈悲もない。人を嬲る優越感と愉しみのためだけに生きる最低の男」
私に、「父をぶっ潰す」という望みを語ったときよりも、遥かに嫌悪感を滲ませた声。
ロボットよりも淡白な彼がここまで感情を声に出すのは珍しい。
一番最初に私に見せた感情が「父への嫌悪」か・・・それだけ恨んでるってことかな。
「俺からの答えは終わり。次は椿の番」
「うん。何が聞きたい?」
誠意には誠意で返す。それが私のポリシーだ。
嘘偽りなく答えると心に決める。
そして彼が聞いてきたのは、意外な質問だった。
「お前の『望み』は何?」
「私の、望み?」
「そう。お前にもあるんじゃないの?」
「あるけど・・・」
何でわかったんだろう。
『お前の望みを叶える。』って言われたときに「望みなんかない」って言わなかったから?
それとも彼は、私の今までの言動から割り出したの?
だとしたら、すごい洞察力だ。
「そんなものでいいの?」
「知らない望みは、叶えられないからね」
こんな出血大サービスのときくらい、自由に質問してくれてもいいのに。
ここまでしてもまだ一ノ瀬 嗣翠は契約のことしか考えてないんだね。
契約相手としてはそれでいいのかもしれないけど、一ノ瀬 嗣翠がいい人すぎて困惑しちゃう。
いや、ヤクザの若頭って時点でいい人じゃないか・・・。
でもすっごく誠実で優しい。何で、家族って言われる組の中でも彼はひとりぼっちなんだろう。
どれだけ調べても、彼と仲がいい構成員は誰1人出てこない・・・。
・・・・・・・・・こんなこと考えても、仕方ないか。
「私の『望み』は、普通に生きていたい、ただそれだけだよ」
「・・・普通に?」
「そう。高校で友達を作って、いっぱい笑って、カラオケとかいって、カフェ巡りとかもしちゃったりして」
男の人と恋をしたり。友達と温泉にお泊まりしたり。たまに喧嘩して、仲直りしたり。
「それだけでいい。私は昔からずっと、ずっとそれに憧れてきたから」
高校で、りかちゃんという女友達と、晴哉くんという男友達を得た。
あのときは誤魔化したけど、私は間違いなく、「泣きそう」だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・そう」
何を思ったのか、一ノ瀬 嗣翠はルーをかき混ぜながら、昏い目のまま何かを考え込み始めてしまった。
私の『望み』は、彼にとって何か不都合でもあったんだろうか。
それとも、別の何かについて考慮しているのか。
私も、同じようにとりとめのない思考をぼんやりと続けながら、一ノ瀬 嗣翠がルーをかき混ぜるのをずっと見ていた。
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