・・・何日、経っただろうか。
作戦会議の翌日のような気もするし、1ヶ月もあとのような気もする。
実際は二週間。
期末考査が終わって、みんなが文化祭ムードに包まれた、ある日の夜だ。
「・・・動く?」
「そうだね。あっちも動くだろうし」
ついに、そのときがきた。
構成員の予定とか、拳銃の調達とか、そういうのぜんぶ揃った、今日。
結末が決まる。
「嗣翠」
私は、嗣翠の手を取った。
ぎゅっと握って、絡める。
「監視カメラから見てはいるけど、絶対死なないでね」
「うん」
「・・・私、待ってるから」
「任せて、椿」
嗣翠は、優しく額にキスをくれた。
安心させてくれる、心地いいぬくもり。
「肇、太陽、ゆうた、ねえね、頼んだよ」
「もちろん」
「ええ」
「がってん!」
「つばきも、怪我しないようにな」
「ありがとう」
私は一旦嗣翠と別行動。
情報収集係の子と協力して組長派の妨害に徹する予定だ。
ただ襲撃がないとも限らないし、ほとんどの「殺し屋アルケー」のメンバーは交戦に向かうので、物理的な油断だってできない。
「じゃあ行くよ。――一ノ瀬 緋玉を、ぶっ潰しに」
口の端をきゅっと持ち上げて、嗣翠は言った。
その表情は冷たくない。だけど油断も隙もない、いい笑顔。
これこそが彼の本当の、若頭の姿なのだろう。
「いってらっしゃい、嗣翠」
「椿、いってくる。・・・椿も、気をつけて」
私の頭を撫でたあと。
嗣翠は、一丁の拳銃――父から唯一もらったものらしい拳銃を持って、戦場へと向かっていった。
「さて」
私は、サイバー妨害チームの子を見渡した。
私含めて合計5人か、少数精鋭は悪くない。
「――始めようか」
ようやく。
灰街と私たちにも優しい世界が、作れるんだ。
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現地についてからは、すぐに交戦になった。
抗争とも内部反乱とも言える今回の戦いには、人気のない、だけどだだっ広い場所が選ばれた。
お互い損失は最小限にしたいし、一般人を巻き込むのは非常識だったから。
それは、父も守る気でいるらしい。
「嗣翠」
「・・・ん?」
これから指揮に向かうというところで、朝比奈が敵を見据えながら、まっすぐ言った。
「俺は、つばきが好きだ」
「は?」
「だけどこれはお前にだけ伝えておく。つばきには言わない。まあどうせ気づかないしな。あいつ昔から鈍感だし」
鈍いのは言えてる。
だけどそうか、やっぱり朝比奈は椿が好きなんだ。
再会してまもないはずだが、それこそ俺は実際に会って割とすぐ好きになったから同じようなものかもしれない。
「つばきは幸せそうだったよ、俺から見ても」
「・・・・・・」
「つばきにはお前しかいないんだ、一ノ瀬 嗣翠」
「・・・朝比奈」
「だから絶対死ぬんじゃねえぞ。つばきを傷つけたらただじゃおかねえ」
でも、と朝比奈は俺を見た。
その瞳には何が浮かんでいるのか。
同情?ライバル心?敵対心?それとも憧れ?
・・・読み取る必要はない、か。
「わかってる」
俺がそれだけ返すと、朝比奈は「ならいい」なんて言って指揮に向かった。
椿は本当に人を惹きつける。
俺と結ばれた今となっては、それが少し不満かな。
「そいつは・・・ベルガモット、か」
父は、肇の姿を見て言った。
「ハッキングはいいのか?」
「欲しい情報はあらかた揃った」
肇は動じずに飄々とした笑みを浮かべる。
対応はさすが、椿の仲間というべきか。
「そういえば先週構成員が買っていた頭痛薬はあんた向けらしいな。偏頭痛持ちみたいじゃないか。大丈夫か?」
「・・・なるほど、調べ終わったというのも嘘ではなさそうだ」
事前に教えてもらっていたであろう情報を肇がすらすらと連ねれば、父は少し面白そうに笑った。
・・・本当に怖がらないね。焦る様子もないし。
「殺し屋『アルケー』はどうした?」
「別の任務を任せてるよ。適度な戦力分散は大事だからね」
別の任務。
含みを持たせたその言い方に、俺は笑みを深める。
そのとき。
「く、組長」
ピリピリしながら向かい合う最高司令官同士の俺たちに、恐る恐る近づく影が1人。
父の部下で間違いない。
「どうした?」
「本部と連絡が取れません。インターネット通信が阻害されていて・・・」
「・・・なるほど。これも『ベルガモット』の仕業か」
「セキュリティは思ったより堅かった」
一ノ瀬組本部。本拠ともいうが、基本組長たちが住む場所として使われる。
最近の建築様式とは打って異なりほぼ和風だが、構成員がたくさんいて厄介だ。
特に情報収集役は基本組の外に出ないし、組の中との通信を遮断するのは当たり前。
「だが、甘いな」
父はうっそりと笑って、無造作に伸びる顎鬚をなぞった。
不気味だ。気色悪い。
でもぐっと堪えて、父の言葉の続きを待つ。
「ベルガモットが組との通信を遮断することなど容易に想像できる。サイバー担当だけはもちろん別の場所で本格的なシステムを用いて情報収集を行なっている」
「・・・・・・」
つまり今ベルガモットがここにいる時点でサイバーの面では俺たちの敗北、と言いたいわけか。
なるほど。
「甘いのはそっちじゃない?」
「ほう」
「殺し屋アルケーが何のためにここにいないのか、考えてよ」
まさか、と父が呟いた。
椿たちは別任務。情報収集のために手を尽くす。
だが椿にはもう一つ任務があった。
あっちのサイバー担当の制圧。
灰街に残った情報収集担当のやつから支援を受けつつ、今は組長派のサイバー担当の元に向かっているはず。
「・・・っ、組長!サイバー班からの連絡が途絶えました・・・!」
「なんだと・・・⁉︎くそ、アルケーめ・・・」
・・・ここまでは、予想通り。
策士策に溺れるとは言うが、それでも油断は禁物。
次の一手を打ちたい。
「サイバー班を映している監視カメラはどうなっている?」
「先程サイバー班全員を気絶させた女が壊して・・・」
「1人か?」
「はい・・・」
チッ、と父が舌打ちをする音が聞こえた。
だんだんと父の手札がなくなっていく。
そう、それでいい。
そうして策を叩き落として、ぜんぶ奪う。
「八神 椿と仲がいい奴らはどうした?」
「たった今連絡が入りまして、謎の二人組に制圧されたと・・・!」
万全の対策を施してきた。
構成員とアルケーたちの戦いも終盤に入っている。立っているのはほとんど味方。
「一ノ瀬組、聞け」
俺は口を開いた。
ここで、構成員の一部も奪ってしまいたい。
「俺は必ず父に、一ノ瀬 緋玉に勝つ。俺についてくるやつはまだ遅くない。俺について」
「・・・嗣翠」
「悪いけど。俺、本気だから」
椿と幸せに生きるために。
もう誰かを傷つけずに済むように。
ゴミ捨て場のようなあの街を、変えるために。
「・・・嗣翠、お前は優秀だ」
父は、何を思ったか語り始めた。
正直彼に褒められてもまったく嬉しくないが、肇たちに不意打ちを警戒するよう伝えて話を聞くことにする。
「昔からそうだ。学も運動も拳銃の腕も事務仕事も、お前に任せたものは満点で帰ってきた」
「・・・なんのつもり?」
「だがな、嗣翠。お前には、人生経験が足りない」
父は笑みを絶やさない。
醜い顎鬚を撫でて、ただ楽しそうに立っている。
構成員の五割はこっちに寝返って、策はことごとく破壊されたのに。
「俺は強い。ずっと誰よりも強かった。だから、俺の策を見抜いて対策する手腕には恐れ入った」
・・・まずい。
何かが、まずい。
嫌な予感がする。胸騒ぎがする。
何か大切な要素を見逃しているような。
だめだ、俺が見逃してはいけないのに。勝つと約束したのに。
何を、俺は見逃した――?
「だが一つ、お前は知らなかった」
「っ、それは・・・⁉︎」
あからさまに押すと嫌なことが起こりそうなスイッチを、父は取り出した。
「俺はお前も、構成員も、ついでにそこの得体の知れないお前の部下も殺したくない。有用な人材だ」
「・・・」
「だから投降しろ、嗣翠。負けを認めるんだ」
「・・・・・・」
「お前は優しすぎる。優しさと望み、どちらも取ればどちらも失うんだぞ」
あのスイッチは、知っている。
毒だ。あたり一面に毒ガスが散布されてしまう。
だが父だけは抗体を飲んでいると聞いた。・・・俺は、飲んだ覚えがない。
きっと父は誰も信用していなかったから。
毒の散布元は父の車だ。スイッチも車も、今から壊すのは遅すぎる。
スイッチだけでも、スイッチだけでも壊せればいいのに。
できない。
俺が動けば、父も動く。
スイッチを押すのと、拳銃を取り出して撃つのじゃスイッチが先。
あの毒は少し吸うだけでも致死量で、しかも広がりやすいから逃げられない。
「っ」
もう犠牲を出したくない。
――・・・・・・死にたくない。
『絶対死なないでね』
死にたくない。
諦めるしか、ない。
もう、誰も失いたくない。
「っ、俺の――」
負けだ、そう続けようとしたとき。
「まだだよ、嗣翠」
バンッと。
そう音が鳴った頃には、父の手元のスイッチは粉々に砕けていた。
「なっ・・・⁉︎」
愛しい声。
さっき思い出した声。
俺を救ってくれた声。
椿は、広場の入り口にいた。
「椿・・・」
「殺し屋アルケー⁉︎いつの間に・・・⁉︎」
「こんにちは、組長さん」
椿は、俺が貸した俺の拳銃を組長に向けながら、俺の隣まで歩み寄ってきた。
・・・椿、本当は組長派のサイバー担当を制圧したら灰街に戻って待機の予定だったのに、来てくれたのか。
冷静さを欠いている俺の手を握り、頷いてくれる。
俺は、嬉しさのあまりその手を恋人繋ぎにして握り返した。
「優しさと望み、どっちも取ればどっちも失う、か。確かにそうかもね」
椿の笑顔はまっすぐだ。
ただ父を見据えて、俺を安心させてくれる。
椿のおかげで落ち着いた俺は、椿の隣で拳銃を構えた。
それを確認してから、椿は続ける。
「でも、今は違う」
「なに?」
「私たちは、もう1人じゃないの」
俺はずっと1人だった。
傷つけたくなかったから。
「ベルガモット」も、本当はここまで本格的に巻き込むつもりはなかった。
それでも、椿はいとも容易くそれを「手伝いたい」と打ち破り、俺の手を握ってくれる。
「ヤクザの若頭と殺し屋アルケー、ベルガモットがいる」
「・・・生意気な・・・!小娘の分際で――」
「動かない方がいい。俺の手が間違って引き金を引かないようにね」
俺が牽制すると、俺の拳銃の腕を評価していた父は動きを止めた。
・・・椿のおかげだ。
椿が戻ってきてくれたおかげで、状況を打破できた。
俺が1人だったら無理だった。
だけど1人じゃない。
そうだ。
俺はもう、1人じゃない。
「優しさ、望み、平和、幸せ・・・欲しいものが幾つあろうと」
俺は、父に対してはなむけのつもりで俺の答えを返す。
「ぜんぶ掴み取るよ。なにがなんでもね」
「嗣翠・・・っ」
「だからまず、警察に捕まってもらうよ。そうしたら、重すぎる罪状で二度と刑務所から出られないだろうね」
「それはお前も同じだ嗣翠、お前はいつだって俺に任された任務を――」
「ああそうだよ。だから、今勝つ」
俺は何人も殺した。それは変わらない。
だけど、俺は覚悟を決めたんだ。
「勝って、ぜんぶ変える。灰街も、優しくない世界も。変えて、人を幸せにする」
「は・・・?」
「理解できないだろうけど、俺は今まで踏み台にしてきた人間の数、いやそれよりももっと幸せにするよ」
「なにを、言って・・・人を、幸せにする?」
彼にはそういう思考がない。
自分以外の存在は自律思考ができる道端の石ころとしか思っていない。
だからあり得ないだろう、彼が人を救い、他人の幸せを願うのは。
だから潰す。
「さあ、別れだ」
「待て、待て、まだ終わってない!!」
「終わりだよ。俺の勝ち」
俺の背後から、1人の警察官が歩み出た。
殺し屋アルケーの1人、警官に就職していた男だ。
元々は殺し屋アルケーのメンバーが逮捕されたら融通を効かせるために就職したらしい。
「ねえ、『父さん』」
慌てふためき叫び始める父を見据えながら、俺は拳銃を手にして、椿と繋いでいる手をぎゅっと握る。
「父さんを親と思ったことはないけど、俺が生まれるきっかけになったことと、育ててくれたことは感謝してるよ」
そして、引き金に力を込める。
――これで、終わりだ。
「さようなら」
バンッと、あの男からもらった拳銃が、火を吹いた。



