✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
「・・・嗣翠」
「真面目な話みたいだね。どうかした?」
気持ちが通じ合って、私たちは無事恋人同士になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ、一線は超えていない。キス止まりだ。
気持ちが通じあってから数週間が過ぎて6月になったが、まだキスまでしかしていない。
でも一応、「同居」から「同棲」には変わったのか、なんて思ったりして。
――・・・っていやいや!今はそんなこと言ってる場合じゃない。
ちょっと一ノ瀬組長・・・一ノ瀬 緋玉に動きがあったのだ。
「そこそこの人数が今日、一ノ瀬組に集まるみたい」
「メンバーは?」
すぐに嗣翠は顔色を変えた。
ついに目的のボスが動いたとなれば当然の反応だろう。
「・・・・・・俺の部下じゃない。こいつらは確か、組長派の幹部の部下・・・?」
「確か今日、嗣翠は別の仕事を任されてたはずだよね」
「そうだね。俺が引き受けた任務以外にやるべき組の任務はなかったはず」
「なら、決まりだね」
――一ノ瀬 緋玉は、私たち向けに動きを展開しようとしている。
いや正確には、「ベルガモットと一ノ瀬 嗣翠が関係しているのか確かめるため」に。
「父が利用しようとしたタイミングでベルガモットが買収されて、最近は俺と父の対立が明確化してきてる。俺の情報網は向上してるわけだし、俺を疑わない方がおかしい」
「けど、これは計算通り・・・だよね、嗣翠?」
「そうだね。2人で話した通りだ」
今回、一ノ瀬 緋玉にはわざと私たちを疑わせた。
緋玉は自分に大いなる自信がある。
だからこそ、自分の手腕で確かめたことには全幅の信頼をおく。
だからこそそれを突破さえすれば、「ベルガモット」が「八神 椿」と繋がることはまずなくなるだろう。
「朝比奈に連絡できる?」
「うん。外部からの傍受を無効化すればよくて・・・・・・解除するまでネットとか使えないけど、すぐ終わるから」
「わかった」
パソコンで準備をしてから、私は太陽に早速電話をかけた。
「もしもし、つばき?」
「もしもし、太陽。急なんだけどさ」
私と嗣翠は、出かける準備を始めながら目配せをした。
「――今から、そっちに行ってもいい?」
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
「・・・・・・緊張するか?」
「まあ、さすがにね」
太陽の問いかけに、私はぎこちなく頷いた。
『殺し屋アルケー』が拠点にしている、灰街で2番目に高い廃ビルの最上階。
私と太陽はその1番奥の部屋の扉の前で立ち止まっていた。
嗣翠はここまで一緒に来てくれたけど、部屋には入らない。
私のことを気遣って、行って来てと言ってくれた。
・・・・・・この先に、みんながいる。
かつて仲良しだったみんなは、今は『殺し屋アルケー』の幹部としてこの部屋にいるらしい。
あとから入ってきたメンバーは下の階にいた。
何十人もいたから総数はわからないけど、灰街の若者がほぼ全員いるんだから相当だろう。
一旦そこは素通りして最上階に来たんだけど、あとで挨拶するつもりだ。
「みんな、椿を待ってるぞ」
「・・・・・・うん。行こう」
「わかった」
ふう、と息を吐く。
緊張だなんて、それこそ入学式以来だ。
「つばきを連れてきた。入るぞ」
太陽がそう言って、ドアを開ける。
錆びていて歪んだドアは嫌な音がした。
「・・・椿?」
「・・・・・・・・・」
太陽のあとに続いて部屋に入る。
そこには、思った通り3人の仲間たちがいた。
・・・・・・久しぶりだな。
もう6年も経ったけど、みんな面影が残ってる。
私がそう思って微笑むと、室内のみんなはぱあっと顔を輝かせた。
「椿!」
「つばき!」
「ああ、会いたかった、つばき!」
3人分の抱擁を受け止める。
そっと室内を見渡すと、思った通り内装もボロボロのままで、奥に重厚な金庫が置いてあった。
床が抜けそうだが、そこは安全確認済みであろうことは予想できるので触れないでおこう。
・・・お金があっても内装を変えないのは、灰街を変える資金を貯めるためだろう。
「久しぶり。肇、ゆうた、ねえね」
「うう・・・・・・ぐすっ、生きててよかった・・・!」
「ねえ、みんなの姿見せて。ちゃんと見たい」
「わかったけど、ちょっと待ってよ・・・・・・ずびっ」
仕方ないな、なんて笑って。
私を抱きしめてくれる温かい3人分の温もりを堪能する。
よかった。わかってはいたけど、みんな私のことを責めない。忌避しない。
私はみんなを捨てたし、みんなは私を置いていった。
だけど私たちの絆は壊れていなかった。
それが嬉しい。
太陽に視線を向けると、「ほら大丈夫だっただろ」という視線を受けた。
なんかムカつく。
「おわっ」
だから腕を掴んでハグに巻き込んで、みんなでお互いを抱きしめあった。
状況がどうあろうとも、みんなが無事でよかった。
・・・本当に、よかった。
「・・・ほら、終わり。顔みせて」
「・・・・・・ああ」
みんなと離れて、それぞれをじーっと見る。
みんなすっかり変わったけど、同じくらい変わってないね。
「改めて、久しぶり、肇」
「おう」
まず言葉を投げかけたのは、リーダーの古賀 肇。
私の一歳年上で、5歳のときに灰街にやってきた。
つまり私がここに来る1年前に来たってことかな。
頭が良くて、自分の名前の漢字は難しいのに5歳のときにはもう書けるようになっていた。
親に教えてもらったんだろうけど、それにしてもすごい。
その優秀な頭脳と強い精神力でみんなをまとめ上げて『殺し屋アルケー』を成り立たせている。
くすんだ灰色の髪をしている。血筋に外国人でも入っているのかも。
「久しぶり、ゆうた」
「ぐす・・・うわああああ」
「男泣き・・・⁉︎」
幹部のゆうた。
生まれたときから灰街にいたから学校にも通っておらず、字の読み書きは外来勢に教えてもらったものの、名前の漢字は不明なまま。
実はメシウマで健康や怪我にうるさい、みんなのママだ。
彼がいたから灰街で生き残れた人も少なくない。
灰街での食事や怪我の処置に詳しいのはさすが現地勢と言ったところか。
茶髪を無造作に切った短髪。元々は明るい色だったんだろうけど、今は埃まみれでくすんでいる。
私とは同い年だ。
「久しぶり、ねえね」
「まだねえねって呼んでくれるのね、嬉しい・・・!私も泣いちゃいそう」
「ねえねが泣いたら私も悲しいから」
「んもーかわいいんだからーっっっ!!!」
このハイテンションお姉さんはねえね・・・と言う名前ではなく、ゆみ。
意外にもゆうたと同じく現地勢だが、ボロボロの衣服と傷んだ髪からは想像できないほどのお姉さんっぷり。
みんなの相談を受けてほしい慰めと助かるアドバイスをくれる正真正銘のみんなのお姉さん。
なぜか小さい頃に「私のことはねえねって呼んで」と教えられてから、私はずっとそれが抜けていない。
一歳年上で、セミロングの黒髪だ。
「・・・太陽も久しぶり、する?」
「ばーか、俺とはもうしただろ」
「太陽だけ先にずるい」
「は⁉︎」
私を抱き込むねえねに敵意を向けられて戸惑う太陽。
彼は身体能力がこの中でもずば抜けて高い。情報処理能力も高くて優秀だった。
実際に球技大会ではバレーで無双って聞いたし、中間考査満点だったし。
だからみんなに頼られる先頭役で、みんなに憧れる責任を負う人物。
私の一個上で、学校に溶け込むためかその焦茶の髪は切り揃えられているし傷んではいない。
「・・・椿」
「今日はね、みんなにお話とお願いがあって来たの」
「たいようから聞いたよ、でもその前に」
「ストップ」
私はみんなの言葉をちょんぎった。
このままだとまた謝罪祭りだ。
それは望んでない。私は謝って欲しいなんて思ってない。
「謝るのなし」
「でも・・・」
「申し訳ないと思ってるなら、呑んで」
こればっかりは強引でも、呑んでもらわなくちゃ。
私の、数少ないエゴだ。
「まず最初に。私は、情報屋『ベルガモット』を営んでる」
「!」
「ベルガモットって、つばきだったのね・・・」
うん、と頷いて私は話を続ける。
ちょっと疑われるかと思ったけど、「ベルガモット」として情報収集をするときの服で来たからか、信じてもらえた。
「でね今、一ノ瀬 嗣翠と手を組んでるの」
「――・・・・・・・・・」
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
「・・・・・・・・・」
灰街から俺の私邸に帰る道の途中で、ちらと横を見る。
「ベルガモット」のフードを深く被った隣の人物は、ずっと黙っていた。
これからのことを考えているのかもしれない。
それはそうだろう。これからが正念場だ。
父が動いたから、俺は予定通り、父に任されていた仕事を終わらせてきた。
まず廃ビルに椿を送り届けて、それから任務に向かって、また廃ビルに戻ってくる。
それが今日の俺のメインミッションだった。
「・・・嗣翠」
「ん?」
「ありがとう」
フードの隙間から、弧を描いた口が見えた。
「当然だよ」
俺も同じように微笑んで返した。
「好きな女だからね」
「・・・・・・」
言葉を失ったように黙ったのを見届けながら、俺は家の扉を開く。
そして幾多の視線を感じながらも、俺たちは家に入ろうと――・・・・・・
「止まれ」
「・・・・・・」
「嗣翠、そいつがベルガモットだな」
「・・・・・・・・・・・・」
聞こえたのは、聞きたくない声。
嫌う声。苦手な声。
俺の父親の声。
「組長直々に来るなんて、畏れ多い」
俺は振り返ると、大仰に両手を上げた。
そのうちに家に入れと目配せしようとするが、父の隙がなくてそれも叶わない。
「おいベルガモット。死にたくなければそのフードを外せ」
「・・・・・・」
「俺は銃弾を外さないのは、情報屋のお前だからこそよく知っているはずだ」
「だめだベルガモット」
「嗣翠は黙っていなさい」
父の威圧感は相変わらず気色悪い。
舌打ちしそうになりながら、俺は押し黙る。
これは、従うしかない。
・・・・・・静かに、フードが落ちる音がした。
「見たことのない顔だ」
「・・・・・・そうだろうな」
「しかも男か。俺は女子高生だと思っていたんだがな」
父の言う「女子高生」は思ったよりも鳥肌が立つ。
この男と俺は血が繋がっているのか、と落胆したくなりながら、俺はため息をついた。
――思い通りになって、よかった。
そう。
今の「ベルガモット」は、椿じゃない。
『それにしても、よく一ノ瀬組のセキュリティを突破したね』
それは今日の朝。
組の中でしか共有されていない連絡網から見事、父の招集を嗅ぎつけた椿に、俺は言った。
『ほんとに。この前てつ・・・・・・おっとなんでもな』
『徹夜?徹夜したんだね?』
『うぐ』
『椿は隠すのがいつも上手いけど、俺にはそういうの隠さないで。やらないでとは言わないから』
『・・・・・・うー』
『約束して』
『・・・・・・はい。約束します』
『よくできました』
なんて言ったりしたけど。
本当に一ノ瀬組のセキュリティは堅い。
連絡を傍受されたら終わりだから、専属のセキュリティ係を雇ってる。
だからそれをよく突破したものだと思う。
・・・・・・いやまあ、突破するだろうとは思ってたけど。
『具体的な構成員の任務内容は招集してから、か。これは間違いなく私を確かめようとするね』
『そうだね。・・・・・・俺が――《成瀬 嗣翠》が仲良くしているのが《ベルガモット》なのかどうか』
普通はベルガモットだと思うだろう。
ベルガモットを買い取った時期と、学校で椿と関わり始めた時期が被っているのだから。
だけどそれを誤魔化すのは簡単だ。
《八神 椿はベルガモットのカモフラージュ》
そう思わせればいいだけの話だから。
要するに、
《ベルガモットは八神 椿ではない》
という確信を誘えばいい。
だから、椿は今日、仲間たちに会いに行った。
『――今から、そっちに行ってもいい?』
『なんだよいきなり。今日は予定がないから別にいいが』
『みんなに会いたいのもあるけど、ちょっとお願いがあって』
『なんだよ?』
『《私》になり切れる人を借りたいなって』
『殺し屋アルケー』に報復をしない。
そう決めた俺に、椿は『殺し屋アルケー』と協力するのはどうかと提案した。
俺が彼らを救えば彼らは生きるために殺しをする必要がなくなり、『殺し屋アルケー』は廃業する。
俺は『殺し屋アルケー』を潰したということになり、彼らは目的を達成する。
完全にwin-winだし、灰街改善にかかる金だって、『殺し屋アルケー』と協力することで得られる利益と比べれば安いものだ。
『お前になれる奴を?なんでだ?』
『私が情報屋「ベルガモット」であることを隠すため』
『お前、ベルガモットだったのか!?』
元々、父が直接ベルガモットの正体を確かめに来るであろうことはわかっていた。
それと時期さえわかれば、対策はできる。
『一ノ瀬 緋玉は自分で確かめたものを何より信用する――』
『だからこそ、彼さえ騙せればそれでいい』
この計画を立てたのは気持ちが通じた直後。
「殺し屋アルケー」のことを話したときに決めた。
その頃にちょうど、父が仕事の量の調整をし始めたことを掴んだからだ。
それは即ち、父自身が情報収集に赴こうとしている証拠。
もしそれが億分の一ほどの可能性を取って杞憂だったとしても、それは結果オーライ。
まあ――杞憂じゃなかったわけだけど。
椿が仲間のところに「ベルガモット」の格好で行ったのも、「ベルガモット」の体格を誤魔化すため。
ダボダボのパーカーなら、大体体格が同じで身長が似ている奴でもいい。
そして今、「ベルガモット」のふりをしているのは彼女の元仲間らしい、「肇」とやらだ。
リーダー格らしいが、一番椿に体の形が似ていた。
「・・・ふむ。八神 椿はベルガモットを隠すためのカモフラージュか?」
「組長が騙されてくれて助かったよ」
「してやられたな。まあ、情報屋の顔が割れればそれでいい」
「・・・・・・・・・」
俺たちの周りを取り囲んで銃を構えていた構成員たちが、父の命令で銃を下ろす。
満足した顔で踵を返そうとした父だったが、ふと思い出したように俺をしたり顔で見た。
・・・なんだ、まだあるのかな。
「とはいえ、嗣翠、お前はずいぶんあの女にぞっこんじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「今あの女が契約しているらしいアパートも突いてみているが、さて、お前はどうする?」
「っ・・・・・・・・・!」
俺は父を鋭く睨んだ。
彼女のアパート・・・椿が言っていたボロ屋のことだろうか。
あのアパートはほぼ鍵という役割を果たさないと聞いた。
「彼女に何を・・・・・・」
「どうとういうこともない、少し――」
「とでも、言うと思った?」
「・・・なに?」
「もうすぐ来るよ。彼女がね」
椿のアパート。
それは椿が一時的に契約を復活させたものだ。もちろん偽装して。
これも明確な目的がある。
ニヤリと笑うと、足音が聞こえてきたからか、それとも俺が笑ったからか、周囲が大きくどよめく。
「黙れ」
だが、ぴしゃりと父が言い放つと、その場は一気に冷えて静まった。
まだ父はまた銃の準備をする。
はたして、彼女はやってきた。
「こんばんは。いい夜ですね、組長さん。だからそんな物騒なものしまってください」
俺の家の屋根の上。
そこに、いつの間にか椿は座っていた。
「じゃないと・・・私もうっかり、あなたを撃ってしまいそうなので」
――拳銃を、その手に持って。
あれは俺の銃だ。
親愛の証、守るという誓い、そしてそれを父に見せるための覚悟の印。
「お前が八神 椿とやらか」
「ええ、まあ。一般的には」
「刺客はどうした?」
「殺しました」
嘘その1。
八神 椿が暮らしているアパート、に向かった構成員は、確かゆうたとゆみとか言う奴と椿が気絶させた。
全員姿を悟られる前に倒せるという自信があったようだから大丈夫だろう。
「殺した?女子高生のお前がか」
「そりゃあもちろん、当然です。仕事ですから」
椿は、不敵な笑みを浮かべ、壁を蹴って俺の隣、肇の反対側に降り立った。
「私、殺し屋『アルケー』なので」
嘘その2。
八神 椿こそが殺し屋「アルケー」だったということ。
そうすればベルガモットのカモフラージュに椿を選んだという理屈も通じる。
椿は自分で身を守れるほどの強さを持っていることになるから。
実際その通りだからなんの問題もない。
「・・・最初から、3人は共犯だったと」
「ごめいとーう」
椿はぱちぱちぱち、とゆっくり拍手をした。
その姿までも隙がなく、彼らは椿の威圧感で彼女が殺し屋「アルケー」であることを確信したはず。
実際、彼女が火事に巻き込まれていなければ、今ごろ椿は「殺し屋アルケー」の幹部だった。
「いいのか?そこまで明かして。それはお前たちの秘密だったろうに」
父は、まだ余裕を崩さない。
流石にこれくらいで慌ててはくれないか。残念。
でも、それはこっちだって同じ。
何度も地獄を潜り抜けて来たから。
「宣戦布告だよ」
「ほう」
「『ベルガモット』の顔まで明かすつもりはなかったんだが、まあいい」
「ハンデをあげたの。殺し屋『アルケー』と情報屋『ベルガモット』と嗣翠、その三要素を十分に考慮して組長さんが対策できるように」
これからは忙しくなるだろう。
・・・それでいい。
これでやっと、俺の望みが終わって、新たな望みが始まる。
「楽しみにしててよ」
俺は、予備の拳銃を父に向けた。
ベルガモットのふりをする肇も自分の拳銃を持ち、椿も俺の拳銃を父に向ける。
「俺は、あんたをぶっ潰すからさ」
すると父は――笑った。
心底楽しそうに。愉しそうに。喜ばしい、とでも言うように。
奇妙で歪で凍るような怖気が俺たちの背筋を駆け抜ける。
「いいぞ、面白い。――俺を殺してみろ、嗣翠」
そうして、化け物は俺たちを一瞥した後、構成員たちを引き連れて帰っていった。
「・・・嗣翠」
「真面目な話みたいだね。どうかした?」
気持ちが通じ合って、私たちは無事恋人同士になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ、一線は超えていない。キス止まりだ。
気持ちが通じあってから数週間が過ぎて6月になったが、まだキスまでしかしていない。
でも一応、「同居」から「同棲」には変わったのか、なんて思ったりして。
――・・・っていやいや!今はそんなこと言ってる場合じゃない。
ちょっと一ノ瀬組長・・・一ノ瀬 緋玉に動きがあったのだ。
「そこそこの人数が今日、一ノ瀬組に集まるみたい」
「メンバーは?」
すぐに嗣翠は顔色を変えた。
ついに目的のボスが動いたとなれば当然の反応だろう。
「・・・・・・俺の部下じゃない。こいつらは確か、組長派の幹部の部下・・・?」
「確か今日、嗣翠は別の仕事を任されてたはずだよね」
「そうだね。俺が引き受けた任務以外にやるべき組の任務はなかったはず」
「なら、決まりだね」
――一ノ瀬 緋玉は、私たち向けに動きを展開しようとしている。
いや正確には、「ベルガモットと一ノ瀬 嗣翠が関係しているのか確かめるため」に。
「父が利用しようとしたタイミングでベルガモットが買収されて、最近は俺と父の対立が明確化してきてる。俺の情報網は向上してるわけだし、俺を疑わない方がおかしい」
「けど、これは計算通り・・・だよね、嗣翠?」
「そうだね。2人で話した通りだ」
今回、一ノ瀬 緋玉にはわざと私たちを疑わせた。
緋玉は自分に大いなる自信がある。
だからこそ、自分の手腕で確かめたことには全幅の信頼をおく。
だからこそそれを突破さえすれば、「ベルガモット」が「八神 椿」と繋がることはまずなくなるだろう。
「朝比奈に連絡できる?」
「うん。外部からの傍受を無効化すればよくて・・・・・・解除するまでネットとか使えないけど、すぐ終わるから」
「わかった」
パソコンで準備をしてから、私は太陽に早速電話をかけた。
「もしもし、つばき?」
「もしもし、太陽。急なんだけどさ」
私と嗣翠は、出かける準備を始めながら目配せをした。
「――今から、そっちに行ってもいい?」
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
「・・・・・・緊張するか?」
「まあ、さすがにね」
太陽の問いかけに、私はぎこちなく頷いた。
『殺し屋アルケー』が拠点にしている、灰街で2番目に高い廃ビルの最上階。
私と太陽はその1番奥の部屋の扉の前で立ち止まっていた。
嗣翠はここまで一緒に来てくれたけど、部屋には入らない。
私のことを気遣って、行って来てと言ってくれた。
・・・・・・この先に、みんながいる。
かつて仲良しだったみんなは、今は『殺し屋アルケー』の幹部としてこの部屋にいるらしい。
あとから入ってきたメンバーは下の階にいた。
何十人もいたから総数はわからないけど、灰街の若者がほぼ全員いるんだから相当だろう。
一旦そこは素通りして最上階に来たんだけど、あとで挨拶するつもりだ。
「みんな、椿を待ってるぞ」
「・・・・・・うん。行こう」
「わかった」
ふう、と息を吐く。
緊張だなんて、それこそ入学式以来だ。
「つばきを連れてきた。入るぞ」
太陽がそう言って、ドアを開ける。
錆びていて歪んだドアは嫌な音がした。
「・・・椿?」
「・・・・・・・・・」
太陽のあとに続いて部屋に入る。
そこには、思った通り3人の仲間たちがいた。
・・・・・・久しぶりだな。
もう6年も経ったけど、みんな面影が残ってる。
私がそう思って微笑むと、室内のみんなはぱあっと顔を輝かせた。
「椿!」
「つばき!」
「ああ、会いたかった、つばき!」
3人分の抱擁を受け止める。
そっと室内を見渡すと、思った通り内装もボロボロのままで、奥に重厚な金庫が置いてあった。
床が抜けそうだが、そこは安全確認済みであろうことは予想できるので触れないでおこう。
・・・お金があっても内装を変えないのは、灰街を変える資金を貯めるためだろう。
「久しぶり。肇、ゆうた、ねえね」
「うう・・・・・・ぐすっ、生きててよかった・・・!」
「ねえ、みんなの姿見せて。ちゃんと見たい」
「わかったけど、ちょっと待ってよ・・・・・・ずびっ」
仕方ないな、なんて笑って。
私を抱きしめてくれる温かい3人分の温もりを堪能する。
よかった。わかってはいたけど、みんな私のことを責めない。忌避しない。
私はみんなを捨てたし、みんなは私を置いていった。
だけど私たちの絆は壊れていなかった。
それが嬉しい。
太陽に視線を向けると、「ほら大丈夫だっただろ」という視線を受けた。
なんかムカつく。
「おわっ」
だから腕を掴んでハグに巻き込んで、みんなでお互いを抱きしめあった。
状況がどうあろうとも、みんなが無事でよかった。
・・・本当に、よかった。
「・・・ほら、終わり。顔みせて」
「・・・・・・ああ」
みんなと離れて、それぞれをじーっと見る。
みんなすっかり変わったけど、同じくらい変わってないね。
「改めて、久しぶり、肇」
「おう」
まず言葉を投げかけたのは、リーダーの古賀 肇。
私の一歳年上で、5歳のときに灰街にやってきた。
つまり私がここに来る1年前に来たってことかな。
頭が良くて、自分の名前の漢字は難しいのに5歳のときにはもう書けるようになっていた。
親に教えてもらったんだろうけど、それにしてもすごい。
その優秀な頭脳と強い精神力でみんなをまとめ上げて『殺し屋アルケー』を成り立たせている。
くすんだ灰色の髪をしている。血筋に外国人でも入っているのかも。
「久しぶり、ゆうた」
「ぐす・・・うわああああ」
「男泣き・・・⁉︎」
幹部のゆうた。
生まれたときから灰街にいたから学校にも通っておらず、字の読み書きは外来勢に教えてもらったものの、名前の漢字は不明なまま。
実はメシウマで健康や怪我にうるさい、みんなのママだ。
彼がいたから灰街で生き残れた人も少なくない。
灰街での食事や怪我の処置に詳しいのはさすが現地勢と言ったところか。
茶髪を無造作に切った短髪。元々は明るい色だったんだろうけど、今は埃まみれでくすんでいる。
私とは同い年だ。
「久しぶり、ねえね」
「まだねえねって呼んでくれるのね、嬉しい・・・!私も泣いちゃいそう」
「ねえねが泣いたら私も悲しいから」
「んもーかわいいんだからーっっっ!!!」
このハイテンションお姉さんはねえね・・・と言う名前ではなく、ゆみ。
意外にもゆうたと同じく現地勢だが、ボロボロの衣服と傷んだ髪からは想像できないほどのお姉さんっぷり。
みんなの相談を受けてほしい慰めと助かるアドバイスをくれる正真正銘のみんなのお姉さん。
なぜか小さい頃に「私のことはねえねって呼んで」と教えられてから、私はずっとそれが抜けていない。
一歳年上で、セミロングの黒髪だ。
「・・・太陽も久しぶり、する?」
「ばーか、俺とはもうしただろ」
「太陽だけ先にずるい」
「は⁉︎」
私を抱き込むねえねに敵意を向けられて戸惑う太陽。
彼は身体能力がこの中でもずば抜けて高い。情報処理能力も高くて優秀だった。
実際に球技大会ではバレーで無双って聞いたし、中間考査満点だったし。
だからみんなに頼られる先頭役で、みんなに憧れる責任を負う人物。
私の一個上で、学校に溶け込むためかその焦茶の髪は切り揃えられているし傷んではいない。
「・・・椿」
「今日はね、みんなにお話とお願いがあって来たの」
「たいようから聞いたよ、でもその前に」
「ストップ」
私はみんなの言葉をちょんぎった。
このままだとまた謝罪祭りだ。
それは望んでない。私は謝って欲しいなんて思ってない。
「謝るのなし」
「でも・・・」
「申し訳ないと思ってるなら、呑んで」
こればっかりは強引でも、呑んでもらわなくちゃ。
私の、数少ないエゴだ。
「まず最初に。私は、情報屋『ベルガモット』を営んでる」
「!」
「ベルガモットって、つばきだったのね・・・」
うん、と頷いて私は話を続ける。
ちょっと疑われるかと思ったけど、「ベルガモット」として情報収集をするときの服で来たからか、信じてもらえた。
「でね今、一ノ瀬 嗣翠と手を組んでるの」
「――・・・・・・・・・」
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
「・・・・・・・・・」
灰街から俺の私邸に帰る道の途中で、ちらと横を見る。
「ベルガモット」のフードを深く被った隣の人物は、ずっと黙っていた。
これからのことを考えているのかもしれない。
それはそうだろう。これからが正念場だ。
父が動いたから、俺は予定通り、父に任されていた仕事を終わらせてきた。
まず廃ビルに椿を送り届けて、それから任務に向かって、また廃ビルに戻ってくる。
それが今日の俺のメインミッションだった。
「・・・嗣翠」
「ん?」
「ありがとう」
フードの隙間から、弧を描いた口が見えた。
「当然だよ」
俺も同じように微笑んで返した。
「好きな女だからね」
「・・・・・・」
言葉を失ったように黙ったのを見届けながら、俺は家の扉を開く。
そして幾多の視線を感じながらも、俺たちは家に入ろうと――・・・・・・
「止まれ」
「・・・・・・」
「嗣翠、そいつがベルガモットだな」
「・・・・・・・・・・・・」
聞こえたのは、聞きたくない声。
嫌う声。苦手な声。
俺の父親の声。
「組長直々に来るなんて、畏れ多い」
俺は振り返ると、大仰に両手を上げた。
そのうちに家に入れと目配せしようとするが、父の隙がなくてそれも叶わない。
「おいベルガモット。死にたくなければそのフードを外せ」
「・・・・・・」
「俺は銃弾を外さないのは、情報屋のお前だからこそよく知っているはずだ」
「だめだベルガモット」
「嗣翠は黙っていなさい」
父の威圧感は相変わらず気色悪い。
舌打ちしそうになりながら、俺は押し黙る。
これは、従うしかない。
・・・・・・静かに、フードが落ちる音がした。
「見たことのない顔だ」
「・・・・・・そうだろうな」
「しかも男か。俺は女子高生だと思っていたんだがな」
父の言う「女子高生」は思ったよりも鳥肌が立つ。
この男と俺は血が繋がっているのか、と落胆したくなりながら、俺はため息をついた。
――思い通りになって、よかった。
そう。
今の「ベルガモット」は、椿じゃない。
『それにしても、よく一ノ瀬組のセキュリティを突破したね』
それは今日の朝。
組の中でしか共有されていない連絡網から見事、父の招集を嗅ぎつけた椿に、俺は言った。
『ほんとに。この前てつ・・・・・・おっとなんでもな』
『徹夜?徹夜したんだね?』
『うぐ』
『椿は隠すのがいつも上手いけど、俺にはそういうの隠さないで。やらないでとは言わないから』
『・・・・・・うー』
『約束して』
『・・・・・・はい。約束します』
『よくできました』
なんて言ったりしたけど。
本当に一ノ瀬組のセキュリティは堅い。
連絡を傍受されたら終わりだから、専属のセキュリティ係を雇ってる。
だからそれをよく突破したものだと思う。
・・・・・・いやまあ、突破するだろうとは思ってたけど。
『具体的な構成員の任務内容は招集してから、か。これは間違いなく私を確かめようとするね』
『そうだね。・・・・・・俺が――《成瀬 嗣翠》が仲良くしているのが《ベルガモット》なのかどうか』
普通はベルガモットだと思うだろう。
ベルガモットを買い取った時期と、学校で椿と関わり始めた時期が被っているのだから。
だけどそれを誤魔化すのは簡単だ。
《八神 椿はベルガモットのカモフラージュ》
そう思わせればいいだけの話だから。
要するに、
《ベルガモットは八神 椿ではない》
という確信を誘えばいい。
だから、椿は今日、仲間たちに会いに行った。
『――今から、そっちに行ってもいい?』
『なんだよいきなり。今日は予定がないから別にいいが』
『みんなに会いたいのもあるけど、ちょっとお願いがあって』
『なんだよ?』
『《私》になり切れる人を借りたいなって』
『殺し屋アルケー』に報復をしない。
そう決めた俺に、椿は『殺し屋アルケー』と協力するのはどうかと提案した。
俺が彼らを救えば彼らは生きるために殺しをする必要がなくなり、『殺し屋アルケー』は廃業する。
俺は『殺し屋アルケー』を潰したということになり、彼らは目的を達成する。
完全にwin-winだし、灰街改善にかかる金だって、『殺し屋アルケー』と協力することで得られる利益と比べれば安いものだ。
『お前になれる奴を?なんでだ?』
『私が情報屋「ベルガモット」であることを隠すため』
『お前、ベルガモットだったのか!?』
元々、父が直接ベルガモットの正体を確かめに来るであろうことはわかっていた。
それと時期さえわかれば、対策はできる。
『一ノ瀬 緋玉は自分で確かめたものを何より信用する――』
『だからこそ、彼さえ騙せればそれでいい』
この計画を立てたのは気持ちが通じた直後。
「殺し屋アルケー」のことを話したときに決めた。
その頃にちょうど、父が仕事の量の調整をし始めたことを掴んだからだ。
それは即ち、父自身が情報収集に赴こうとしている証拠。
もしそれが億分の一ほどの可能性を取って杞憂だったとしても、それは結果オーライ。
まあ――杞憂じゃなかったわけだけど。
椿が仲間のところに「ベルガモット」の格好で行ったのも、「ベルガモット」の体格を誤魔化すため。
ダボダボのパーカーなら、大体体格が同じで身長が似ている奴でもいい。
そして今、「ベルガモット」のふりをしているのは彼女の元仲間らしい、「肇」とやらだ。
リーダー格らしいが、一番椿に体の形が似ていた。
「・・・ふむ。八神 椿はベルガモットを隠すためのカモフラージュか?」
「組長が騙されてくれて助かったよ」
「してやられたな。まあ、情報屋の顔が割れればそれでいい」
「・・・・・・・・・」
俺たちの周りを取り囲んで銃を構えていた構成員たちが、父の命令で銃を下ろす。
満足した顔で踵を返そうとした父だったが、ふと思い出したように俺をしたり顔で見た。
・・・なんだ、まだあるのかな。
「とはいえ、嗣翠、お前はずいぶんあの女にぞっこんじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「今あの女が契約しているらしいアパートも突いてみているが、さて、お前はどうする?」
「っ・・・・・・・・・!」
俺は父を鋭く睨んだ。
彼女のアパート・・・椿が言っていたボロ屋のことだろうか。
あのアパートはほぼ鍵という役割を果たさないと聞いた。
「彼女に何を・・・・・・」
「どうとういうこともない、少し――」
「とでも、言うと思った?」
「・・・なに?」
「もうすぐ来るよ。彼女がね」
椿のアパート。
それは椿が一時的に契約を復活させたものだ。もちろん偽装して。
これも明確な目的がある。
ニヤリと笑うと、足音が聞こえてきたからか、それとも俺が笑ったからか、周囲が大きくどよめく。
「黙れ」
だが、ぴしゃりと父が言い放つと、その場は一気に冷えて静まった。
まだ父はまた銃の準備をする。
はたして、彼女はやってきた。
「こんばんは。いい夜ですね、組長さん。だからそんな物騒なものしまってください」
俺の家の屋根の上。
そこに、いつの間にか椿は座っていた。
「じゃないと・・・私もうっかり、あなたを撃ってしまいそうなので」
――拳銃を、その手に持って。
あれは俺の銃だ。
親愛の証、守るという誓い、そしてそれを父に見せるための覚悟の印。
「お前が八神 椿とやらか」
「ええ、まあ。一般的には」
「刺客はどうした?」
「殺しました」
嘘その1。
八神 椿が暮らしているアパート、に向かった構成員は、確かゆうたとゆみとか言う奴と椿が気絶させた。
全員姿を悟られる前に倒せるという自信があったようだから大丈夫だろう。
「殺した?女子高生のお前がか」
「そりゃあもちろん、当然です。仕事ですから」
椿は、不敵な笑みを浮かべ、壁を蹴って俺の隣、肇の反対側に降り立った。
「私、殺し屋『アルケー』なので」
嘘その2。
八神 椿こそが殺し屋「アルケー」だったということ。
そうすればベルガモットのカモフラージュに椿を選んだという理屈も通じる。
椿は自分で身を守れるほどの強さを持っていることになるから。
実際その通りだからなんの問題もない。
「・・・最初から、3人は共犯だったと」
「ごめいとーう」
椿はぱちぱちぱち、とゆっくり拍手をした。
その姿までも隙がなく、彼らは椿の威圧感で彼女が殺し屋「アルケー」であることを確信したはず。
実際、彼女が火事に巻き込まれていなければ、今ごろ椿は「殺し屋アルケー」の幹部だった。
「いいのか?そこまで明かして。それはお前たちの秘密だったろうに」
父は、まだ余裕を崩さない。
流石にこれくらいで慌ててはくれないか。残念。
でも、それはこっちだって同じ。
何度も地獄を潜り抜けて来たから。
「宣戦布告だよ」
「ほう」
「『ベルガモット』の顔まで明かすつもりはなかったんだが、まあいい」
「ハンデをあげたの。殺し屋『アルケー』と情報屋『ベルガモット』と嗣翠、その三要素を十分に考慮して組長さんが対策できるように」
これからは忙しくなるだろう。
・・・それでいい。
これでやっと、俺の望みが終わって、新たな望みが始まる。
「楽しみにしててよ」
俺は、予備の拳銃を父に向けた。
ベルガモットのふりをする肇も自分の拳銃を持ち、椿も俺の拳銃を父に向ける。
「俺は、あんたをぶっ潰すからさ」
すると父は――笑った。
心底楽しそうに。愉しそうに。喜ばしい、とでも言うように。
奇妙で歪で凍るような怖気が俺たちの背筋を駆け抜ける。
「いいぞ、面白い。――俺を殺してみろ、嗣翠」
そうして、化け物は俺たちを一瞥した後、構成員たちを引き連れて帰っていった。



