私が灰街にやってきたのは今からちょうど8年ほど前。
その頃から、灰街はいわゆる『吹き溜まり』、つまりいろいろな理由で底辺へ落とされた、または落ちてしまった人々が追い出されてしまう場所。
もちろん普通に住んでいる人もそれなりにいる。今も。
だけど道を歩けばホームレスを見かけ、大きなリュックなど背負おうものなら30分で盗まれるような魔境。
昔はビルがたくさんあるオフィス街だったらしいが、このあたりで大量殺人が起きてからこのようになってしまったと聞く。
・・・私の両親は、社内恋愛だった。
とある大手グループで働いていたそうで、席が隣になったのがきっかけだと言っていた。
そのうち仲良くなって結婚し、私が生まれ、私を「椿」と名付けたわけだが。
私が6歳で、もうすぐ7歳になろうという頃。
そう、小学1年生のときだ。
両親は、知ってはいけないことを知ってしまったらしい。
『ごめんね、ごめんね・・・・・・ごめんね、椿』
お父さんとお母さんは薬を打たれ、私たちは灰街に追放された。
その頃は「知っちゃいけないことを知ってしまったから」としか理由を教えてもらえなかったけど、今ならわかる。
きっと、お父さんとお母さんは大手グループの知ってはいけないこと・・・つまり極秘情報を知ってしまったのだ。
闇オークションをやっているとか、そういう類の。
『ごめん、ね。しっかり・・・育ててあげられなくて・・・ゲホッ、ゲホッ、うぅ・・・っ』
『無理しないで、お母さん。苦しいでしょう?』
お父さんとお母さんが打たれた薬は粗悪品だった。
すぐ体力がなくなって、一日中床にぐったりと倒れたまま。
仕事は当然のようになくなったし、家も無くなった。
灰街の、埃っぽい廃ビルの隅っこで雨風を凌ぎながら暮らしていた。
だから思った。
このままじゃだめだ。私の大好きなお父さんとお母さんが死んじゃう。
私が何とかしなきゃ、って。
そうしてビルを出て出会ったのが、彼ら。
『お前も灰街に追い出されて来たのか』
私と同じくらいの歳の子供の集まりだった。
その中の1人は、私に言ってくれた。
『俺たちは苦しい中で生きてる。だからこそわかりあえる。一緒に生き延びよう』
その中にはもちろん太陽もいて、私たちは毎日協力してものを盗み、売り、時には灰街の外で盗み、売り、そのお金で食料を買っていた。
みんなで協力すれば、できなかったこともできた。生き延びていられた。
協力さえすれば、灰街すらも出られるような気がした。
お母さんたちも、薬が抜けてだんだんとよくなった。
だけど状況が変わったのが、それから2年後。
今から6年前、私が10歳になろうという年のこと。
『治安改善事業?』
『ああ。今日モノを売りに行ったら、買取先が教えてくれた。この灰街をどうにかしようとしてるって』
『でも・・・そんなこと、できるの?』
『・・・わかんない』
不安だった。
彼らは見かけだけどうにかしたふりをして、私たちのことは助けてくれないんじゃないかって。
どうにもならないから仕方ない、とか言うんじゃないかって。
『・・・どうにか、なりますように』
・・・まあ、現実は甘くないよね。
結論から言えば、「どうにか」はならなかった。
今でも治安改善事業が無期限停止を繰り返してるのからも丸わかりだ。
『え・・・⁉︎』
治安改善事業が始まって、1ヶ月ほど経った頃。
燃えていた。
すべてが、燃えていた。
消防服を着た大人がいっぱい走り回って、火を消そうとしていたけど。
炎の広がり方は尋常じゃない。そりゃそうだ、あんなに埃があるんだもん。
そして、燃えていた。
お父さんとお母さんがいるはずの、廃ビル。
『だめ・・・・・・お、父さん、お母さん・・・・・・!!!』
『行くな!』
『でも!お父さんとお母さんが・・・!!』
『つばき!だめだ!行ったらつばきも無事じゃ済まない!』
・・・わかってたよ。
もう手遅れだって。どうにもならないって。治安改善事業なんて、所詮見せかけに過ぎなかったって。
お父さんたちに逃げる余裕なんてありはしない。薬は抜けきっていなかったし、その日の2人は調子が悪かった。
だからもういないことくらい、わかっていた。
けど。
だけど。
『父さん、頑張って・・・・・・仕事、見つけ・・・・・・ぐっ、がは・・・っ』
『いいよ、もういいよ・・・・・・!』
薬でまともに動けなくて、私に頼りきりで。
それでも。
お父さんとお母さんは、私の大切な「家族」だったのに。
大切な大切な、宝物、だったのに。
『お前の両親は、死んだんだ』
・・・私は、結局2人に、何もしてあげられなかった。
お母さんは、自分の食べ物を分けてくれたのに。
お父さんは、私が寒くないようにずっと温めてくれていたのに。
私は、本当に何も、できなかった。
無情にも、火は埃と腐ったゴミだらけの灰街をどんどん焼いていく。
今の灰街にボロ屋が多いのは、その火事の被害が甚大だったからだ。
そして私たちは逃げ道を塞がれた。
『だめだ!炎に囲まれた!』
『どうしよう・・・ここで死ぬなんてダメなのに!』
万事休す、と思われたところに、高いところに通気口があるのを発見した。
――あそこからなら、出られる。
そう思って、みんなで1人ずつ仲間を押し上げて、最後の1人が前の人の足に捕まって登る。
それならいけるかもってみんなで話し合って、建物から逃げ出した。
私が、みんなを押し上げた。
私のお父さんとお母さんがそうしたように、身を挺してみんなを助けるべきだと思ったから。
誰かに身を挺して助けられて、誰かを犠牲にするのが怖かったから。
でも、結果として。
『え・・・?まって、うそ・・・⁉︎』
前の人が、私を持ち上げるはずが。
それを忘れて、さっさと逃げていってしまった。
それが、太陽。
私を「助ける」のを忘れてしまった人だ。
『し、死んじゃう・・・!行かないで、お願い、助けて・・・!』
――私は、このときみんなと離れ離れになってしまった。
結果としては、何とか逃げおおせた。
通気口から遠い位置にあった排気管に捕まって登り、高いところにある窓の外に出て、下の階のベランダに降り立つ。
それを繰り返して繰り返して、降りることができた。
『生きてる・・・生きてる・・・・・・、私、死んでない』
けどみんながどこに行ったのかも、自分がどこにいるのかも、わからなかった。
両親は死んだ。仲間とははぐれた。再会できても関係は悪化してしまう。
行くところが、帰る場所が、ない。
私はすっかり途方に暮れた。
たった一度の火事のせいで、私はすべてを失ったから。
どうすればいいかわからなかった。
泣きたかった。でもここで泣けば、誰かに殺されて服を売られるかもしれない。
私は泣けずに、その日雨風を凌げる場所を探そうと行く宛もなく彷徨い始めた。
その日だ。偶然灰街の出口近くを歩いていた私に出会ったのは。
『ねえ、君はなんでこんなところを歩いているの?』
私と同じくらいの歳の少年。
怖いくらいに綺麗で、冷たい雰囲気で――そうか。
今思い出した。
その少年、嗣翠だったんだね。
あんなに綺麗で、恐ろしいくらいに落ち着いてて、冷たくて、何も感じない人は嗣翠しかいない。
そう、嗣翠が、そこを歩いていた。
自分こそ灰街で歩いているくせにそう言ってくるなんて、理不尽さは子供の頃からってことだろうか。
『・・・あなたは、誰?どこから来たの?』
私は質問で返した。
けど答えのつもりだった。「どこから来た」っていう質問こそが、「私は灰街の人間である」という証拠になったから。
『・・・この街の外側から来た』
嗣翠は、それだけ言った。
『迷ってるの?』
『・・・わからない』
迷っているのかわからない。
そう言う嗣翠の言葉を聞いて、ああこの人も何かあったんだな、って同類を見つけたつもりになった。
『話したいことがあるなら、話していいよ』
『お前は帰る場所がないのか?』
『わかんない』
そう言うと、嗣翠はちょっとだけ、その氷みたいな雰囲気を和らげた。
類は友を呼ぶというか、お互いになんとなく同じ雰囲気は感じ取っていたんだと思う。
『・・・・・・場所を変えよう』
私たちは灰街とその外側との境目にある小さな広場へやってきた。
遠くから消防車の音だけが聞こえてくる。私は何も感じなかった。
『・・・・・・・・・自分が怖い』
嗣翠は、そのとき確かに言った。
『生きていくためにはそうするしかなかった。でもやりたくなかった。のに、生きるためにやった』
『・・・・・・』
『何が正解なのかもうわからない。正解なんてないのかもしれない』
私たちはそのときもう既に辛いことを経験しすぎた。
だから余分に大人な心をもっていて、同じくらい子供の心も持っていた。
『俺は俺が怖い。もう辛いことに遭いたくない』
私も、辛いことはもう懲り懲りだった。
だけどこれから生きていくためには、1人の私は辛いことばかりだってわかっていた。
それでも私は辛いことに向かっていく。
『・・・世界は、私たちに優しくないよ』
『・・・』
『でも、生きてる。私たちが生きてるのは、生きたいと思ったから』
だって死のうとすればいつだって死ねた。
でも、死んでいない。
『自分の気持ちが一番大事。だけど私と、多分あなたも自分を大切にできない』
そのとき、私はいつかお母さんの調子がいいときに聞いた話を思い出した。
『辛くて何もできそうにないなら、一つだけ、「望み」を持っておけ、って言われたことがあるの』
『望み?』
『これだけは絶対にやる、ゲットする、って決めるんだって』
話していくうちに、私はだんだんと落ち着いてきた。
冷静であっても落ち着いてはいない。そう言う状況だったから。
そう、そうだよ。
望みを持とう。お母さんが教えてくれたように。
そして、私はお父さんの言葉も思い出した。
『大丈夫。きっと何とかなる』
『・・・・・・』
『お父さんは「ちゃんと世界は優しい」って言ってた。今は優しくなくても、頑張って歩けばいつか、優しい世界に辿り着けるって』
だってお父さんとお母さんは優しい世界にいたから。
世界は、灰街みたいな地獄ばっかじゃない。
ちゃんと、優しい。
それを聞いて、私はとっても安心したのだ。
まだ私たちにも希望はある、って。
『・・・優しい世界、か』
そう呟いて、嗣翠はベンチから降りた。
『どこいくの?』
『・・・帰る』
『そっか』
この子は帰る場所があるんだなあ、って思った。
けど、灰街で歩いてたんだから、きっとその場所はこの子にとって「優しくない世界」なんだろうな、とも。
『・・・またね』
でも私にはどうすることもできないから、私はそうとしか言えなかった。
『・・・お前は、どうするわけ?』
『・・・・・・灰街、出る。優しい世界に行くために、頑張ることにした』
人に話すと楽になる、って誰かが言っていたのを思い出した。
考えがまとまるし、新しいことを思い出せるし、案外間違ってなかったね。
『・・・・・・そ。じゃあ、またね』
『うん。いつか』
再会の言葉を交わしたくせに、私はすっかり忘れていた。
でも当然だったのかもしれない。小さい頃の話だし。
それに、この後もなかなか辛かったから。
優しい思い出に浸って壊れないように、私の頭は正常な判断をしたのだろう。
ともかく、私は灰街を出て、外側の世界で生きることを決めた。
灰街は、もう私の居場所じゃないって思ってた。
みんなとは会いづらいし、もうお父さんもお母さんもいないから。
『――――・・・・・・!――――』
灰街の外側の街はとっても発展している。
だからこそホームレスとかは灰街にぜーんぶ追いやられちゃうから、毎日隠れて寝ていた。
けどある日、眠ろうとすると、とある会話が聞こえた。
『声が大きい。誰かに聞こえるぞ』
『大丈夫だ、ちゃんと確認した。――例の件、明後日に決まった』
『そうか。日程は隠してあるだろうな』
『ああ。バレていないとも』
・・・なんか、秘密の話をしてるんだろうな、ってことはわかった。
覗いてみれば、手首にさそりの模様が入ったおじさん2人が、こそこそ話していた。
明後日、とか。秘密の話、とか。そういうことしかわからなかったけど。
『本当か・・・⁉︎椿、でかした!』
盗んだものを買い取ってくれていたお店の店長さんにそのことを話したら喜んでもらえて、お金をいっぱいもらえた。
『じょうほう・・・』
――いける。
この方法なら、私は生きていける。
そう思った。
誰かの秘密を食い物に生きていくのは嫌だ。
だけど、こうしなきゃ生きていけないって本能的に感じていた。
『・・・生きたい』
そうだ、死にたくない。
『優しい世界に行きたい』
かつて、お父さんとお母さんがいた世界。
ここにくる前に私も、いた世界。
みんなが笑って暮らせる世界。
みんなが暮らす、「普通」の世界に。
『・・・・・・っ』
私はこうしちゃいられないと立ち上がった。
向かうはこの前情報を手に入れた寝床。
誰かが内緒の話をしていたら、また高く買ってくれるかもしれない。
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
そうして、私は情報屋になるために努力を始めた。
稼いで稼いで、そのお金で身なりを整えて勉強して、パソコンを買った。
色々なことを知って、そのうち潰れそうなアパートを借りてそこで作業して。
12歳になる頃、私は情報屋「ベルガモット」を開業した。
ベルガモットは、お父さんとお母さんが好きなお花。
お父さんがベルガモットの花畑でプロポーズしてくれたのよ、って、お母さんが照れくさそうに話していた。
太陽の説明に、その後のことを私が付け足して話すと、太陽と嗣翠は真剣に聞いてくれた。
私が気付いたのは正解だったようで、嗣翠もその頃を思い出したらしい。
私が話した男の子は確かに嗣翠だと言ってくれた。
「本当に、ごめん。謝って済む問題じゃないけど、悪かった!」
太陽は、何度目かもわからない謝罪を口にして頭を下げた。
「・・・いいよ。大丈夫だよ、太陽」
「でも、つばき」
「今、私は生きてる。辛いこともあったけど、私はやっとね、『優しい世界』にたどり着いたの」
子供の頃に苦労した分、今はいっぱい恵まれてる。
晴哉くんとりかちゃんっていう親友も、にぎやかで優しいクラスメイトもできた。
そして何より、嗣翠と出会えた。
「だから気にしないで。もう、大丈夫だから」
だって生きたかったんだから。
あんなに炎が燃えていれば逃げたくなるだろう。
流石に酷いと思ったし、太陽は悪くないなんて言えないけど。
文句だって言いたいし、とっても悲しくて辛かったけど。
でも、それが今の私を作ってるんだから、むしろラッキーだったかもしれない。
あのとき嗣翠に会っていなければ今頃私はまだ地獄にいたかもしれない。
「・・・その、他人に甘すぎるところ、変わってねーのな」
「太陽こそ」
太陽は、自嘲する笑みを浮かべつつ、涙をこぼす。
嗣翠は、黙っていた。
私も黙っていた。
ただそこにしばらく、太陽がずっと抑えてきたであろう嗚咽が解かれて、流れていただけだった。



