――それから、何週間かが過ぎた。
過激ファンはすっかり鳴りを潜め、平和な毎日が続いている。
私は『殺し屋アルケー』の他は何の情報も調べておらず、最近はずっとただの女子高生の生活をしていた。
・・・嗣翠が、気遣っているのかもしれない。
・・・・・・話がそれた。
いやある意味それていないのか・・・・・・・・・。
「椿?」
嗣翠が、私が心配という瞳で私の顔を覗き込む。
「・・・ねぇ嗣翠、ごめん、もう一回言って」
やっぱり、私は前述の言葉を訂正するべきか。
私はどこか他人事のように自分を俯瞰しながらも、そんな思考をして現実逃避した。
「俺は、椿が好き」
――ヤクザに告白されるのは、もはやただの女子高生ではない。
ことの発端は、今から一週間前、ちょうど中間考査が始まる前日のことだ。
「椿」
「ん?」
「中間考査で勝負しない?」
勝負って言っても点数とか順位とかを競うだけだろうに、嗣翠はひどく真面目な顔をしていた。
何なんだ、と思いつつとりあえず頷く。
「いいよ。どういう勝負にする?」
「点数で。学年は違うが、俺と椿はどうせ満点かそうじゃないかの勝負にしかならないし」
「確かに」
「勝ったほうが何でも一つ言うことを聞く」
「際どいねえ、いいよ」
言うからにはきっと、私に聞いてほしいことがあるんだろうな。
徹夜禁止令とかじゃないよね・・・と思いつつも、もしそれだったら大変だと思って私は勉強を重ねた。
――結果、負けた。
「うっそ、一画目跳ねてないから減点って・・・・・・」
数学、理科、社会、英語、全て200点中200点。
そして国語。現代文の最初の大問一の漢字、跳ねてないので減点、199点。
ありえない・・・・・・。私の満点計画が・・・999点とか一番取りたくなかったんですけど。
嗣翠は1000点満点なんだろうなと思うと悔しい。引き分けにしてやろうと思ってたのに・・・。
「うっわ、それ一番悔しいやつじゃん」
「それな。本当それな。先生許さない」
「チョコ食べる?」
「りかちゃん天使」
微糖チョコをヤケで口に放り込みながら、私はファイルに国語の答案をねじ込んだ。
ったく、なーにが「惜しかったですねぇ」だ!ニヤニヤしやがって。
悔しい。数字が気持ち悪い。999点が気持ち悪い。妖怪一足りないが出たよ。駆逐したい、クソ妖怪が。
心の中で悪態をつきつつ、私は結果を嗣翠にメッセージで報告するのだった。
――そして今日。
嗣翠は見事、全教科満点だった。
東大入れるんじゃないかって思うけど、本人は興味がないらしい。
それはそれとして、私は聞いたのだ。
「お願い何でも聞くから、教えて」と。
そうして、話は冒頭に戻る。
「まず、先に言っておく」
「うん」
先に言うことがあるくらいやばいお願いかな。
警視庁の情報盗めとかじゃないよね。
ハラハラしつつも前置きを待つ。
そうして、私、八神 椿こと哀れな鳩は、見事に顔面に豆鉄砲を喰らうのだ。
「俺は、椿が、1人の女として好き」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
うん?
うーんと、えっと。ちょっと待とう。
・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・今日、いい天気だな。
「椿?」
まさに豆鉄砲を喰らった鳩の顔だった私を心配して、嗣翠が顔を覗き込んでくる。
私は状況を受け入れきれずに聞き返した。
「ねぇ嗣翠、ごめん、もう一回言って?」
告白を聞き返すという失礼極まりない行為にも気を悪くせず、嗣翠はもう一回、今度はソファで隣に座る私の髪を一房掬って、言ってくれた。
「俺は、椿が好き」
そうして、私に見せつけるように、私の髪に口付けてみせた。
「・・・・・・いつから?」
「そうだな、椿が『殺し屋アルケー』を調べるために徹夜した日あたりから」
「結構前・・・」
「そうだね。感情の意味を知ったのはお前がアルケーの正体を看破した日」
やっぱり結構前だな。
何がきっかけだったのかまったくもってわからない。が、確かにあのとき、嗣翠は笑っていた。
いやいや、でもそんなことある?
本当に、嗣翠は私を・・・?だめだ恥ずかしくなってきた。照れる・・・。
「『返事を聞かせてほしい』、それが俺の願い。けど・・・」
「けど?」
嗣翠の顔は浮かばない。
この顔は、知っている。自分より私を優先するときの顔だ。
「椿も気づいてんじゃない?ヤクザの恋人は、永遠に『普通』にはなれない」
「!!」
――ヤクザに告白されるのは、もはや普通の女子高生ではない。
それはさっき、まさに私が思ったことだった。
でも嗣翠が言っていることは少し、毛色が違う。
情報屋をやっていたとしても、私は普通の日常を送ることができた。
「成瀬 嗣翠」と一緒に登校して一緒にご飯を食べても、それは学校生活としては何ら問題はなかった。
嗣翠は一応正体は隠していたし、嗣翠が望んだのはいつだって私の望みから外れない範疇だった。
『普通に生きていたい、ただそれだけだよ』
最初の、私が口にした私の「望み」の。
「・・・・・・」
「椿が好き。俺が守りたい。椿の隣は俺であってほしい、それでも」
嗣翠の瞳は、どんどん熱を帯びていく。
それと同じくらい、悲しみと苦しみも帯びていく。
「椿と一緒にいたい感情が椿の望みを害することになるなら、俺は今まで通り『取引相手』のままでいる」
「――・・・・・・」
「椿には幸せでいてほしい。俺の望みはそれだけ」
幸せでいてほしい、か。
やっぱり嗣翠は優しいな。
それでいて誰よりも自分に冷酷非道で、自分自身をいとも容易く犠牲にしてみせる。
私と似た者同士だ、本当に。
彼が中間考査で勝負を持ちかけてきたのも、この話をする勇気を持つためとかそんなところだろう。
「私はね、ずっと『普通』でいたいと思ってた」
だから、私も勇気を持って、正直に言おうじゃないか。
ずっと考えてきたこと。言わないできたこと。
私の思うすべて。
「でもね、友達と笑ってみたかった。恋人とデートしてみたかった。家族とご飯を食べたかった」
「・・・」
「そんな幸せが欲しかっただけ。私の本当の望みは『幸せになりたかった』だけだった」
私たちは自分を大切にしない。
それでも生きているのは、「叶えたい望みがあったから」。
そう思うのは、私と嗣翠がヤクザであろうと情報屋であろうと、ベルガモットでも成瀬でも一ノ瀬だとしても、変わらない。
きっと、生きているから。
これは鶏と卵みたいな関係なのかもしれないけど、だから。
「現実は残酷で、世界は私たちに優しくない」
「そうだね」
「だから私たちはせめて『望み』だけは叶えたくて、それ以外は捨てても構わない」
望みはあるけど、自分たちは大切にしない。
その理由が、それだ。
捨てなきゃ、望みを何一つ叶えられない世界に、私たちは生まれてきた。
「でも、嗣翠の家はね、私の家なの」
「?」
「私が契約したアパート、結局一回寝泊まりしただけで今月中に解約されちゃうし」
「・・・あー」
「あったかくて、安心できて、柔らかいソファがあって、誰かと見るテレビがあって」
ただいまと言えばおかえりが返ってきて、誰かと一緒に夕飯の買い出しに行って。
「心配してくれる誰かがいて、私に笑顔をくれて――私とご飯を食べる、誰かがいる」
「!」
「嗣翠、あなたは私の『望み』を叶えてくれる。ヤクザだろうと、そうではなかろうと」
嗣翠は、私のためなら「父をぶっ潰す」という目的さえ犠牲にするのかもしれない。
だって瞳を見ればわかる。熱くて濡れてて、これじゃあ「その気持ちは幻想だ」なんて言えない。
だからこそ、私が言わなきゃ。
「私が嗣翠を好きなのかは、正直まだわからない。でも嗣翠といると安心できるし、癒されるし、笑顔になれる」
「椿・・・」
「今私の中で、嗣翠が一番大切な人だよ」
「っ」
嗣翠が目を見開いた。
ぜんぶ、本音だ。
嗣翠は私よりも大切。他の人よりも、仲間の『殺し屋アルケー』の面々よりも。
好きかどうかはわからないけど、嗣翠は紛れもなく私の望みを叶えてくれた、悲しい世界で優しく生きる、大切な人だ。
「私の『望み』は叶ってる。だから嗣翠、私の望みは今は他にあるの」
「なに?」
「嗣翠に、自分の目的を――『望み』を、叶えてほしい」
「!」
「父親、ぶっ潰すんでしょ。言ったじゃん、手伝うって」
何も考えなしに言ってるわけじゃなかった。
私は心から、嗣翠に願いを叶えて欲しかった。
「だから嗣翠は気負わなくていい。今まで通り私と面白おかしく過ごしてよ」
「っ・・・・・・あー、もう」
「うわっ」
がばっと嗣翠は私をすっぽり覆って抱きしめてきた。
・・・嗣翠、心臓の音、速い。
ぴったりとくっつく嗣翠の胸が、嗣翠も心境をも物語っているようだ。
「・・・そういうとこだよ」
「え?」
「そういうとこを、好きになったんだよ」
「!」
改めて告白された気がして、顔が熱くなってしまう。
あんな恥ずかしいことをつらつら言った後でそこが好きと言われると、何ともいたたまれない。
「ありがとう。椿、好き」
「し、嗣翠、もうわかったから、一旦止まって」
「椿」
「ひゃっ」
耳元で名前を呼ばれて、変な声が出た。
耳に息が当たってくすぐったいのと、びっくりしたのと、嗣翠の声が熱いのと。
「俺が好きかどうか、まだわからないって言ってたね」
「い、言ったけど・・・」
それがどうかしたというのか。今悟れと言われても無理があるが。
「じゃあ、覚悟して」
「な、何を・・・?」
嗣翠は耳から顔を離し、代わりに鼻がくっつきそうなくらい顔を近づけてきた。
かっこいい嗣翠の顔が間近に見えて鼓動が速くなってきてしまう。
「絶対俺を好きにさせる」
「!」
「これからずっと甘やかして、気持ちを伝えて、椿の隣が俺だけになるようにする」
「えっ⁉︎」
まさかそう来るとは思わなかった。
照れて目を逸らそうとするが、嗣翠の真っ黒で熱い目が私の視線を惹きつけて離してくれない。
「好き、椿」
そう呟いて、嗣翠は我慢できないとばかりに、私の額にふわりと唇を落とした。
それから、嗣翠の怒涛の溺愛が、私に降り注ぐことになったのだ。
「〜〜っ」
私は最初の氷のように冷たい「一ノ瀬 嗣翠」との差に驚愕しながらも、とりあえずもどかしい照れた熱を放出したくて、でもできなくて、悶え苦しんだ。



