ことの発端は、とある夜。
この日はひどい土砂降りで、たびたび大きな音で雷も鳴り響いていた。
そんな中、私はパーカーを深く被り、大きめの傘片手に人気のない裏路地を歩いていく。
明日はとうとう高校の入学式なんだから、今日は早く寝ないと。
そう思って早足で家に戻っていた、そのときだ。
ブーッ、ブーッ、とスマホが震える。
私に連絡してくる人なんていないだろうに、電話のようだ。
詐欺電話だろうか、と思ってスマホを取り出すと、それはプライベート用のスマホではなかった。
どうやら、情報屋「ベルガモット」として使っている仕事用のスマホを間違えて持ってきてしまったようだ。
とはいえ、今周りに人はいないし盗み聞きはされないよね。
家に帰ってからかけ直すの面倒だし・・・・・・えーい、取っちゃえ!
プッ、と電話ボタンを押した。
「・・・『ベルガモット』です」
『・・・・・・一ノ瀬 嗣翠だけど。依頼で電話した』
聞こえたのは、無感情のテノールボイス。
コミュニケーションに必要なイントネーションをなぞったような無機質な声が私の耳を撫でた。
電話をかけてきたのはヤクザの一ノ瀬組の若頭、一ノ瀬 嗣翠。
彼は一ノ瀬組の中でも相当の腕を持つ人で、「ベルガモット」をよく利用してくれるお得意様でもある。
『殺し屋アルケーについての情報を知りたい』
「・・・・・・アルケーはガードが固いから少し時間がかかる」
『期間は?』
「・・・三週間までには、必ず」
『そう』
いつ話しても冷たい声。
声が似ている人がいたとしても、彼の声の無機質さは真似できないだろう。
一応は普通の男性の喋り方だが、なんとも冷たくて筆舌に尽くし難い。
『それからもう一つ、重要な頼みが――』
あくまで淡々と、一ノ瀬 嗣翠が新たな依頼を口にしようとした、そのとき。
ガラガラガラ、ドシャーン!!!
一際大きな雷が鳴った。
すると間もなく、相手の電話口からも全く同じ音の雷の音が聞こえる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
『――・・・・・・・・・。」
・・・やっぱり、電話は外で受けるべきじゃなかったかも。
私は冷や汗を流した。
なぜって、電話でできるタイムラグを考えると、一ノ瀬 嗣翠が今いる場所はとても近いからだ。
てっきり会話内容の盗聴防止で室内にいるものだと思っていたけれど、一ノ瀬 嗣翠も外にいるのかな・・・・・・。
『・・・ベルガモット』
「・・・・・・」
しばらくして、一ノ瀬 嗣翠は切り出した。
『お前が外にいるのは珍しいね』
やはり雷の音は向こうにも聞こえていたらしい。完全に失態を犯してしまって、私は無言で焦りに焦る。
『都合がいい。この件は対面で話したかった内容だから』
・・・もしかして彼、今私を探している?
それはまずい。近くにいたら、いくらフードを被っているとはいえ、バレちゃう――
『・・・勘違いしないで。お前にとって害のない、むしろこの上なく利のある話だよ』
「・・・逆に怪しいのは、自分でもわかっていますね?」
『そうだね。だから対面の方がいいと思わない?』
確かに、対面だったら嘘は見抜きやすいけど!
情報屋としては、いや違う、「八神 椿」としては、「ベルガモット」の正体がバレるわけにはいかない。
でも近くに隠れられそうな場所はない。窓を割って建物に入りでもしたらそれこそバレるし、どうしたら・・・・・・。
そう思ってキョロキョロしていると、それは聞こえた。
こつ、こつ、こつ。
冷たくてひどく大人しくて、土砂降りの雨音にも紛れない異質な足音。
まさか、と思って固まってしまう。
果たしてその足音は私がいる路地裏まで近づいて、それから踏み出した。
こつ。
「『――見つけた』」
肉声と、スマホから聞こえる声がタイムラグを通して重なった。
・・・バレた。
私はぐっとスマホを握りしめる。
恐る恐る声が聞こえた方向に視線を向けると、同じく大きめの傘を広げてスマホを耳に当てる男性が、そこに立っていた。
真っ黒な髪に真っ黒な瞳。
高い背に、全ての美を結集させたような顔。それと、何も感じない表情と雰囲気。
「・・・一ノ瀬、嗣翠」
「『ああ、そうだよ』」
その男は、大して面白く思っていないくせに、わずかに口角を持ち上げた。
「『お前が、ベルガモットか』」
逃げよう、なんて思えなかった。
きっと彼に殺される前の敵は、逃げよう、戦おうだなんて思えなかっただろう、今の私のように。
その威圧感と雰囲気は、全ての人を圧倒させる力を持っていた。
「・・・あたりです」
そしたらもう、肯定しかできなかった。
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
「座って」
「・・・・・・・・・どうも」
一ノ瀬 嗣翠に促され、急遽入ってきた裏社会向けの店の個室に入る。
・・・一ノ瀬 嗣翠と同じ部屋にいる。それもベルガモットとして。
その事実は何よりも私を焦らせる。
この男、一体何が目的なんだろう・・・。
「せっかく個室なんだし、堅苦しいのは無しにしよう」
一ノ瀬 嗣翠はスマホを置いて表情を緩めた。とはいえあまり表情は変わっておらず、雰囲気が多少柔らかくなったくらいだ。
「俺はさっき、重要な頼みがあるって言ったよね」
「・・・・・・」
無言の視線で続きを促す。
何を望んでいるのか先に言ってもらわないと、何も判断できない。
お前を殺す、とかじゃないといいけど。
そう思って身構える。
されど、一ノ瀬 嗣翠が言ったのは全く別の内容だった。
「ベルガモット。お前が情報屋をやっている理由は、俺は『金のため』って見てる」
「・・・」
いきなり、何を言い出すかと思えば。
・・・逆に、お金のためじゃなく情報屋をやっている人ってどんなだろう。
情報屋は深く誰かに関わることはない仕事だ。ただ情報を抜き取って、教えるだけ。
だからこそ誰かへの復讐には向いてないし、それこそお金稼ぎのための職業と言っていいはず。
「・・・それがどうかしたの?」
そう問うと、一ノ瀬 嗣翠は真っ直ぐ私を見た。
「ベルガモットがこれから稼ぐだろう金額の二倍は用意する。衣食住と安全も保障する、だから――」
「・・・・・・」
「『俺』専属の、情報屋になってくれない?」
「⁉︎」
一ノ瀬 嗣翠専属の、情報屋・・・?
それってつまり、自分だけに情報を売ってくれってこと?
確かに私は情報の速度と精度には自信があるけど、天下の一ノ瀬組の若頭様が欲するほどだろうか。
それに、一ノ瀬組は今のところどの組織とも敵対していないはず。時期に見合っていない・・・。
「・・・理由を、聞いても?」
「いいよ」
動じることなく、彼は自分の目的をさっぱりと言い捨ててみせた。
「俺の父を、ぶっ潰すため」
「・・・父」
ぶっ潰す、か。
彼の父は・・・一ノ瀬組の組長、一ノ瀬 緋玉、だったっけ。
まさかの対立相手が、自分の父親とは。
ない話じゃないけど、自分に聞かせられると結構複雑な気持ちだ。
けど、納得はした。
きっと今彼が言っていることは本当だ。
ずっと前から一ノ瀬 嗣翠は一ノ瀬組本部――つまり実家を離れていた。
高校に通ってるっぽいしカモフラージュなのかな、と思っていたが、それだけではないのだろう。
それに彼は組長と並ぶくらいの実績と儲けを出しているが立場が曖昧だ。
昔から、組長の部下とは仲が良くないって情報だったし、父とぎくしゃくしているなら辻褄は合う。
そもそもヤクザに生まれた子は最初から親が人殺しの犯罪者であるわけだし、自分も親に対して微妙な感情を抱いても不思議じゃないだろう。
それが「ぶっ潰す」という目的まで成長したとして、何らおかしくない話だ。
それに、一ノ瀬組の組長と若頭の不仲説は結構前から有名だし。
「・・・それを手伝って欲しいのと、父親に私を利用されたくないわけね」
「そう。俺が利用している情報屋はベルガモット以外にも複数あったけど、最近それぞれの精度が落ち気だ。信用に足る存在でなくなりつつもある」
どうやら彼は他にも情報屋を使っていたらしい。
情報を鵜呑みにしないのは素直に賢い判断だ。
あと、最近情報屋の商売がしづらくなっているのは知っていた。
警察のサイバー犯罪対策課の技術も上がってきたし。
「となると、情報の精度と速度が落ちていないどころか上がっている『ベルガモット』を、俺が利用しているとはいえ父が使わない手はないからね」
「なるほど」
嘘は感じられない。
父と彼が発する言葉には嘘の気配どころか「父」への苦手意識すら聞き取れる声音だ。
・・・「堅苦しいのはなし」っていうのは本当みたいだ。普段の彼なら苦手意識すら声に出さず隠すのだろう。
父とのいざこざさえも話してくれるなんて・・・根は誠実なのかもしれない。
一ノ瀬組との取引相手からの一ノ瀬 嗣翠の評価も高かったみたいだし。
「金と衣食住と安全の他にも要望があれば、叶えられる限りぜんぶ叶える。もし俺がベルガモットを害すような真似をしたら、俺の秘匿する情報を世間に発表したっていい」
・・・まさか、そんなに本気とは思わなかったけど。
一ノ瀬 嗣翠が発言をまとめた形で契約書を出してきたときには流石の私も腹を括った。
本当は写真を撮って送ってくるつもりだったらしいけど、対面ならもう書いちゃえばいい、っていうことらしい。
私は契約書を隅々まで読み込んだ。
・・・不備はない。
・・・・・・・・・・・・もう一度見たが、やっぱり不備はない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さらにもう一度確認したが、それでも不備はない。
断る理由など、ありはしない。
「・・・・・・・・・」
確かにお金目的で情報屋を営んでいる私からすれば、この上なく利のある取引だ。
私は一ノ瀬 嗣翠にだけ情報を提供すればいい。
それだけで、衣食住もお金も安全も保障する、か。
しかも、父を「ぶっ潰す」のが成功した暁には契約満了とし、遊んで暮らせるだけのお金を謝礼とすると。
そんなに、父を「ぶっ潰す」のが大事なのかな。
・・・だめだ、やっぱりそれだけは聞けない。
――でも、契約に穴は、ない。
「・・・わかった」
私はやっぱり、腹を括ることにした。
これだけいい条件なんだし、一ノ瀬 嗣翠の対応も誠実だ。嘘をついている様子もなし、話には裏が取れている。
まあ、受けなかったら受けなかったで、私の不評を流して脅すとかやりようはあるだろうから、受けるしかないだろう。
「その話、ベルガモットがお受けします」
そう言って、私はずっと被っていたフードを脱いだ。
もう彼に顔を隠す必要はないだろう。とはいえ帰り道はまた被るけど。
目を合わせて頷くと、一ノ瀬 嗣翠はようやくふっと自然な笑みをくれた。
「・・・よかった」
・・・・・・相変わらず、お顔が綺麗なことで。
世の中って何でこんなに不平等なんだ。
悪態をつきたくなりながらも、私は契約書に「ベルガモット」の名を――
「・・・・・・」
「どうかした?」
ふと手を止めてから、私は静かに考えた。
彼が誠意を見せてくれたのなら、私もそれ相応のものは返すべきだ。
私は、契約書の署名欄に「八神 椿」と書いた。
「・・・それが、お前の『名前』か」
「そう」
頷いて、私は二枚目の契約書にも名前を書いた。
この署名は、私の名に誓って守る、そういう意思表示だ。
「それにしても、よかったのかな?自分で言うのも何だが、俺の提案はこの上なく怪しかったよね」
「そりゃあね、でも・・・」
私は情報屋だ。一ノ瀬 嗣翠の人となりは知っているつもり。
冷酷非道で無機質、だけどそれは彼の仕事が汚れ仕事ばかりだからだ。
敵対組織に容赦がないのはある意味当たり前。それに彼の美貌が恐ろしい雰囲気を与えているに過ぎない。
時々ある取引の対応は、さっき思い出したように評価が高かった。
つまり取引相手として信用に値する。
それに万一契約を破ってきたら、私は彼のことを全て警察にリークして彼を逮捕させられる。
それは彼が望むところではないだろう。
「・・・誠実さを見せたのは、あなたでしょう」
そう言うと、一ノ瀬 嗣翠は少し寂しげに笑った。
どういう心境でそんな顔をしているのかは、わからないが、やっぱり綺麗。
「椿」
「・・・何?」
そして彼は、一度目を伏せてから真っ直ぐ私を見て、言葉を紡ぐのだった。
「俺がお前の望みを叶える。だから――俺の望みを、叶えてくれる?」
「・・・・・・・・・そう、だね」
なぜそんなに父を潰したがるのか。
そもそも何をするつもりなのか。
彼の望みは本当に「それ」だけなのか。
わからないことだらけだけど、彼の専属情報屋になった以上それは知らなくてもいいこと、か。
彼の、人間の言葉をなぞっただけのセリフからは何も読み取れないし。
何でこんなことになってしまったのだろう、と私はため息をつきたくなるのだった。
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