本当の愛を知るまでは

「はじめまして、クロスリンクワールド株式会社の上条(かみじょう)光星(こうせい)と申します」

今朝向かい合って座ったソファで、光星はにこやかに部長に名刺を差し出した。
続いて花純とも名刺交換する。

「株式会社シリウストラベルの森川花純と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「森川花純さんですね。こちらこそよろしくお願いします。どうぞお掛けください」

促す光星を部長が「いえいえ!」と遮った。

「突然お邪魔して、お忙しい社長のお時間を取らせるわけにはまいりません。本日はご挨拶に伺ったまでですので」
「そこまで仕事に追われる人間ではありません。秘書がコーヒーを淹れましたので、よろしければおつき合いいただけますか?」
「あ、はい。それでは少しだけ失礼いたします」

部長に続いて花純もソファに座る。
臼井が3人分のコーヒーと、焼き菓子を載せたプレートをローテーブルに並べた。

「ありがとうございます」

お礼を言ってから、花純は焼き菓子をまじまじと見つめる。

(わあ、なんて可愛らしいの。タルトとマカロンと、桜のアイシングクッキーも! 綺麗……、もう芸術作品みたい。もったいなくて食べられないわ。せめて写真撮りたいー)

その時、クスッという聞き覚えのある声がして花純は顔を上げる。
口元を手で覆った光星が「失礼」と表情を引き締めるところだった。

「心の声が聞こえてくるようで、つい……。お気に召していただけましたか?」
「はい。とても素敵でうっとりしてしまいました」
「お口に合えばいいのですが。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます。いただきます」

花純は視線を落とし、どれを食べようかと迷う。
見た目の美しさに、どれも躊躇してしまった。

(うーん、この桜のアイシングクッキーを食べるなんて無理。タルトも美味しそうだけど、もうちょっと見ていたいな。イチゴの切り方と飾り方が美しいったらもう。そうすると、マカロンか……。んー、これもコロンとしてて可愛い。えーい、ごめんね。いただきます!)

意を決すると、花純は薄桃色のマカロンを手に取り、そっと口に運ぶ。

(お、美味しい!食感は サクサクほろりで、味わいはこの上なく上品。はあ、まるでセレブのお菓子ね。なんて贅沢なティータイム)

思わず目を閉じ、頬を緩めながらじっくり味わっていると、今度はクククッと必死で笑いを堪える声がした。
花純が声の主を見ると、光星は慌てて真顔に戻って咳払いする。

「失礼しました。まだまだたくさんありますので、他にもご用意しましょうか?」
「いえ、これ以上はいただけません。ありがとうございます」

そう断ってから、花純はプチタルトも食べてみた。
想像以上の美味しさにまたしてもうっとりする花純の横で、部長は光星と何やら雑談している。

「それにしても、クロスリンクワールドの社長さんがあなたのような若くてかっこいい方だとは。雑誌やメディアのインタビュー記事を拝見したことがありますが、写真も一緒に掲載されたらますます注目されるでしょうね。写真はNGなのですか?」
「そうですね。僭越ながらお断りしています」
「それはなぜですか? 注目度も知名度も上がると思いますよ」
「いえいえ、そんな。私はあくまで会社の事業に関するご質問にお答えしているだけですから。今後ますます発展していくIT業界や、人々の暮らしを豊かにするテクノロジーの一助になればと。そこに私の写真はいらぬ情報です」
「ほう……。我が社の経営戦略部なら絶対にあなたのようなイケメン社長を推しまくるでしょうが、こちらの社風はなんだか上質ですね。いや、さすがは日本のトップ企業。余裕が感じられます」
「とんでもない。御社こそ旅行業界をけん引していらっしゃるではないですか。世界中に支社があって、日本国内だけではなく海外での知名度も高い。それに信頼出来る実績と長い歴史がある。弊社はまだまだ遠く及びませんよ」
「いやいや、時代の流れを汲んで突き抜ける勢いとパワーがありますよ。うちはコツコツ小さなことを積み重ねてきた会社ですからね、タイプが違います。なあ、森川さん」

急に名前を呼ばれて、お菓子に夢中だった花純は喉を詰まらせた。

「は、はい。左様でございます」

慌てて頷き、コーヒーを口にすると、光星がふっと笑みをもらす。
そして背後に控えていた臼井を振り返り、何やら目配せした。

「上条社長、それでは我々はそろそろ。本日は突然お邪魔したにもかかわらず、丁寧にご対応いただきましてありがとうございました」

そう言って立ち上がった部長に続き、花純も立ち上がる。

「改めまして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。こちらはよろしければ皆様で召し上がってください」

渡しそびれていた手土産の洋菓子を差し出すと、光星はお礼を言って受け取り、なぜだか臼井から手渡された紙袋を花純に差し出した。

「え、あの、こちらは?」
「先ほどと同じ焼き菓子です。森川さんが美味しそうに食べてくださったので、お土産にもと思いまして。ご自宅で召し上がってください」
「えっ、そんな。どうぞお気遣いなく」
「いえ、そんな。どうぞご遠慮なく」

やり取りを楽しんでいるような光星に、花純は頑なに首を振る。

「受け取るなんて図々しいこと出来ませんから」
「そんな大げさな。あんなに感激してくださって、私も嬉しかったので」
「ですが……」

部長の手前もあり、どうしたものかと困り果てていると、光星は臼井に紙袋を渡した。

「臼井、お客様のお見送りを頼む」
「かしこまりました」

うやうやしく頭を下げて臼井がドアを開ける。
部長と花純はもう一度光星に挨拶してから部屋をあとにした。

エレベーターホールまで来ると、臼井がボタンを押して二人を振り返る。

「本日はご足労いただき、誠にありがとうございました。ビジターカードはわたくしがお預かりいたします」
「あ、はい。ありがとうございました」

花純がカードを差し出すと、臼井はさり気なく紙袋を手渡しつつ受け取った。

「それでは、わたくしはここで失礼いたします」

エレベーターの扉が閉まるまで頭を下げたままの臼井に、部長と花純もお辞儀をする。
結局花純の手には、いつの間にか焼き菓子の紙袋が握らされていた。