本当の愛を知るまでは

「どうぞ、ソファにお掛けください」
「はい、失礼いたします」

廊下を少し進んだところにある重厚なドアをカードキーで解除し、男性は部屋の中に花純を招き入れる。

「今、コーヒーを淹れますね」
「いえ、そんな。どうぞお構いなく」

花純は恐縮しながら部屋の中を見渡した。

(本当にホテルのお部屋みたい。広いし、デスクやソファも高級そうだし。ここがオフィスだなんて、この方って一体……?)

ちらりと横目で様子をうかがっていると、男性は部屋の片隅のエスプレッソマシーンでコーヒーを二人分淹れてからローテーブルに運ぶ。

「どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
「それと、これがこのビルのフロアマップです」

男性はソファの向かい側に座り、デパートにあるような縦長のパンフレットをテーブルに広げた。

「エントランスがここ。ロビーを進んだここがエレベーターホールです。先ほどあなたが乗ったエレベーターは高層階専用エレベーターで、39階には止まりません」

あっ!と、ようやく花純は事情が分かった。
どうりで階数ボタンの表示がなかったわけだ。

「そうだったんですね」
「はい。エレベーターは左右に4基ずつ、全部で8基あります。右側の4基は、25階までの低層階用。左側の4基中、3基は中層階用、1番奥が高層階用です。39階は中層階用なので、この丸をつけたエレベーターを使ってください」

そう言って男性は、ボールペンで印をつける。

「あとはいくつかお店をご紹介しますね。5階には、朝7時オープンのカフェがあります。ここのベーコンチーズパニーニは絶品ですよ。コンビニは3階、10階はレストランフロアで、和食や洋食など8店舗入ってます。1番おすすめなのは、50階のバーです」
「えっ、バーですか?」

マップを見ながら説明を聞いていた花純は、顔を上げた。

「それって、誰でも入れるんですか?」
「ええ、そうです。どのお店も、一般の方も利用出来ますよ。50階までは出入り自由です」
「50階より上は?」
「51階と52階は関係者以外立ち入り禁止で、エレベーターにIDカードをかざさなければ来られません」

え?と花純は首をひねる。

「ここって、何階ですか?」

すると男性は、またしてもクスッと笑った。

「52階です。確かにあなたは来られましたね。私がエレベーターにIDカードをかざして階数ボタンを押した時に、一緒に乗ってきましたから」

途端に花純は焦って頭を下げる。

「すみません! そういうことだったんですね。大変失礼しました。部外者なのに、高層階エレベーターに乗ってしまって……」
「いいえ。可愛らしい迷子のお嬢さんに、朝からほっこりしました」
「そんな……。いい大人なのにお恥ずかしいです」

赤くなる花純に、男性はフロアマップを折りたたんで差し出した。

「はい、どうぞ。他に何かご不明な点はありますか?」
「いいえ、もう大丈夫です。ありがとうございました」

受け取って頭を下げると、男性は立ち上がってドアへと向かう。

「それにしても、随分朝早くから出社されるんですね。たまたま今日だけですか?」

花純も立ち上がってあとに続いた。

「いえ、大体いつも7時過ぎに出社するようにしています。満員電車が苦手なのと、残業に厳しい会社なのでやり残した仕事を朝やりたくて」
「そうなんですね、分かります。朝のオフィスは静かで仕事もはかどりますよね。なんて、私は夜も残業して終わらなかった仕事を仕方なく朝やってるんですが」
「朝早くから夜遅くまでですか? 大変ですね。お身体大切になさってください」
「ありがとう」

二人でエレベーターホールに行くと、男性は花純を振り返る。

「一旦1階まで下りて、中層階エレベーターに乗り換えてください。ご案内しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ご丁寧にありがとうございました。コーヒーもごちそうさまでした。それではここで、失礼いたします」

エレベーターに乗ると、花純は男性にお辞儀をする。
男性は微笑んで軽く手を挙げながら、花純を見送った。