『死にたくない、死にたくないよ』

ベッドの上で女の人が泣いている。亜麻色の髪はパサパサで、手足は小枝のように細い。知らない人のはずなのに、見ているだけで胸が痛んだ。

『あの頃の私に伝えられたら』

悔しさを滲ませた声が耳に残る。あの人は誰?



ハッと目を覚ます。周囲を見渡すと、見知らぬ部屋で寝かされていることに気付いた。
学習机と本棚が置かれていたシンプルな部屋だ。ベッドから起き上がってカーテンをめくると、私の家が見えた。

「ここって、レストランの二階?」

この場所から私の家が見えるということは、きっとそうだ。もしかして食育男子の誰かが、ここまで運んでくれたのかな?
そういえば、プールサイドで天音くんに声をかけられた。あれは夢じゃなかったんだよね?
真実を確かめようとベッドから立ち上がったものの、足がもつれて本棚に激突した。

「いたっ……」

ぶつかった拍子にバサバサと本が落ちてくる。

「わああ……ごめんなさい」

慌てて拾っていると、本の隙間からはらりと白い封筒が落ちた。手に取ってみると「遺書」と書かれていることに気付く。裏面には、来栖育実と記されていた。

「なんで!?」

遺書って亡くなる直前に書く手紙だよね? 私は遺書なんて書いた覚えはない。食育男子の誰かが悪戯で書いたのかな? ううん、みんなはそういう悪戯はしない。

中身が気になる。見てはいけないような気もするけど、私の名前が書いてある以上、開封せずにはいられなかった。封筒から二つ折りの便箋を取り出して、書かれている文字を目で追った。

【この手紙を読んでいる頃には、私はもうこの世にはいないのでしょう。
こんなに若くして死んでしまうなんて思いませんでした。たくさん心配をかけてごめんなさい。
こうなってしまったのは全て私の責任です。偏った食事と無理なダイエットを繰り返したせいで、私の身体はボロボロになってしまいました。
なんで気付かなかったのでしょうね。人の身体は、毎日の食事で作られているということに。もっと早く気付いていれば、夢だって諦めずに済んだのに。
もしも願いが叶うなら、過去の私に食事の大切さを伝えてあげたいです。そうすれば今とは違った未来になっていたはずだから。
20××年×月 来栖育実】

「これって、未来の私が書いた遺書?」

ということは、食育男子に願いを託したのって未来の私? もしそうだとしたら、みんなが私の未来を知っているのも納得できる。
衝撃的な事実を知って放心していると、部屋の扉がノックされる。私は急いで手紙を本棚に戻して、ベッドに腰掛けた。

「はいっ」

返事をすると、勢いよく扉が開く。

「目を覚ましたんだね」

天音くんだ! タレ目がちな瞳には涙が滲んでいる。天音くんにも心配かけてしまったよね。ごめんなさいと謝ろうとしたものの、ダッシュで駆け寄ってきた天音くんに言葉を阻まれた。

「育ちゃーん!」

天音くんに、勢いよく抱き締められる。その衝撃に耐えきれず、私はベッドに倒れこんでしまった。

「良かったぁ。また会えて、本当に良かったぁ」

天音くんは泣きじゃくりながら、私の肩におでこを擦り付ける。その温もりに触れたことで、天音くんがこの場にいることを実感した。
良かった。消えていなくて本当に良かった。嬉しくて、私まで涙が込み上げてくる。

「ごめんね、天音くん。私のせいで危険な目に遭わせて」

素直に謝ると、天音くんは私を抱きしめたまま首を振った。

「ううん。今回のことは僕も悪かったから。育ちゃんを独り占めしたくて、甘いものをたくさんあげて依存させようとしていたんだ。本当にごめんなさい」

天音くんも反省しているんだ。依存させようとしていたことを認めているのも、正直な天音くんらしいや。お互いの悪いところが分かっているなら、これからのことも話し合えるはずだよね。

「天音くん、聞いてもらえる?」
「うん」

もう同じ過ちは繰り返したくない。天音くんともちゃんと向き合おう。体勢を起こすと、ベッドの上で正座をした。

「私ね、白米も、うどんも、甘いお菓子も大好きなの。だけど食べすぎは身体に良くないことも分かったんだ。好きだからこそ、ちゃんとセーブしないとダメなんだよね」
「うん。育ちゃんの言う通りだよ」

天音くんは、ぐすんと洟を啜りながら頷く。糖質が擬人化した天音くんにとっては、たくさん食べてもらえないことは辛いことなのかもしれない。また悲しませてしまうかなと心配していたものの、天音くんからは意外な言葉が返ってきた。

「僕も今回のことで分かったんだ。自分の欲求よりも、育ちゃんの身体を大事にしないといけないって。育ちゃんが病気になっちゃうのが一番嫌だから。そうならないためにも、これからは糖質を与え過ぎないようにするね」

それって食べてもらいたいという欲求より、私の健康を優先させてくれるってことだよね。やっぱり天音くんは、優しい子だ。

「ありがとう、天音くん」

感謝の言葉を伝えると、天音くんは眉を下げて切なげに微笑んだ。

天音くんは、私のことを一番に考えてくれた。そんな彼の気持ちに、私も応えたい。
この言葉を伝えるのは恥ずかしい。だけど天音くんからたくさん貰ったものを、私からも与えたかった。

「天音くん、大好きだよ」

口にした途端、目頭が熱くなる。恥ずかしくて泣きそうだ。こんなに勇気のいる言葉を何度も伝えてくれたなんて、天音くんは強い男の子だね。想いを伝えると、天音くんの瞳に光が宿る。その直後、力強く抱きしめられた。

「どうしよう。嬉しすぎて涙が止まらない。育ちゃんへの想いも止められない」

いつもは笑顔の天音くんも、今日は余裕がなさそう。身体は熱いし、声も震えているし、心臓もバクバク暴れまわっている。余裕がなくなってしまうくらい、好きになってくれたのかな? そうだったとしたら嬉しい。
愛おしさが溢れ返って手を伸ばす。私からも抱きしめようとしたところで、部屋の外が騒がしくなった。

「育、起きたのか……ってだあああ! 何してんだ、天音!」
「近付きすぎだ! 今すぐ離れろ!」

ハッとしてドアの方向を見ると、遊くんと亜実望くんが真っ赤になりながら叫んでいる。そこで改めて今の状況がよろしくないことに気付いた。
ベッドの上で男の子に抱きしめられているなんて……。プシューと頭が沸騰していると、天音くんは清々しい笑顔で二人に微笑んだ。

「僕と育ちゃんは、両想いだからいいの」
「「よくなーい!」」