扉の向こう側からシャワーの音が聞こえる。雨で濡れてしまった天音くんに、シャワーを使ってもらうことにしたからだ。うちのお風呂に男の子が入っているのは恥ずかしいけど、今は心細さが上回っている。

雨は、まだやまない。雷もまた鳴るかもしれない。部屋だって真っ暗だ。天音くん、早く出て来てくれないかな。

脱衣所の前で膝を抱えていると、シャワーの音が止まった。浴室の扉を開け閉めする音や衣擦れの音が聞こえた後、ゆっくりと脱衣場の扉が開く。

「シャワー、ありがとう」

顔を上げると、もこもこのルームウェアを着た天音くんが立っていた。いつも笑顔を浮かべている顔は、いじけたようにむっとしている。

「どうしたの?」
「……この服、女の子向けじゃん」

どうやらルームウェアが気に入らなかったようだ。天音くんの服は、雨でびしょ濡れになってしまったから、私の服を貸してあげたんだけど。

「うち、女の子向けの服しかないんだ。お父さんの服だと天音くんには大きすぎるだろうし」
「それにしたって、白のもこもこなんて……。ショートパンツだし、フードに犬耳も付いてるし」

暗くてよく見えないけど、男の子には恥ずかしい格好だったのかもしれない。停電のせいでクローゼットの中がよく見えなくて、適当に取ってしまったから。
失敗だったかな? 天音くんなら、可愛いルームウェアも似合いそうだけど。

「可愛いよ。似合ってる」

褒めたものの、天音くんは不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。

「……育ちゃんには、可愛いじゃなくて、格好良いって思われたいのに」

もしかして、可愛いは地雷ワードだった? 余計なことを言っちゃったかも。

「もちろん格好良いよ。嵐の中、うちまで駆けつけてくれた天音くんは、ヒーローみたいで格好良かった」

あの時の天音くんは、頼りがいのある男の子の顔をしていた。思い出すだけで、顔が熱くなってドキドキしてくる。そこで天音くんは、ようやく目を合わせてくれた。

「そう言ってもらえると嬉しい」



お風呂から上がると、天音くんに手を引かれながら廊下を歩く。心細い気持ちのままリビングに入ると、お弁当が置きっぱなしになっていることに気付いた。

「そういえば、もう夕飯食べた?」

ギクッ……! 嫌いなものばかりで食べられなかったなんて言ったら、怒られちゃうかな? 言葉に詰まらせていると、天音くんがお弁当の蓋を開けた。

「あれ? 食べてない」

バレちゃった。どうしよう……。
天音くんと目を合わせられずにいると、心配そうに顔を覗き込まれた。

「お腹空いてない? もしかして具合悪い?」

ここで嘘をついたら、もっと心配をかけてしまいそうだ。正直に理由を明かそう。

「実は、苦手なものばっかりで食べられなかったんだ……」
「苦手なものって?」
「ピーマンとイワシ」

好き嫌いなんて子どもみたい。相手は食育男子なんだから、好き嫌いせずに食べなさいって怒られちゃうよね。ビクビクしながら怒られるのを待っていると、朗らかな声が飛んできた。

「なーんだ、そういうことかぁ」

あれ? 怒ってない? 恐る恐る顔を上げると、天音くんは安心したように微笑んでいた。

「病気かと思ってびっくりしたぁ。そっか、ピーマンとイワシが嫌いなんだ。誰にでも好き嫌いはあるよね」

こうもあっさりと受け入れてもらえるとは思わなかった。呆然としていると、天音くんは首をかしげながら尋ねてくる。

「でも、お腹は空いているんじゃない?」

言われてみれば……。雷が怖くてそれどころじゃなかったけど、恐怖が薄れると空腹を感じた。

「お腹空いた……」

正直に伝えると、天音くんはグッと拳を握る。

「それじゃあ、僕に任せて! 育ちゃんの好きなもの、なんでも作ってあげる」
「え!?」
「今、何食べたい?」

そんな急に言われても……。私は必死に頭を回転させる。手間がかからなくて、すぐに作れて、美味しいもの。悩んだ末、あるものが浮かんだ。

「ホットケーキ」

ホットケーキは、日曜の朝にお母さんがよく作ってくれた。甘くてふわふわのホットケーキを食べると、幸せな気分になるんだよね。

「りょうかい! 今から作るね」

そう宣言した直後、パッと部屋の灯りが点いた。どうやら停電が終わったらしい。

「ナイスタイミング! じゃあ、さっそく作ってくるね~」

天音くんはにっこり笑うと、キッチンに走って行く。

「私も手伝うよ」
「いいから、いいから。育ちゃんは座ってて」

遠慮されてしまった。天音くん、ひとりに任せちゃっていいのかな? 申しわけなさを感じつつも、ダイニングチェアにちょこんと座って、ホットケーキが出来上がるのを待った。