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『むしうた 沼井の教え』について書かれた文献。
 沼井芳太郎の孫・セツが十二歳のころに書いた日記を、何者かが清書し、一冊の本にしてまとめたもの。
 清書した者は、不明。
 県外の個人所有の蔵に保存されていたが、一度何者かによって盗まれた。
 蔵の主によって、すぐに発見され、栄みらい市立図書館に寄贈。
 げんざい、閉架扱いとなっている。

―――

11月25日 晴れ

 わたしと同い年の友達のみよちゃんが、居間の仏壇の上に飾ってある、うちの『ぬらつぬさま』を指さして、いった。
「ねえ、セッちゃん。この黄色い石、なあに?」
「ああ、これはねえ。ぬらつぬさまよ」
 黄色く、まるく、つややかなもの。
 すてきな、すてきな、ぬらつぬさま。
 みよちゃんには、まだ話していなかった。
 沼井に生まれたものは、『ぬらつぬさま』のことを知り、代々受け継いでいかなければならない。
 まだ、みよちゃんに、この話をするのは、まだ早いと思っていたが、もういいだろう。
 もう、わたしたちも十二歳だし、みよちゃんもこの話が、どういう意味の話なのか、理解できるだろうと思う。
 かならず、わかってくれる、よね。



11月29日 くもり

 ぬらつぬさまのことを全て話したら、とたんにみよちゃんが泣き出してしまった。
「やだーっ! やだーっ! やだーっ!」
 なんということ。
 みよちゃんはこわがりで、不安な気持ちになることが苦手だ。
 ぬらつぬさまという、はじめての知る存在に、緊張してしまったのかもしれない。
 それは、仕方のないこと。
 だけど、もう話してしまった。
 みよちゃんは『蟲歌』になると、お父さまが決めたのだから。
 どうしても、わかってもらわなくっちゃ。
「みよちゃん。ごめんね、理解してちょうだい」
「なるのいやだ! なるのいやだ! なるのいやだ!」
「ああ……なんてこと……。そんなことをいうなんて」
「いや! いやあっ!」
「ぬらつぬさまの前で、そんなことをいうなんて。罰が当たるよ」
「うう……みよ、いやなの……なるのは……なるのは、いやなの……」
 ぼろぼろと涙をこぼし、ぐしゃぐしゃの顔を歪ませながら、いやがり続けるみよちゃんを見るのは、とても辛い。
「いやーっ! いやーっ! いやーっ! なりたくないっ! こわいっ!」
「そんなこといったら……ぬらつぬさまが、かなしむよ」
「いやーっ! いやーっ! いやーっ! なりたくないっ!」
「泣かないでよ……蟲歌になることの、何がいやなの」
 みよちゃんが、こんなことをいうなんて……。
 おかしいなあ。
 いつもは、とってもいい子なのに。
 何かが、へん。
 まさか、ぬらつぬさまが、わたしが試練をあたえてくださっているのだろうか。
 だとしたら、なんと、おやさしいのだろう。
 ここまでしてくださらなくても、わたしは、きちんとお役目を果たすのに。
「みよちゃん。大丈夫。最後まで、わたし、あなたのそばにいるから。こわがる必要はないよ」
「セッちゃんは、みよがいなくなってもいいの? もう、お別れしちゃってもいいの?」
「もちろんよ。だって、わたしは沼井の家の子なのよ。ぬらつぬさまを受け継ぐ家の子なのよ。お役目を果たすために、生まれてきたのよ」
「そんな……。いやっ。いやっ。いやっー!」
 みよちゃんが走り出す。
 我が家の家紋が飾られた居間から、縁側へと走り出す。
「待って! みよちゃんっ」
「いやーっ。父さま、母さま! 助けて! ごめんなさいっ。もうわるい子にはならないから。みよを助けてーっ」
「助けてだなんて……。みよちゃんは、誤解してるよ。だって――」
「わあっ」
 ごつん、という、にぶい音した。
 みよちゃんが、縁側で足を滑らせ、そのまま下へと落っこちていた。
 さっきの鈍い音が、わたしの耳にいやにこびりついている。
 急いで縁側の下を見ると、沓脱石に頭をぶつけたみよちゃんが、ぐったりとして横たわっていた。
 椿の花のように血色の良かったみよちゃんの顔は、すでに生気がない。
「み、みよちゃん……?」
 お友達の名前が、口からもれた。
 わたしは、ぬらつぬさまの試練を、うまくこなせなかったのだ。
 どうしたらいいんだろう。



11月30日 くもり

 居間の家紋の下に、布団を敷いた。
 小柄なみよちゃんのために用意した、小さな布団。
 もう目を開けないみよちゃんのからだをきれいにし、身なりをしっかりと整えた。

 みよちゃん……。



12月31日 雨

 なんてことだろう。
 わたしのせいだ。
 わたしが、ちゃんとできなかったから。
 みよちゃんの代わりに、スミちゃんが蟲歌に選ばれてしまった。
 みんな、みんな、わたしのせいだ。

 あんなものさえ、なければ……。

 ぬらつぬ。
 
 あの黄色い石のせいで。
 スミちゃんが、あんなことになるなんて……。

 わたしは、むかしの文献を読み漁り、ようやく『蟲歌』の真実にたどりついた。

 ぬらつぬのはじまりは、明治の時代までさかのぼるという。
 栄未来村の人々が、『沼井の家に近づくな、触らぬ神に祟りなし』をおおやけにいわないよう作り出した略語、あるいは隠語、と書いてあった。
 つまりは、秘密の言葉ということらしい。
 それが、いつのまにかどんどんと広がっていき、昭和の今では、『沼井の家に近づくな、触らぬ神に祟りなし』という意味はすっかり変わってしまっている。
 沼井家を崇拝するものまで、沼井のことを、ぬらつぬと呼ぶようになった。
 拝むように両手をあわせ『ぬらつぬさま、ぬらつぬさま』と両手をあわせている。
 沼井こそが、『ぬらつぬさま』を指す言葉に、変わったのだ。

 江戸時代から続く沼井の家には、不思議なちからがあった。
 人々は、それを恐れ、そして欲した。
『たましいを、かたちに変えるちから』だ。
 沼井が所有する『蟲歌』という不可思議なちからによって、たましいは、黄色い物体に変えられる。
 正確には、『蟲歌』の歌詞にこめられた、〝言霊〟のちからだ。
 沼井家のものには、言霊を即、現実にする強いちからがあった。
 しかし、言霊を現実にするには、歌の歌詞に乗せる必要があった。
 そうすることで、即現実にするちからを発揮した。
 すると、病だったものは即健康になり、恋を叶えたいものは即成就した。
 こうして、ただの農家だった沼井家は、栄未来村で唯一無二のちからを持ち、子孫まで繁栄していった。
 沼井家が栄えていくたびに、栄未来村の人々は、沼井家に依存していった。
 沼井家がなくては、生きていけないと思いこむものまで現れた。
 沼井のものが、言霊のちからを使うたびに、一喜一憂した。
 沼井のものも、自分たちが、栄未来の人々を救わなくてはと思うようになっていった。
 
 そして、最近のこと。つまり、今。昭和の時代。
 栄未来中学校の校長先生が、わたしの祖父・芳太郎に、ひとつの依頼をした。
「うちの学校の校歌を新しくしようと思うんです。どうか、書いていただけませんか。沼井の言霊のちからをこめて、生徒たちの未来を照らすような、すばらしい歌詞を」
 芳太郎は、ふたつ返事で了承した。
 そうして、昭和二十年、栄未来中学校の校歌は、新しいものになった。
 しかし半年前のことだ。
 とある男子生徒が、行方不明者になった。
 彼は、いなくなる前日の授業中、奇妙なことを口走っていたという。
「黄色……黄色のおおおおお……すばらしい……においがあああ……」
 その後、教室を飛び出し、それっきり行方が分からなくなっている。
 すると、栄未来中学校から伝染するように、少しずつ行方不明になるものが増えていった。
 それをうけ、芳太郎は、こんなことをいっていた。
「このままでは、栄未来の人口が減ってしまう。栄未来が滅んでしまう。
 人口を増やさなければならない。
 村の予算も足りていないと、村長がいっていた。
 しかし、大丈夫だ。
 ……言霊のちからがあれば、なんとかなるだろう」
 その言葉どおり、芳太郎は言霊のちからを使い、栄未来村をどんどん発展させている。

 そのせいで、スミちゃんはあんなことをしなくてはならなくなった。
 芳太郎は、言霊のちからで、とんでもないことをしてくれた。
 なぜ、あんなことをするのか、わたしには理解できない。
 わたしだったら、したくもない。
 あんなもの、言霊じゃない。
 呪いだよ。

 みよちゃんは、おじいちゃんの言霊で、蟲歌にされてしまった。
 蟲歌とは、栄未来村の特産品である、ぬらつぬを作るもののこと。
 いわば、沼井の雑用係だ。
 沼井のものが操る言霊は万能ではない。
 どんな言霊をいうにしても、『黄色』という単語をいれなければ、そのちからを発揮しない。
 ゆえに、爆発的な『即現実』を実現させられるのだ。
 病を治すには『黄色の健康を』という。
 恋を成就させるには『黄色の恋愛成就を』という。
 沼井の言霊はその縛りで、万能の特効薬となる。
 だからこそ、おじいちゃんたちは、うぬぼれてしまったんだと思う。
 少しずつ少しずつ、沼井のものたちは、自分たちを神だと思いこんでいった。
 栄未来村を守るため、どんなことでもするようになっていった。
 栄未来村の発展のためには、今以上に、もっともっとすばらしい特産品を作る必要があると、沼井は村長にいった。
「価値のあるもの……例えば、宝石のような? まあ、この国で宝石の出るところなんて、ほとんどありませんよね。冗談ですよ」
「沼井のちからなら、作れないものなどありませんよ」
 沼井のものがそういうと、村長は困ったようにいった。
「しかし、いくら沼井の言霊でも、無限に宝石を出し続けるなど、可能なのですか?」
「無から有を生み出し続けるのは、さすがに無理かもしれません。しかし、存在するものを変え続けることは、できるでしょう。宝石を同等の価値であるものならば、より簡単に、変えることができるでしょうね」
「存在するものを、宝石に変えるということですか? しかし、この栄みらいに宝石と同等の価値のものなどありませんよ」
「……いいえ。大丈夫です。すべて、わたしにおまかせください。村長」
 その日以降、栄未来村から犯罪がなくなった。
 不良もいなくなった。
 鼻つまみものもいなくなった。
 そういうものたちがいなくなると、しばらく消えるものは途絶えたかのように思えたが。
 やがて、栄未来村に引っ越してきたものの家族から、必ずひとり、行方不明者が出るようになった。
 ひとり、ふたり、さんにんと増え、察しのいいものは、すぐに栄未来村から逃げた。
 しかし、秘密を知ったものを、逃がすわけがなかった。
 こうして、栄未来村の秘密は守られた。
 このままでは、沼井の言霊は、歪んだちからを持ってしまうだろう。

 現に、蟲歌の何人かは、おかしくなってしまったものもいる。
 人を宝石に変え、それを砕いて、パックにいれるなんて――ひどい仕打ち。

 スミちゃん、ごめんなさい……。
 そう思っていたのに。 
 スミちゃんに蟲歌に選ばれたと伝えると、うれしそうにこういったんだ。
「わたしが蟲歌に……なんて光栄なの! 沼井さまにお仕えできるなんて……さいこうの気分……」
 スミちゃんの家は、昔から栄未来に住んでいる。
 家族全員、沼井家への思いの、そうとうなものがあることは、お父さんから聞いていた。
 でも、あんなことをしなくてはならないのに、そんなふうにいえるなんて。
 わたしには信じられなかった。
 スミちゃんがおかしいの?
 それとも、わたしがおかしいの?
 もう、わからない。
 みよちゃん……みよちゃん。
 ごめんね。ごめんなさい。

 どうか、ゆるしてください。



 ――
 
(文献のすみに、メモ書きが書かれている)

 平成20年 6月 現在
 沼井の言霊のちからは、弱くなっているが、同時に呪いとしてのちからが強まっている。 
『黄色』という言葉に、たまたま反応してしまったものが、おかしくなってしまっているようだ。
 行方になってしまっているものも、まだいる。
 時間差で、呪いのちからに蝕まれてしまっているものもいる。
 現在進行形で、沼井家に依存してしまっている家も、存在しており、引き続き調査を続けていく。