佐鳥「ニコちゃん。久しぶり」
ニコ「久しぶりだねー。わっ! 今日はもう60人も集まってる。大盛況じゃん」
佐鳥「いやあ、前回の配信、楽しかったよ。たくさん話せて、すっきりしたー」
ニコ「めちゃくちゃ話したもんね……!」
佐鳥「大満足だったよ。夜は、よく眠れた。あははっ」
ニコ「それじゃあ、もうあの事件のことは調べてないの? あの後、もう少し調べてみたい、っていってたけど」
佐鳥「それなんだけどね。今日、配信したいってニコちゃんを誘ったのは、『ぬら』について話したいからなんだよ」
ニコ「『ぬら』って、なんだったっけ」
佐鳥「ちょっと。まだ一か月前のことだよ。もう忘れたの?」
ニコ「ご、ごめんごめん」
佐鳥「栄みらい中学の行事予定に書かれていた単語だよ。『インターネット掲示板』の怪談にも出てきてたでしょ。DMで送ったじゃない」
ニコ「ああ、そうだったね」
佐鳥「いいよ、いいよ。どうせ今ハマってる怪談の考察で、記憶から抜けちゃってるんでしょ。今日も、それについてのポストしてたもんね」
ニコ「そうなんだよね~。申し訳ない、申し訳ない」
佐鳥「わかってるよ。でも、これからぼくが話すお話のほうが、面白いと思ってくれるはずだよ」
ニコ「ええ~。すっごい自信。それじゃあ、聞かせてもらおうじゃないですか。もしかして、栄みらい中学にちょくせつ行って、『ぬら』について聞いてきたとか?」
佐鳥「もちろん、それもやったけど」
ニコ「まじっ? さ、さすが……」
佐鳥「でも、個人情報なので、教えられないといわれて……」
ニコ「えっ! 学校の行事の説明も、個人情報の範囲に入るなんて思わなかった。SNSが普及したから、運動会や授業参観での写真撮影のルールが厳しくなったっていうのはわかるけど。授業風景の写真をSNSアップしてはいけないとか。『ぬら』について答えられないのも、そういう理由?」
佐鳥「ぼくが聞いたのは、〝『ぬら』がどういう行事なのか教えてほしい〟だよ。取材風景をSNSにあげるような素振りなんてしなかったしね」
ニコ「じゃあ、なんで……」
佐鳥「ふしぎだよね」
ニコ「ふてくされてるね」
佐鳥「そりゃあね。だから、自力で調べてみた」
ニコ「えっ。インターネットにも情報がなかったんでしょ。どうやって?」
佐鳥「栄みらい中学が、どこにある学校だったかは覚えてるよね?」
ニコ「いや。栄みらい市でしょ」
佐鳥「そのとおり。栄みらい駅の未来通り口から西に進んだところにある、『桃源園』って店。そこの店長の息子、知り合いだったみたいでね。ネットで知り合った怪談仲間っていうのかな。そこの店、栄みらい市と東みらい市のはざまにあってね……興味深い情報をたくさん教えてくれたよ」
ニコ「またそんな……配信でいっていいことなの?」
佐鳥「今さらじゃないかな」
ニコ「……そうかもしれないけど」
佐鳥「それで……桃源園の彼が教えてくれた情報を頼りに、図書館で調べものをしているときに見つけた本なんだけど――図書館でコピーしたものをいま、DMで送るから見てみて」
■
『日本怪奇・伝承・伝説事典』より【ぬらりひょんについての考察】
妖怪研究家・玄坂雲慶 著(p56~p58より抜粋)
ぬらりひょんとは、クラゲやタコなどが、波にゆらゆらと揺れているさまが、人間の頭部のように見えたため、妖怪として恐れの対象となったとされる。
由来は、捕えようとすると、「ぬらり」と滑り落ち、波間を「ひょん」と浮いてくるため。
老人のすがたをしており、忙しい夕飯どきなどに、勝手に家に入り、勝手にくつろぐ。
人間が忙しいときに現れるので、いったい何を目的としているのか、どういう存在なのか、くわしいことは何もわからない。
謎につつまれたままだ。
つじ籠から降り、人々の家に入ろうとしたすがたを描いた絵図も存在する。
つじ籠などから降りるとき「ぬらりん」と、自ら発音することもあるという。
「のらりくらり」という言葉がある。
「のらり」 とは、 今でいう「宣る(のる)」 の、否定形である。
古語において、「のらり」とは、宣言する・告げる・知らせるなどの意味を持つ 「宣る 」 に由来する。
つまり「のらり」とは、 「何もいわない」 という意味になる。
「くらり」 とは 「めまいがする」 ・あるいは「とらえどころのないさま」 という意味がある。
以上の言葉が組みあわさり、 「何もいわず、とらえどころのないこと」 という意味の言葉として、使われるようになった。
「のらりくらり」の語源が、「ぬらりくらり」といわれており、「言う」という意味の古語「宣る(のる)」の否定形の「のらり」と、ぬるぬるすべるようすという意味の「ぬらり」が入れ替わり、できた言葉といわれている。
ぬらりひょんは、まさにそのような言葉から生まれた存在といえる。
とらえどころがなく、すがたかたちもいまだ、きちんと定まっていない。
ひょうたんのような、なまずのような。
頭ばかりが大きく、掴んだら「ひょん」と音をたてて、すべっていってしまう。
糠に釘、暖簾に腕押しのようなもの。
それが、ぬらりひょんという存在である。
■
ニコ「つまりこれって……『ぬら』は『ぬらりひょん』のことなのではないか、ということ?」
佐鳥「うん」
ニコ「でも、『ぬら』って、学校行事なんですよね。それがどうして、妖怪になるの? 意味が分からないよ」
佐鳥「だから、学校行事ではないんじゃないかな」
ニコ「じゃあ、『ぬら』は妖怪ってこと?」
佐鳥「『ぬらつぬ』だよ」
ニコ「ぬらつぬ…って、前に教えてくれた、インターネット怪談、だっけ? でも、ぬらりひょんと関連性、ないよね」
佐鳥「語源なんじゃないかな、と思ってる」
ニコ「語源……?」
佐鳥「だから先に『日本怪奇・伝承・伝説事典』を見てもらったんだよ。ここには、ぬらりひょんは、ぬらりとしていて、ひょんとしていると書かれているよね。ニコちゃんも知ってると思うけど、妖怪の語源っていうのは、見た目そのままに名づけられたものや、こういうシャレのきいたものが多いでしょ」
ニコ「ああ……『ケサランパサラン』の語源って一説には〝羽毛に似て、パサパサしているから〟というものがあるみたいだね。『お歯黒べったり』も、まさに見た目どおりの名前だよね。じゃあ、『ぬらつぬ』もそういう……-」
佐鳥「そう。ニコちゃんは、どう予想する?」
ニコ「ぬらりひょんと、語源が似ているのは、たしかにある。と、すると、その由来も似たルートから来ている可能性があるけれど……。うーん」
佐鳥「どう? わからない?」
ニコ「『ぬら』については説明がつくとして、『つぬ』はなんなんだろう」
佐鳥「そうだね。……『つぬ』で考えるか、『つ』と『ぬ』で分けて考えるか、で意味合いがだいぶ、変わってくるんじゃないかな」
ニコ「なるほど。一文字ずつ、か。じゃあまず先に、『ぬ』について考察していこうかな」
佐鳥「うんうん」
ニコ「例えば、日本語では、古いいい回しにあたる、否定の助動詞として考えていこうと思うんだけど」
佐鳥「否定の助動詞?」
ニコ「うん。『腹は切らぬ』とか『頭は下げぬ』とか」
佐鳥「武士みたいないい回しってことだね」
ニコ「そう。否定だけじゃなくて、『腹を切ってはならぬ』や『頭をさげてはならぬ』とかね。禁止の意味あいでも使われていたよね」
佐鳥「じゃあ、『つ』のほうは?」
ニコ「うーん。分けて考えると、どうしても無理やり感が出るんだけど……。長崎や、熊本の一部の地域では、『かさぶた』のことを『つ』と呼んでるところがあるみたい。つまり、方言ってことなんだけど」
佐鳥「一文字で?」
ニコ「そうそう」
佐鳥「でも、栄みらい市の行事なのに、九州の方言なのはおかしくない?」
ニコ「それなんだよね~! うーん」
佐鳥「まあまあ、落ちこまないで。考察の続きを聞くよ」
ニコ「……ありがと。要するに、『つ』は『かさぶた』のことを指しているんじゃないかって考えたの。かさぶたは、傷から生まれるものだよね。つまり、『ぬらつぬ』っていうのは……『感染力のある呪いのウイルス』とかなんじゃないかな。感染したら、ぬらりひょんのような妖怪に祟られる、とか」
佐鳥「なるほど。いい考察なんじゃないかな」
ニコ「……佐鳥くんは、ぬらつぬについて、どう考えてる?」
佐鳥「ぼくは、逆なんじゃないかなあって思ったよ」
ニコ「逆……って、どういうこと?」
佐鳥「ぬらつぬとは……祝福をもたらすものなんじゃないかなあ、って」
ニコ「ええ。まさか」
佐鳥「昔、天然痘という病気が世界中で流行ったのは知ってる?」
ニコ「天然痘……授業で出てきたような。出てきてないような」
佐鳥「ふふ。テレビや動画とかで、小耳にはさんだこともあるかもしれないね」
ニコ「そっちかなあ」
佐鳥「天然痘の症状はおもに高熱、そして、からだ中にできる特徴的な発疹だよ。発疹はすぐ、水ぶくれへと変化する。水ぶくれはやがて、膿となり、かさぶたになっていく。天然痘に感染したばあい、その致死率は二十から五十パーセント。だけど、天然痘に一度でもかかり、そして治癒した人は天然痘にはかからないもいわれていたみたいだ。そこであみだされたのが、感染者の膿で天然痘を予防する方法、というわけ」
ニコ「はっ? 膿……? いやいやいやいや」
佐鳥「その反応は、ごもっとも。でも、ここからが面白いだ。この方法は人痘接種法と名付けられ、おもに東洋で行われていたみたいだね。天然痘の予防のため、天然痘患者の膿やかさぶたを腕にこすりつけたり、細かく砕いたものを吸引させたり」
ニコ「うええええ! かさぶたっ。そういうこと?」
佐鳥「でも、ほんものの天然痘よりも軽い症状を引き起こすけれど、数十日で回復するんだ。日本では、1789年に人痘接種法を行い、成功した医師もいるみたい」
ニコ「天然痘の話はわかったけど。ぬらつぬが祝福をもたらすものだっていうのは、どう説明するつもり?」
佐鳥「最後の『ぬ』だよ。否定の意味なんじゃないか、っていってたよね」
ニコ「うん……」
佐鳥「ぬらつぬ、とは。人々の恐れの象徴である、妖怪。そして、病気もまた人々が恐怖するもの。かさぶたはそれを剥がすもの。つまり、呪いの否定。最後の否定の『ぬ』がそれを表しているよね。つまりこれは、呪いではなく、祝福なんだよ。栄みらい市の学校で、行事になるほどの伝統行事だもの。ね? 納得でしょ」
ニコ「……納得……するしかないのかなあ」
佐鳥「あるいは……もっと単純に発想してもいいかもしれない」
ニコ「たとえば?」
ニコ「ぬらつぬが、クラゲやタコに似ているなにか、なんだとすれば……〝人の魂〟が由来していてもおかしくはないよね」
ニコ「えっ……まあ。人魂はゆらゆらしてるらしいし、かたちのイメージもなんとなくクラゲやタコに似ているかもしれないけど」
佐鳥「まあ、これは桃源園の彼との推理から生まれた推測だから、戯言と思ってもらってかまわないけどね」
ニコ「ここまで考えたのにっ? ……でも、あのインターネット怪談って、創作だよね?」
佐鳥「どこからどこまでが創作なのかはわからないけど……でも、本当のこともおり混ぜて書かれたものなんじゃないかなあ」
ニコ「いい切るねえ?」
佐鳥「推測だよ」
ニコ「……真実と嘘をおり混ぜてまで書いたってことは、どうしても書きたかった理由があるということ?」
佐鳥「さすが、ニコちゃん。するどい」
ニコ「その理由は? それも推測できてるわけ?」
佐鳥「坂巻伊呂波さんと、いっしょだと思う」
ニコ「あの……グリッド投稿のこと?」
佐鳥「うん。ぼくの想像では、坂巻さんは、屋上から飛び降りた興梠さんのことを広めるために、グリッド投稿をしたんじゃないかと考えてるって、いったよね」
ニコ「いってたね」
佐鳥「2022年に流行ったインターネット怪談『ぬらつぬ』を書いた投稿者の『目的』もまた、同じだとぼくは考えてる」
ニコ「つまり、みんなに広めるため……? でも、坂巻さんは興梠さんを成仏させるために広めようとしたんだよね。『ぬらつぬ』の投稿者は、何を広めようとしてたの?」
佐鳥「そりゃあ、もちろん『ぬらつぬ』のことだよ」
ニコ「えっ、ぬらつぬって、本当にあるものなの?」
佐鳥「見て。栄みらい市について調べていたら、こんなものを発見」
ニコ「スーパーのお惣菜のパック……に入った黄色いかたまり……。これ、どこで」
佐鳥「興梠蓮華さんのスマホから……ちょっとね」
ニコ「どうやって? まさか家まで行ったの?」
佐鳥「家なんか行かなくても、できるけどね」
ニコ「まさか……スマホを乗っ取ったの?」
佐鳥「も、もう持ち主のいないスマホだよ。情報収集のため、仕方なく……」
ニコ「まったく……」
佐鳥「そういえば、栄みらい中学校の校歌って知ってる?」
ニコ「ううん」
佐鳥「歌詞をDMで送りました。ちょっと、見てみてくれないかな」
———
栄みらい高等学校 校歌
朝陽に染まる この街並み
豊かな空に 夢を刻む
紋を刻んだ 扉を開けば
輝く明日を 描き続ける
優しさと 誠実を胸に
我らは進む きいろの希望の道
響け 栄みらいの誇り高く
共に歩む 学びの時
友愛と 強さを胸に
我らの未来 照らしゆく
季節の風が やさしく包み
豊かに過ごす あたたかな日々
学び舎には 夢があふれ
挑む勇気を 育み続ける
新たなる いのちを掲げ
我らの心 きいろの輝きの翼
響け 栄みらいの誇り高く
共に歩む 学びの時
友愛と 強さを胸に
我らの未来 照らしゆく
———
ニコ「見たけど、これがなに?」
佐鳥「けっきょく、この校歌が、女子高生ふたりを殺したんだと思うんだよね」
ニコ「えっ……? ありふれた校歌じゃない?」
佐鳥「今日まで栄みらい市のことを、ぼくは調べつくしてきた。そこで、たどりついたのが沼井家だよ」
ニコ「沼井家って?」
佐鳥「ぬらつぬを作っていた……いえ、今も作っている家だよ。栄みらい市で、伝統的に行われている『ぬら』という行事も、彼らが作ったらしい」
ニコ「あれ……? アリスさん。スピーカー希望ですか? 今、承認しますね」
佐鳥「珍しいですね。アリスさん、いつも聞き専ですし。というか、お話するの、はじめてじゃな……」
アリス「……き……いろ」
ニコ「え?」
アリス「きい……ろ……黄色……黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色……」
ニコ「あ、アリスさん?」
アリス「黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色」
佐鳥「あはは」
ニコ「えっ、アリスさん……どうしちゃったんですか……! あ……佐鳥くん。レインさんまで、スピーカーになりたいみたいだけど……」
佐鳥「……どうぞ」
レイン「あなたが、やったのか」
ニコ「レインさん?」
レイン「佐鳥さん! 有栖川さんに、なにをしたんだ!」
ニコ「え?」
佐鳥「ああ、そうか。……《《蟲歌》》だ」
レイン「……有栖川さんに、聞かせたのか。あの歌を」
佐鳥「音源をDMで送っただけですよ?」
レイン「やはり、あなたは沼井家の信者か。そして……有栖川さんはあなたのことを知り、蟲歌にさせられた」
ニコ「ふ、ふたりとも、何をいってるんですか……?」
佐鳥「レインさん。ここはインターネットですよ。ぼくが誰だろうと、あなたが誰だろうと、ここは匿名の場です。誰だっていいじゃないですか——ぼくは、ただのネットが好きな怪談朗読配信者ですよ」
ニコ「久しぶりだねー。わっ! 今日はもう60人も集まってる。大盛況じゃん」
佐鳥「いやあ、前回の配信、楽しかったよ。たくさん話せて、すっきりしたー」
ニコ「めちゃくちゃ話したもんね……!」
佐鳥「大満足だったよ。夜は、よく眠れた。あははっ」
ニコ「それじゃあ、もうあの事件のことは調べてないの? あの後、もう少し調べてみたい、っていってたけど」
佐鳥「それなんだけどね。今日、配信したいってニコちゃんを誘ったのは、『ぬら』について話したいからなんだよ」
ニコ「『ぬら』って、なんだったっけ」
佐鳥「ちょっと。まだ一か月前のことだよ。もう忘れたの?」
ニコ「ご、ごめんごめん」
佐鳥「栄みらい中学の行事予定に書かれていた単語だよ。『インターネット掲示板』の怪談にも出てきてたでしょ。DMで送ったじゃない」
ニコ「ああ、そうだったね」
佐鳥「いいよ、いいよ。どうせ今ハマってる怪談の考察で、記憶から抜けちゃってるんでしょ。今日も、それについてのポストしてたもんね」
ニコ「そうなんだよね~。申し訳ない、申し訳ない」
佐鳥「わかってるよ。でも、これからぼくが話すお話のほうが、面白いと思ってくれるはずだよ」
ニコ「ええ~。すっごい自信。それじゃあ、聞かせてもらおうじゃないですか。もしかして、栄みらい中学にちょくせつ行って、『ぬら』について聞いてきたとか?」
佐鳥「もちろん、それもやったけど」
ニコ「まじっ? さ、さすが……」
佐鳥「でも、個人情報なので、教えられないといわれて……」
ニコ「えっ! 学校の行事の説明も、個人情報の範囲に入るなんて思わなかった。SNSが普及したから、運動会や授業参観での写真撮影のルールが厳しくなったっていうのはわかるけど。授業風景の写真をSNSアップしてはいけないとか。『ぬら』について答えられないのも、そういう理由?」
佐鳥「ぼくが聞いたのは、〝『ぬら』がどういう行事なのか教えてほしい〟だよ。取材風景をSNSにあげるような素振りなんてしなかったしね」
ニコ「じゃあ、なんで……」
佐鳥「ふしぎだよね」
ニコ「ふてくされてるね」
佐鳥「そりゃあね。だから、自力で調べてみた」
ニコ「えっ。インターネットにも情報がなかったんでしょ。どうやって?」
佐鳥「栄みらい中学が、どこにある学校だったかは覚えてるよね?」
ニコ「いや。栄みらい市でしょ」
佐鳥「そのとおり。栄みらい駅の未来通り口から西に進んだところにある、『桃源園』って店。そこの店長の息子、知り合いだったみたいでね。ネットで知り合った怪談仲間っていうのかな。そこの店、栄みらい市と東みらい市のはざまにあってね……興味深い情報をたくさん教えてくれたよ」
ニコ「またそんな……配信でいっていいことなの?」
佐鳥「今さらじゃないかな」
ニコ「……そうかもしれないけど」
佐鳥「それで……桃源園の彼が教えてくれた情報を頼りに、図書館で調べものをしているときに見つけた本なんだけど――図書館でコピーしたものをいま、DMで送るから見てみて」
■
『日本怪奇・伝承・伝説事典』より【ぬらりひょんについての考察】
妖怪研究家・玄坂雲慶 著(p56~p58より抜粋)
ぬらりひょんとは、クラゲやタコなどが、波にゆらゆらと揺れているさまが、人間の頭部のように見えたため、妖怪として恐れの対象となったとされる。
由来は、捕えようとすると、「ぬらり」と滑り落ち、波間を「ひょん」と浮いてくるため。
老人のすがたをしており、忙しい夕飯どきなどに、勝手に家に入り、勝手にくつろぐ。
人間が忙しいときに現れるので、いったい何を目的としているのか、どういう存在なのか、くわしいことは何もわからない。
謎につつまれたままだ。
つじ籠から降り、人々の家に入ろうとしたすがたを描いた絵図も存在する。
つじ籠などから降りるとき「ぬらりん」と、自ら発音することもあるという。
「のらりくらり」という言葉がある。
「のらり」 とは、 今でいう「宣る(のる)」 の、否定形である。
古語において、「のらり」とは、宣言する・告げる・知らせるなどの意味を持つ 「宣る 」 に由来する。
つまり「のらり」とは、 「何もいわない」 という意味になる。
「くらり」 とは 「めまいがする」 ・あるいは「とらえどころのないさま」 という意味がある。
以上の言葉が組みあわさり、 「何もいわず、とらえどころのないこと」 という意味の言葉として、使われるようになった。
「のらりくらり」の語源が、「ぬらりくらり」といわれており、「言う」という意味の古語「宣る(のる)」の否定形の「のらり」と、ぬるぬるすべるようすという意味の「ぬらり」が入れ替わり、できた言葉といわれている。
ぬらりひょんは、まさにそのような言葉から生まれた存在といえる。
とらえどころがなく、すがたかたちもいまだ、きちんと定まっていない。
ひょうたんのような、なまずのような。
頭ばかりが大きく、掴んだら「ひょん」と音をたてて、すべっていってしまう。
糠に釘、暖簾に腕押しのようなもの。
それが、ぬらりひょんという存在である。
■
ニコ「つまりこれって……『ぬら』は『ぬらりひょん』のことなのではないか、ということ?」
佐鳥「うん」
ニコ「でも、『ぬら』って、学校行事なんですよね。それがどうして、妖怪になるの? 意味が分からないよ」
佐鳥「だから、学校行事ではないんじゃないかな」
ニコ「じゃあ、『ぬら』は妖怪ってこと?」
佐鳥「『ぬらつぬ』だよ」
ニコ「ぬらつぬ…って、前に教えてくれた、インターネット怪談、だっけ? でも、ぬらりひょんと関連性、ないよね」
佐鳥「語源なんじゃないかな、と思ってる」
ニコ「語源……?」
佐鳥「だから先に『日本怪奇・伝承・伝説事典』を見てもらったんだよ。ここには、ぬらりひょんは、ぬらりとしていて、ひょんとしていると書かれているよね。ニコちゃんも知ってると思うけど、妖怪の語源っていうのは、見た目そのままに名づけられたものや、こういうシャレのきいたものが多いでしょ」
ニコ「ああ……『ケサランパサラン』の語源って一説には〝羽毛に似て、パサパサしているから〟というものがあるみたいだね。『お歯黒べったり』も、まさに見た目どおりの名前だよね。じゃあ、『ぬらつぬ』もそういう……-」
佐鳥「そう。ニコちゃんは、どう予想する?」
ニコ「ぬらりひょんと、語源が似ているのは、たしかにある。と、すると、その由来も似たルートから来ている可能性があるけれど……。うーん」
佐鳥「どう? わからない?」
ニコ「『ぬら』については説明がつくとして、『つぬ』はなんなんだろう」
佐鳥「そうだね。……『つぬ』で考えるか、『つ』と『ぬ』で分けて考えるか、で意味合いがだいぶ、変わってくるんじゃないかな」
ニコ「なるほど。一文字ずつ、か。じゃあまず先に、『ぬ』について考察していこうかな」
佐鳥「うんうん」
ニコ「例えば、日本語では、古いいい回しにあたる、否定の助動詞として考えていこうと思うんだけど」
佐鳥「否定の助動詞?」
ニコ「うん。『腹は切らぬ』とか『頭は下げぬ』とか」
佐鳥「武士みたいないい回しってことだね」
ニコ「そう。否定だけじゃなくて、『腹を切ってはならぬ』や『頭をさげてはならぬ』とかね。禁止の意味あいでも使われていたよね」
佐鳥「じゃあ、『つ』のほうは?」
ニコ「うーん。分けて考えると、どうしても無理やり感が出るんだけど……。長崎や、熊本の一部の地域では、『かさぶた』のことを『つ』と呼んでるところがあるみたい。つまり、方言ってことなんだけど」
佐鳥「一文字で?」
ニコ「そうそう」
佐鳥「でも、栄みらい市の行事なのに、九州の方言なのはおかしくない?」
ニコ「それなんだよね~! うーん」
佐鳥「まあまあ、落ちこまないで。考察の続きを聞くよ」
ニコ「……ありがと。要するに、『つ』は『かさぶた』のことを指しているんじゃないかって考えたの。かさぶたは、傷から生まれるものだよね。つまり、『ぬらつぬ』っていうのは……『感染力のある呪いのウイルス』とかなんじゃないかな。感染したら、ぬらりひょんのような妖怪に祟られる、とか」
佐鳥「なるほど。いい考察なんじゃないかな」
ニコ「……佐鳥くんは、ぬらつぬについて、どう考えてる?」
佐鳥「ぼくは、逆なんじゃないかなあって思ったよ」
ニコ「逆……って、どういうこと?」
佐鳥「ぬらつぬとは……祝福をもたらすものなんじゃないかなあ、って」
ニコ「ええ。まさか」
佐鳥「昔、天然痘という病気が世界中で流行ったのは知ってる?」
ニコ「天然痘……授業で出てきたような。出てきてないような」
佐鳥「ふふ。テレビや動画とかで、小耳にはさんだこともあるかもしれないね」
ニコ「そっちかなあ」
佐鳥「天然痘の症状はおもに高熱、そして、からだ中にできる特徴的な発疹だよ。発疹はすぐ、水ぶくれへと変化する。水ぶくれはやがて、膿となり、かさぶたになっていく。天然痘に感染したばあい、その致死率は二十から五十パーセント。だけど、天然痘に一度でもかかり、そして治癒した人は天然痘にはかからないもいわれていたみたいだ。そこであみだされたのが、感染者の膿で天然痘を予防する方法、というわけ」
ニコ「はっ? 膿……? いやいやいやいや」
佐鳥「その反応は、ごもっとも。でも、ここからが面白いだ。この方法は人痘接種法と名付けられ、おもに東洋で行われていたみたいだね。天然痘の予防のため、天然痘患者の膿やかさぶたを腕にこすりつけたり、細かく砕いたものを吸引させたり」
ニコ「うええええ! かさぶたっ。そういうこと?」
佐鳥「でも、ほんものの天然痘よりも軽い症状を引き起こすけれど、数十日で回復するんだ。日本では、1789年に人痘接種法を行い、成功した医師もいるみたい」
ニコ「天然痘の話はわかったけど。ぬらつぬが祝福をもたらすものだっていうのは、どう説明するつもり?」
佐鳥「最後の『ぬ』だよ。否定の意味なんじゃないか、っていってたよね」
ニコ「うん……」
佐鳥「ぬらつぬ、とは。人々の恐れの象徴である、妖怪。そして、病気もまた人々が恐怖するもの。かさぶたはそれを剥がすもの。つまり、呪いの否定。最後の否定の『ぬ』がそれを表しているよね。つまりこれは、呪いではなく、祝福なんだよ。栄みらい市の学校で、行事になるほどの伝統行事だもの。ね? 納得でしょ」
ニコ「……納得……するしかないのかなあ」
佐鳥「あるいは……もっと単純に発想してもいいかもしれない」
ニコ「たとえば?」
ニコ「ぬらつぬが、クラゲやタコに似ているなにか、なんだとすれば……〝人の魂〟が由来していてもおかしくはないよね」
ニコ「えっ……まあ。人魂はゆらゆらしてるらしいし、かたちのイメージもなんとなくクラゲやタコに似ているかもしれないけど」
佐鳥「まあ、これは桃源園の彼との推理から生まれた推測だから、戯言と思ってもらってかまわないけどね」
ニコ「ここまで考えたのにっ? ……でも、あのインターネット怪談って、創作だよね?」
佐鳥「どこからどこまでが創作なのかはわからないけど……でも、本当のこともおり混ぜて書かれたものなんじゃないかなあ」
ニコ「いい切るねえ?」
佐鳥「推測だよ」
ニコ「……真実と嘘をおり混ぜてまで書いたってことは、どうしても書きたかった理由があるということ?」
佐鳥「さすが、ニコちゃん。するどい」
ニコ「その理由は? それも推測できてるわけ?」
佐鳥「坂巻伊呂波さんと、いっしょだと思う」
ニコ「あの……グリッド投稿のこと?」
佐鳥「うん。ぼくの想像では、坂巻さんは、屋上から飛び降りた興梠さんのことを広めるために、グリッド投稿をしたんじゃないかと考えてるって、いったよね」
ニコ「いってたね」
佐鳥「2022年に流行ったインターネット怪談『ぬらつぬ』を書いた投稿者の『目的』もまた、同じだとぼくは考えてる」
ニコ「つまり、みんなに広めるため……? でも、坂巻さんは興梠さんを成仏させるために広めようとしたんだよね。『ぬらつぬ』の投稿者は、何を広めようとしてたの?」
佐鳥「そりゃあ、もちろん『ぬらつぬ』のことだよ」
ニコ「えっ、ぬらつぬって、本当にあるものなの?」
佐鳥「見て。栄みらい市について調べていたら、こんなものを発見」
ニコ「スーパーのお惣菜のパック……に入った黄色いかたまり……。これ、どこで」
佐鳥「興梠蓮華さんのスマホから……ちょっとね」
ニコ「どうやって? まさか家まで行ったの?」
佐鳥「家なんか行かなくても、できるけどね」
ニコ「まさか……スマホを乗っ取ったの?」
佐鳥「も、もう持ち主のいないスマホだよ。情報収集のため、仕方なく……」
ニコ「まったく……」
佐鳥「そういえば、栄みらい中学校の校歌って知ってる?」
ニコ「ううん」
佐鳥「歌詞をDMで送りました。ちょっと、見てみてくれないかな」
———
栄みらい高等学校 校歌
朝陽に染まる この街並み
豊かな空に 夢を刻む
紋を刻んだ 扉を開けば
輝く明日を 描き続ける
優しさと 誠実を胸に
我らは進む きいろの希望の道
響け 栄みらいの誇り高く
共に歩む 学びの時
友愛と 強さを胸に
我らの未来 照らしゆく
季節の風が やさしく包み
豊かに過ごす あたたかな日々
学び舎には 夢があふれ
挑む勇気を 育み続ける
新たなる いのちを掲げ
我らの心 きいろの輝きの翼
響け 栄みらいの誇り高く
共に歩む 学びの時
友愛と 強さを胸に
我らの未来 照らしゆく
———
ニコ「見たけど、これがなに?」
佐鳥「けっきょく、この校歌が、女子高生ふたりを殺したんだと思うんだよね」
ニコ「えっ……? ありふれた校歌じゃない?」
佐鳥「今日まで栄みらい市のことを、ぼくは調べつくしてきた。そこで、たどりついたのが沼井家だよ」
ニコ「沼井家って?」
佐鳥「ぬらつぬを作っていた……いえ、今も作っている家だよ。栄みらい市で、伝統的に行われている『ぬら』という行事も、彼らが作ったらしい」
ニコ「あれ……? アリスさん。スピーカー希望ですか? 今、承認しますね」
佐鳥「珍しいですね。アリスさん、いつも聞き専ですし。というか、お話するの、はじめてじゃな……」
アリス「……き……いろ」
ニコ「え?」
アリス「きい……ろ……黄色……黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色……」
ニコ「あ、アリスさん?」
アリス「黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色黄色」
佐鳥「あはは」
ニコ「えっ、アリスさん……どうしちゃったんですか……! あ……佐鳥くん。レインさんまで、スピーカーになりたいみたいだけど……」
佐鳥「……どうぞ」
レイン「あなたが、やったのか」
ニコ「レインさん?」
レイン「佐鳥さん! 有栖川さんに、なにをしたんだ!」
ニコ「え?」
佐鳥「ああ、そうか。……《《蟲歌》》だ」
レイン「……有栖川さんに、聞かせたのか。あの歌を」
佐鳥「音源をDMで送っただけですよ?」
レイン「やはり、あなたは沼井家の信者か。そして……有栖川さんはあなたのことを知り、蟲歌にさせられた」
ニコ「ふ、ふたりとも、何をいってるんですか……?」
佐鳥「レインさん。ここはインターネットですよ。ぼくが誰だろうと、あなたが誰だろうと、ここは匿名の場です。誰だっていいじゃないですか——ぼくは、ただのネットが好きな怪談朗読配信者ですよ」



