「え、本当ですか!? ジュブナイルさん!?」

「ああ。それに、『夜の底の使い』もセットだ」

 え? と奥のほうに目を凝らす。
 等間隔に並んだ机とパソコンの向こうに、なにか黒いものが見えた。
 暗い中なのに、真っ黒な布みたいなものが、教室の奥に張ってあるのが見える。布は何十にもランダムに重なっていて、蜘蛛の巣が布でできてるみたいな見た目だった。
 その真ん中に、人影が見えた。布にくるまれて、宙づりになってる。……あれが!?

「ジュブナイル!」

 ファンタジーさんが剣を抜いた。ジュブナイルさんに駆け寄っていく。
 すると、黒い布が生き物みたいにぶわっと広がって、ファンタジーさんを包もうとした。

「ファンタジーさん!」

「花音、下がってろ! こいつらが『夜の底の使い』だ!」

 あ、あの布が!?

「こいつらにつかまると、身動きが取れなくなり、やがて気力も失っていく! おれのことは心配いらない!」

 そう言いながら、ファンタジーさんは上下左右に鋭く剣を振るった。
 布は――「夜の底の使い」は、たちまち細切れになって床に落ちていく。
 よく見ると、それは布なんかじゃなかった。アメーバみたいにうごめきながら形を変えて、ぐにゃにゃと這いずり回ってる。

「花音さん、もっと離れるですう!」

「こいつらの一匹につかまると、一気に密集してくるからな! ミーたちもうっかり触れちまうとやばい!」

 でも、ファンタジーさんに切られた「使い」たちは、しばらくはもぞもぞ動いてたけど、すぐにおとなしくなっていった。

 やがてファンタジーさんがジュブナイルさんにたどりついた。ジュブナイルさんをくるんでた「使い」を切り破って、とうとうジュブナイルさんの体がどさりとファンタジーさんの腕の中に倒れてきた。
 見た感じ、意識がないみたいだ。
 床の上の「使い」の体がチリみたいに細かくなって空気中に消えていく中、ファンタジーさんが大声で言った。

「ジュブナイル! おい、しっかりしろ! 司書が来たぞ! ミシマエルは図書室から出られないが、新しい司書が来てくれたんだ! 『使い』は追い払った、さあ起きるんだ!」

 ファンタジーさんはジュブナイルさんを背負って、パソコン室の入り口にいた私たちのところまで戻ってきた。
 まだ目を閉じてるジュブナイルさんの顔を覗き込んでみる。
 ファンタジーさんより、ちょっと幼い顔立ちだった。身長は私より高くてファンタジーさんよりちょっと低いくらい。服装は――ファンタジーさんと違って――現実世界でもいそうな、白いワイシャツと黒いズボン。……ほぼ中三か高校生くらいの、制服姿だ。ズボンにサスペンダーがついてるのが、数少ない個性で。
 ただ、ミディアムな長さの髪の毛が、鮮やかな緑色で、ごく普通の服装をしてる首から下に対して、すごく個性的に見えた。
 ファンタジーさんがきつめな顔をしてるからつい比べちゃうんだけど、ジュブナイルさんはずいぶん優しそうというか、穏やかそうな顔つきに見える。

「う……ん」

「目が覚めたか、ジュブナイル!」

「……ファンタジー……? それに、童話と絵本……」

「ジュブナイルさん! お久しぶりでうすう!」

「ああ、ジュブナイル! 無事でよかったァ!」

 ゆっくりと開かれたジュブナイルさんの瞳は、髪と同じ緑色だった。
 夜世界の暗さの中で、その鮮やかさがまぶしくて、めまいを起こしちゃいそうになる。

「そうだ、おれが分かるか!? ほら、ここにいるのが花音。新しい司書だ。花音に、お前の望みを言え。司書がそれをかなえてくれれば、力が戻って、もうそうそう『使い』なんぞに後れを取らなくなる! さあ、なんでも言え! いくつでも言え! 思いつく限りに言え!」

「あ、あの、ファンタジーさん。あんまりハードルが上がっちゃうと、その」

 そろそろと手を伸ばしつつ、一応、そうは言ったんだけど。

「僕の……望み……」

「そうだ! 早くしないと、『使い』どもが復活してくるぜ! さあ、お前の望みはなんだ!?」

「友達が……欲しい……」

 そう言われて、はたと、私たちの動きが止まった。

「……友達?」とファンタジーさん。

「そう……友達……」

「ほおっほう。そうすると、このおれは、お前にとって今の今まで、なんだったのかねえ? ただの知り合いか? それもおれはお前の手下かなんかか? おお?」

 まだ朦朧としてるように見えるジュブナイルさんが、頬に冷や汗を浮かべながら首を横に振った。

「ち、違う、ファンタジーは確かに友達だよ。でも僕が欲しいのは、人間の友達なんだ……。だって僕たちは、人間に読まれるために生まれてきたんだから……。でも図書館の活力が減るにつれて来る子も減って、僕たちも『使い』に力を奪われて、だんだん誰にも読まれなくなって……」

「……そうだな。ミシマエルの力も、衰退の速度を緩めることはできても、根本的な解決はできなかった……『夜の図書室』の司書がたった一人じゃ、あいつがいくら頑張ってももともと無理な話なんだ」

「ファンタジー、僕だってまだ寿命を迎えたくなんかないよ。でも、報われない日々に、少し疲れてしまったんだ。ミシマエルは優れた司書だ、でもこの学校の生徒じゃない。生徒に見向きもされない本なんて、それは……」

 緑色の瞳が、輝きを増したように見えた。
 でも、違う。あれは光がともったんじゃない。
 涙だ。

「あ、あのっ!」

 いきなり私が大声を出したので、二人が私のほうを向いた。

「私、人間です。それに、『夜の図書館』の司書になれてるみたいなんです。……私じゃ、だめですか? 友達って」

「君、が……?」

「はいっ。七月花音です。ファンタジーさん、それに三島さんや童話さんに絵本さんとは、もう友達です! ……だから、ジュブナイルさんも!」

 ジュブナイルさんが目をぱちくりさせる。

「司書? あの子が?」

「今さっきおれもそう言っただろうが。聞いてなかったのか」

「人間の、友達……。本当に?」

 ジュブナイルさんが体を起こした。
 私は、思いつくままに言葉を続ける。

「私たちが読もうとしてない本って、きっと学校の図書室の中にたくさんあるんだと思います。物語だけじゃなくて、資料みたいな本でもそうですし。でも、ほんのたまにしか読まれなくったって、そのたまに手に取る人にとっては、どれもすごく大事な本のはずですっ」

「それは……そうかもしれない。でも僕は、物語としての魅力をもう失っていて……あの図書室から消えてしまっても、誰も悲しまないんだ」

 私は両手を握ってこぶしにした。
 なんて悲しいことを言うんだろう。絶対にそんなことはないのに。

「図書室でも本屋さんでも、なにか理由があって、廃棄されちゃう本はあります。でも今のジュブナイルさんは、たぶん違うじゃないですかっ」

 ジュブナイルさんが息をのむ。

「そうだ、ジュブナイル。おれだって、もうここの図書室にあり続けるのをあきらめようかと、つい昨日まで思っていた。けど、花音が救ってくれたんだ。だからお前も……」

 その時、パソコン室の入り口に、なにか動くものが見えた。
 振り返ると、それは黒い蛇だった。さっきの布と同じ材質に見える。
 いや、よく見ると、布が丸まって蛇みたいな形になってる。頭の部分には、太くて長い牙が上下二本ずつで四本、きらりと光って見えた。
 ということは、これは……。

「『使い』か!? まだいやがったか! 伏せろ、花音!」

 ファンタジーさんが剣を抜いて、私のほうへ駆け出した。
 私は言われたとおり、頭を抱えてその場に伏せる。
 で、でもこれ、間に合う!?

 背中の上に、凄い勢いでなにかが降りかかってくる気配がする。
 ぞっとして、体中に鳥肌が立った。なんとか伏せはしたけど、それ以上は怖くて動けない。

 がぶっ……!

 嫌な音が聞こえた。
 そしてそのすぐ後に、

 ざんっ!

 これはたぶん、「夜の底の使い」が切られた音。
 私は体を起こした。
 横を見ると、やっぱり、二つに切られた蛇が落ちていて、すぐにぐったりとなって、やっぱりチリみたいに消えていく。

 よかった。
 あれ、でも、私どこを噛まれたんだろう。
 どこも痛くないんだけど……?

「ジュブナイル! お前!」

 えっ、と思って「使い」がいたのとは逆のほうを見た。
 ジュブナイルさんが、左手で右腕を抑えてうずくまってる。
 その手のひらから、赤い筋がすうっと流れて、床に落ちた。

「ジュ、ジュブナイルさん!?」

「花音、ちゃん、だったね……けがはない?」

「お前、大して戦闘能力もないのに無茶するな。傷を見せろ」

「はは、ひどいな。僕は平気だよ。それより――」

 ジュブナイルさんが体を起こして、私に向き直った。

「――それより、せっかくできた人間の友達が、無事でよかった」

 そう言って微笑む。

「ジュブナイルさん!」