ライバル店の敏腕パティシエはスイーツ大好きな彼女を離さない〜甘い時間は秘密のレシピ〜

 車のフロントガラスに、細かな雪が舞い落ちる。
 街頭に照らされた雪がぼんやりと光り、二人きりの空間をふんわりと包み込む。

「三十日、空港に来てほしい」
「もちろん、見送りに行きます」
 
 愁さん、なにか考えている。なにか言いたそう。
 言葉を選んでいるのか、それとも伝えるべきかどうかを悩んでいるのか。
 唇がわずかに動きかけて、また止まる。
 視線を少し逸らしたまま深呼吸して、ようやく言葉が返ってきた。
 
「……飛行機の時間が、夜十時なんだ」
「そうなんですね。でも、夜遅くても大丈夫です! 行きます!」
「フライトの時間まで、二人きりで過ごしたい」
「じゃあ、早めに行って空港内でデートしますか?」

 軽い調子で言ったつもりだった。
 だけど、愁さんは真剣な表情のまま、私をじっと見つめている。
 
「……ん?」

 あれ……?
 愁さん、今『二人きり』って……。
 空港内の散策じゃ、二人きりにはならないよね……?

「空港のホテルを予約してあるんだ」

 ドキン。今までで一番心臓が飛び跳ねた。
 その言葉の意味が、わからないわけではない。
 
「は……はい……」
「チェックインの三時から、九時まで。僕に時間をくれないか?」

 ドキドキしすぎて、息が詰まりそうになる。
 しっかりと深呼吸する。
 この時間は、ただの見送りではなくて──。

「わかり、ました。行きます……」

 覚悟を決めて返事をすると、愁さんはホッとしたような顔を見せた。

 もうすぐ、愁さんはフランスへ行ってしまう。
 だからこそ、この時間は何よりも大切なものになる。
 この夜のことを、私はきっと忘れない。
 
「……そろそろ行こうか」

 愁さんはそう言いながらも、まだハンドルを握る気配はない。
 静かな車内。
 別れを惜しむように、私はそっと愁さんの手を握った。
 限られた時間の中で、少しでもこの温もりを刻みつけるように──。