ライバル店の敏腕パティシエはスイーツ大好きな彼女を離さない〜甘い時間は秘密のレシピ〜

 シャテーニュのケーキセットというから、愁さんのお店に行くかと思いきや、連れてこられたのは、この間のカフェだった。
 中に入ると、コーヒーの香りがふんわりと漂う。
 席に着くと、以前見た店員さんが水とおしぼりを持ってくる。
 
「いらっしゃいませ。今日は、お店の方は?」

 店員さんは、フランクに愁さんに話しかける。
 やはり、この人が愁さんの知り合いのようだ。
 この喫茶店からコーヒーを卸していると言っていたし、きっと付き合いは長いのだろう。
 店員さんは愁さんと同い年くらいの青年で、柔らかい雰囲気を纏っており、黒いエプロン姿がよく似合っている。
 
「ちょっと用事があってね、他のスタッフに任せているよ。後から行くつもり」
「やれやれ。『用事』が、こんな可愛いお嬢さんとデートとはね」

『可愛いお嬢さん』『デート』という単語に少し照れてしまい、反射的に視線を落とす。
 こういう時、気の利いた言葉を返せるようになりたいものだ。
 愁さんは出された水を一口飲み、いつもと変わらない冷静さだった。
 
「デートじゃないけど……ま、可愛いに関しては否定しないよ」

 デートじゃないという言葉に、なぜだかチクリと胸が痛む。
 私は「恋人役」で、今はそのお礼としてここにきているんだから、間違いではないのに。
 そんな私の気持ちを他所に、愁さんは話を続けていく。
 
「ここのケーキは、シャテーニュのものなんだ。お店の方へ行くと、どうしても他の人の目があるからね」

 先日お店に行った時、女性客が行列を作っていたことを思い出す。
 それに、もしかしたら女性スタッフの中にも愁さんに憧れている人がいるかもしれない。
 愁さんの言うとおり、私が愁さんと一緒にシャテーニュへ行けば、きっと嫉妬の嵐が巻き起こるに違いない。
 そんな想像に苦笑しながらメニューを開く。
 一緒に見られるようにテーブルの上に広げると、愁さんがあるケーキの名前をトントンと指差した。

「今日は、モンブランとコーヒーのセットにしようか。知っていると思うけど、うちのシャテーニュという名前は、フランス語で『栗』のことなんだ」
「やっぱり、苗字にちなんでるんですね」
 
 早速注文すると、店員さんがモンブランとコーヒーを二人分運んでくる。
 柔らかな栗色のクリームがふんだんに絞られたモンブラン。
 ラム酒漬けのマロングラッセが乗っており、金箔がまぶされている。
 さすが愁さんの店、という風格が感じられるケーキだ。

「コーヒーは、エチオピア産のシングルオリジン。飲んでみて」
 
 カップをそっと口元に運ぶ。
 温かい琥珀色の液体が喉を通り抜ける瞬間、フルーティーな味わいと共に驚きが広がった。

「……正直、コーヒーのことはよく知らないんですけど、いつも飲んでいるものと違うのはわかります。こんなに違うんですね。とってもフルーティーで」

 愁さんがこれほどのこだわりを持っているのも、なんとなく理解できた気がする。
 満足そうに頷いて、愁さんもコーヒーを飲む。
 そして、お互いモンブランを一口、私はマロンから、愁さんはクリームから食べた。
 マロンに染み込んだラム酒の風味が口いっぱいに広がる。
 同じスイーツでも、二人の食べ方が違うことがなんだかおかしくて、心の中でクスッと笑ってしまった。
 食べている間も、ケーキやコーヒーの話に花が咲く。
 半分くらい食べたところで、愁さんが呟くように言った。
 
「やっぱり、いいな」
「……ん?」
「こうして、好きな人と好きなものを語り合えるって、いいなと思って」
「すっ……」

 好きな、人……!?
 待って待って待って、あれ? 恋人「役」のはずでしたよね……?
 あ、これも演技のうちなのかな、と深呼吸する。

「そうですよね! 好きなものを語り合えるのは、私も嬉しいです! 私、スイーツのことになると友達がドン引きしちゃうほど語っちゃって……」

 実際、友達には「天音と一緒にケーキ食べると疲れる!」とか「もっと気楽に食べさせてよ」などなど、言われたことがあった。
 今では、それを付き合ってくれるのも百合香だけだ。
 過去のことを思い出し、頭の中で猛省する。
 
「でも、愁さんになら、いくらでも言えそうです!」
「僕も同じだよ。ケーキのことになると周りが見えなくなってしまう。天音さんが語るスイーツの話を聞いてるとインスピレーションが湧くし、面白いよ」

 愁さんの一言一言に、ときめいてしまう自分がいる。
 このままだと、「役」であることを忘れてしまいそうだ。
 なにか話題を変えようと、慌てて頭をフル回転させる。
 
「でも愁さん、これって、報酬なのに私の好きな時に選ばせてもらえるんじゃないんですね?」

 冗談めかして言ったつもりだったのに、愁さんの返答は意外なものだった。

「それもいいんだけどね。でも、この10回くらいは、僕のわがままを聞いてくれる?」

 その言葉に、心臓が跳ねるような音を立てた。

「……え?」

 顔がどんどん熱くなっていくのがわかる。
 なにか返さなければと思うのに、言葉が出てこない。
 愁さんは私の反応を楽しむように、ほんの少し微笑んだだけだったけれど、その微笑みが妙に胸に響いた。