そして数日後、私たちは、父を納得させるためのケーキ作りに取り掛かっていた。
あの時──高菱百貨店の風間さんからの課題の時と同じように、私と愁さんはシャテーニュの厨房で頭を悩ませていた。すると、ふいに愁さんがふっと笑った。
「……どうしたんですか?」
訊ねると、愁さんは少しだけ照れたように目を伏せた。
「いや、天音さんと一緒にレシピを考えていたときのことを、思い出して」
「ふふ、私も少し思っていました」
その言葉に、私も自然と笑みがこぼれた。
あの時は、風間さんとの『婚約を断るためのケーキ』を作っていたのに。
まさか、こんなふうにまたふたりで並んで、今度は『結婚を認めてもらうためのケーキ』を作ることになるなんて──。
「大輔さんを笑顔にするケーキ、か……」
つぶやいた愁さんの声に、改めて、今向き合っている課題の難しさに気づかされる。
「酔うと笑い上戸になるので、お酒を入れてみるとか!」
冗談半分に言ってみると、愁さんはふっと苦笑した。
「……そういうことじゃないと思うよ」
その笑顔に、私もつられて笑ってしまう。
ふと、あのときの父の顔が思い浮かんだ。
(……そういえば、挨拶したときのお父さん、謹二さんと同じ反応してたなぁ)
思い出し笑いをしていると、愁さんが首を傾げた。
「どうしたの? 急に笑って」
「あ、いえ。そういえばお父さん、謹二さんと同じ反応だったなって」
私の言葉に、愁さんは目を細めて微笑む。そのあと、少し真剣な表情になって、ぽつりとつぶやいた。
「父親……か……」
その声に込められた複雑な響きを聞きながら、私は静かに待った。
しばらく考え込んだ愁さんが、やがて顔を上げる。
「……ファリーヌとシャテーニュの、いいところを合わせるのはどうだろう?」
「いいですね、それ!」
思わず、パン!と手を合わせる。
「シャテーニュの名前にちなんで、栗を活かしたケーキにするのはどうでしょうか?」
私はそう言いながら、手元のメモ帳にさらさらとアイデアを書き留める。
「栗に合う素材か……」
愁さんは腕を組んで、真剣なまなざしで思考を巡らせる。
「でも、ファリーヌには特別な素材がないんですよね。定番のケーキが人気だから」
「そうか……。じゃあ、大輔さんが特別にケーキを作ったりすることは? たとえば、天音さんの誕生日とか」
問われて、記憶を巡らせる。
「誕生日は、いろんな種類のホールケーキを作ってくれるけど……あまり『特別感』はないんです」
定番のショートケーキに、チョコレートケーキ、チーズケーキやフルーツのタルト。
私の好きなものばかりではあるけれど、それらは店でも販売しているものだ。
そう答えながら、私はふと思い出した。
「──あ、そうだ。結婚記念日」
「ん?」
「両親の結婚記念日に、父がいつもラム酒のきいたガトー・バスクを作るんです。母がそれをすごく楽しみにしていて」
「中身は?」
「カスタードとチェリーです。でも、これを栗に変えたら……!」
言い終わる前に、愁さんの目がきらりと輝いた。
「……うん。いけるかもしれない」
栗とラム酒。
その組み合わせを思い浮かべた瞬間、芳醇な香りと舌にとろけるような深い味わいが、口の中に広がるようだった。
「決まりだね」
愁さんが微笑みながら言ったその言葉に、私もうなずく。
父を笑顔にするための、ふたりだけの特別なレシピ。
結婚を認めてもらうためのケーキだということをすっかり忘れて、作業に没頭した。
思ったとおりの味わいに仕上がったのは、それから五日後のことだった。
あの時──高菱百貨店の風間さんからの課題の時と同じように、私と愁さんはシャテーニュの厨房で頭を悩ませていた。すると、ふいに愁さんがふっと笑った。
「……どうしたんですか?」
訊ねると、愁さんは少しだけ照れたように目を伏せた。
「いや、天音さんと一緒にレシピを考えていたときのことを、思い出して」
「ふふ、私も少し思っていました」
その言葉に、私も自然と笑みがこぼれた。
あの時は、風間さんとの『婚約を断るためのケーキ』を作っていたのに。
まさか、こんなふうにまたふたりで並んで、今度は『結婚を認めてもらうためのケーキ』を作ることになるなんて──。
「大輔さんを笑顔にするケーキ、か……」
つぶやいた愁さんの声に、改めて、今向き合っている課題の難しさに気づかされる。
「酔うと笑い上戸になるので、お酒を入れてみるとか!」
冗談半分に言ってみると、愁さんはふっと苦笑した。
「……そういうことじゃないと思うよ」
その笑顔に、私もつられて笑ってしまう。
ふと、あのときの父の顔が思い浮かんだ。
(……そういえば、挨拶したときのお父さん、謹二さんと同じ反応してたなぁ)
思い出し笑いをしていると、愁さんが首を傾げた。
「どうしたの? 急に笑って」
「あ、いえ。そういえばお父さん、謹二さんと同じ反応だったなって」
私の言葉に、愁さんは目を細めて微笑む。そのあと、少し真剣な表情になって、ぽつりとつぶやいた。
「父親……か……」
その声に込められた複雑な響きを聞きながら、私は静かに待った。
しばらく考え込んだ愁さんが、やがて顔を上げる。
「……ファリーヌとシャテーニュの、いいところを合わせるのはどうだろう?」
「いいですね、それ!」
思わず、パン!と手を合わせる。
「シャテーニュの名前にちなんで、栗を活かしたケーキにするのはどうでしょうか?」
私はそう言いながら、手元のメモ帳にさらさらとアイデアを書き留める。
「栗に合う素材か……」
愁さんは腕を組んで、真剣なまなざしで思考を巡らせる。
「でも、ファリーヌには特別な素材がないんですよね。定番のケーキが人気だから」
「そうか……。じゃあ、大輔さんが特別にケーキを作ったりすることは? たとえば、天音さんの誕生日とか」
問われて、記憶を巡らせる。
「誕生日は、いろんな種類のホールケーキを作ってくれるけど……あまり『特別感』はないんです」
定番のショートケーキに、チョコレートケーキ、チーズケーキやフルーツのタルト。
私の好きなものばかりではあるけれど、それらは店でも販売しているものだ。
そう答えながら、私はふと思い出した。
「──あ、そうだ。結婚記念日」
「ん?」
「両親の結婚記念日に、父がいつもラム酒のきいたガトー・バスクを作るんです。母がそれをすごく楽しみにしていて」
「中身は?」
「カスタードとチェリーです。でも、これを栗に変えたら……!」
言い終わる前に、愁さんの目がきらりと輝いた。
「……うん。いけるかもしれない」
栗とラム酒。
その組み合わせを思い浮かべた瞬間、芳醇な香りと舌にとろけるような深い味わいが、口の中に広がるようだった。
「決まりだね」
愁さんが微笑みながら言ったその言葉に、私もうなずく。
父を笑顔にするための、ふたりだけの特別なレシピ。
結婚を認めてもらうためのケーキだということをすっかり忘れて、作業に没頭した。
思ったとおりの味わいに仕上がったのは、それから五日後のことだった。



