ライバル店の敏腕パティシエはスイーツ大好きな彼女を離さない〜甘い時間は秘密のレシピ〜

 その夜。
 部屋の電気もつけず、ベッドに寝転がりながら天井をぼんやり見つめ、スマホを握りしめていた。

(……このままじゃ、だめだよね)

 創ちゃんに話を聞いてもらって、少しだけ心が軽くなった私は、ようやく愁さんにメッセージを送る気になった。
 今は午前一時過ぎ。フランスは午後五時ごろで、愁さんもそろそろ仕事が終わるはず。

『愁さん、ごめんなさい。私、寂しさに負けて、勝手に怒っちゃって……』

 何度も打っては消して、ようやく送信ボタンを押す。
 送った瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。今さら何を言ってるんだろう。
 こんなタイミングで謝ったって、迷惑なんじゃないか──。
 そんな不安がよぎった頃、画面に新しい通知が届いた。

『今、電話できる?』

「はい」と書かれたシンプルな承諾のスタンプを送ると、メッセージアプリの着信音が鳴った。
 通話ボタンをタップする。

『……天音さん?』

 柔らかい、聞き慣れた声。
 たったそれだけで、涙がこぼれそうになった。

「ごめんなさい、私……感情的になって……」

『ううん、僕のほうこそ。忙しくて連絡、できなくてごめん』

 良かった。愁さんは怒ってるわけじゃなかった。
 ただ忙しかっただけなんだ。
 沈黙が少しだけ続いたあと、私はぽつりとつぶやいた。

「創ちゃんにね、相談したの……」

 その瞬間、電話の向こうでふっと空気が変わる気配がした。
 声には出さないけど、愁さんが少し驚いたのを感じ取る。

『……創太くんに?』

 ほんのわずか、トーンが変わったその声に、胸がちくりとした。
 でも、もう隠さないと決めたのだ。だから、まっすぐに伝える。
 
「うん、愁さんに嫌われたかもって思って……自分が情けなくなって、誰かに聞いてもらいたくて」
 
 スマホを握った手に、思わず力を込めた。
 どうしてあの時、素直になれなかったんだろう。
 
「でも、愁さんもきっと同じ気持ちでいてくれるはず……って言ったら、『結局ノロケかよ』って言われちゃった」

 その時のことを思い出して、ふっと口元がゆるんだ。
 しばらくの沈黙。
 やがて聞こえてきた愁さんの声には、ほんの少しだけ感情の揺らぎがにじんでいた。

『……そっか。うん、話してくれてありがとう。でも……心配だな』
「え?」
『……もう、創太くんと二人で会わないでほしい』

 一瞬、心臓が跳ねた。
 愁さんの声は、いつもの穏やかさの中に、少しだけ焦りと戸惑いが混ざっていた。

『……あ、ごめん、変なこと言った。別に信じてないわけじゃないんだけど……なんか、嫌で。僕以外の人に頼るの』

 胸が、じんと熱くなる。

「……わかりました。じゃあ、なるべく百合香と一緒の時に会うようにしますね」

 静かに言葉を返すと、電話の向こうでふっと安堵の息が漏れた。

『ありがとう……ごめん』
「えっ? なんで謝るんですか?」

 謝る必要なんてないのに。
 
『だって、束縛してるみたいで……嫌じゃない?』

 その声には、少しだけ不安が滲んでいた。
 きっと愁さんなりに、線を引こうとしているのだろう。優しさと、わがままの境界線を。
 私は少しだけ笑って答えた。

「心配してくれてるのはわかりますし、それくらいは、まあ……。スイーツ一ヶ月禁止! とかでなければ」

 電話の向こうで、愁さんが吹き出すように笑った。

『ははっ! 天音さんらしいね』

 冗談めかしたやり取りが、緊張をほどいてくれる。
 ふと、思い出したように話題を変えた。

「そうだ、今年のスイーツコンテスト、愁さんがいないからお父さんが張り合いなくなってます」
『そうか……。来年はまた、対戦できるといいな』
「はい。待ってます」

 少し間が空いたあと、愁さんがぽつりと言った。

『……天音さん、会いたいな』

 胸がきゅっと締めつけられる。

「……私もです」

 言葉を重ねたあと、お互いに少しだけ笑った。
 遠く離れていても、心はちゃんとつながっている──そう信じられた夜だった。