ブティックから、ティエリー・カロン氏の家は歩いて十数分ほどで着いた。
パリの高級住宅街に佇む白亜の邸宅。
受付の方に案内され、パーティー会場の扉を開けると、甘く芳醇なカカオの香りが私たちを包み込む。
華やかなドレスやシックなスーツに身を包んだゲストたち、美食家や業界関係者、そして数人のジャーナリスト。フランスの製菓界を牽引するMOFのショコラティエ、ティエリー・カロン氏のホームパーティーは、ただの社交の場ではなく、新作ショコラのお披露目の場でもあった。
そんな華やかな空間に少し緊張しながら立っていた。
愁さんは、落ち着いた表情で辺りを見回している。
そして、スーツ姿でグレイッシュな髪の男性を見ると、小さく手を上げて近寄っていった。
私は、慣れないヒールで愁さんの後ろをゆっくりとついていく。
一言二言、フランス語で会話をしたかと思うと、男性は私の方を見てにっこりと笑顔を向けた。
《ビアンヴュニュ、天音。愁から話は聞いているよ》
「天音さん、彼が、MOFのティエリー・カロン氏だよ」
世界的に有名なショコラティエが目の前にいる。
《は、初めまして!》
握手を交わし、軽く自己紹介をする。
興奮のあまり顔が熱くなってきた。
《君は、神の舌と呼ばれるほどの味覚だそうだね? どうだい、私のショコラを試してみるかい?》
カロン氏はそう言って、会場の中央に置かれた大きなガラスケースの前へ進む。
そこには、イースターへ向けた新作ショコラが、ずらりと並べられていた。
イースターといえば、ウサギやニワトリを模したチョコや、イースターエッグが有名だ。
カロン氏が促すと、アシスタントらしき人が卵型のショコラのひとつを取り出して、ナイフで半分に割った。断面からは、滑らかなキャラメル色のガナッシュが現れ、甘くスパイシーな香りがふわりと漂った。
「いい香り……」
思わずそうつぶやくと、カロン氏は満足したように口の端を上げて笑った。
その香りにつられるように、会場にいた人たちは一斉に中央へと視線を向ける。
私たちは、意図せずして注目されてしまった。
《さあ、天音。この香りはなんの食材だと思う?》
カロン氏は、イタズラっぽく微笑む。
こんな大勢の人の前で試されるなんて、カロン氏は人が悪い。
だけど、とても楽しそうだ。
《一口いただいても?》
《どうぞ》
ショコラを口にすると、滑らかなガナッシュがふわりと香りを立てながら舌の上でほどける。
そして、あとからほんのり感じるスパイシーな余韻。
「これは、バニラ……? ううん、少し違う……スパイス……あ!」
昔、父が焼き菓子に使っていた、珍しい食材を思い出す。
「……トンカ豆」
舌だけじゃない。記憶が、それを確信に変える。
答えた瞬間、周りからわっと拍手が起こって驚く。
カロン氏も、意外そうな顔で大きな拍手をしている。
《……素晴らしい! 日本では馴染みがないと思っていたがね》
《彼女の父は、腕のいいパティシエなんです》
愁さんが間に入って、答えてくれた。
《なるほど、そうだったのか。いや、私のアシスタントに欲しいくらいだよ》
《……それはダメです》
愁さんがにっこりと笑って答えると、カロン氏はその意を察したのか肩をすくめた。
《おっと、それは残念だ》
パリの高級住宅街に佇む白亜の邸宅。
受付の方に案内され、パーティー会場の扉を開けると、甘く芳醇なカカオの香りが私たちを包み込む。
華やかなドレスやシックなスーツに身を包んだゲストたち、美食家や業界関係者、そして数人のジャーナリスト。フランスの製菓界を牽引するMOFのショコラティエ、ティエリー・カロン氏のホームパーティーは、ただの社交の場ではなく、新作ショコラのお披露目の場でもあった。
そんな華やかな空間に少し緊張しながら立っていた。
愁さんは、落ち着いた表情で辺りを見回している。
そして、スーツ姿でグレイッシュな髪の男性を見ると、小さく手を上げて近寄っていった。
私は、慣れないヒールで愁さんの後ろをゆっくりとついていく。
一言二言、フランス語で会話をしたかと思うと、男性は私の方を見てにっこりと笑顔を向けた。
《ビアンヴュニュ、天音。愁から話は聞いているよ》
「天音さん、彼が、MOFのティエリー・カロン氏だよ」
世界的に有名なショコラティエが目の前にいる。
《は、初めまして!》
握手を交わし、軽く自己紹介をする。
興奮のあまり顔が熱くなってきた。
《君は、神の舌と呼ばれるほどの味覚だそうだね? どうだい、私のショコラを試してみるかい?》
カロン氏はそう言って、会場の中央に置かれた大きなガラスケースの前へ進む。
そこには、イースターへ向けた新作ショコラが、ずらりと並べられていた。
イースターといえば、ウサギやニワトリを模したチョコや、イースターエッグが有名だ。
カロン氏が促すと、アシスタントらしき人が卵型のショコラのひとつを取り出して、ナイフで半分に割った。断面からは、滑らかなキャラメル色のガナッシュが現れ、甘くスパイシーな香りがふわりと漂った。
「いい香り……」
思わずそうつぶやくと、カロン氏は満足したように口の端を上げて笑った。
その香りにつられるように、会場にいた人たちは一斉に中央へと視線を向ける。
私たちは、意図せずして注目されてしまった。
《さあ、天音。この香りはなんの食材だと思う?》
カロン氏は、イタズラっぽく微笑む。
こんな大勢の人の前で試されるなんて、カロン氏は人が悪い。
だけど、とても楽しそうだ。
《一口いただいても?》
《どうぞ》
ショコラを口にすると、滑らかなガナッシュがふわりと香りを立てながら舌の上でほどける。
そして、あとからほんのり感じるスパイシーな余韻。
「これは、バニラ……? ううん、少し違う……スパイス……あ!」
昔、父が焼き菓子に使っていた、珍しい食材を思い出す。
「……トンカ豆」
舌だけじゃない。記憶が、それを確信に変える。
答えた瞬間、周りからわっと拍手が起こって驚く。
カロン氏も、意外そうな顔で大きな拍手をしている。
《……素晴らしい! 日本では馴染みがないと思っていたがね》
《彼女の父は、腕のいいパティシエなんです》
愁さんが間に入って、答えてくれた。
《なるほど、そうだったのか。いや、私のアシスタントに欲しいくらいだよ》
《……それはダメです》
愁さんがにっこりと笑って答えると、カロン氏はその意を察したのか肩をすくめた。
《おっと、それは残念だ》



