「佐野さん、今少しお時間よろしいでしょうか?」

翌日。
日向がいつものようにオフィスでパソコンに向かっていると、日和が声をかけてきた。

「ああ、なに?」
「はい。次回、鈴鹿商事に提出する資料を作ってみました。こちらでいかがでしょうか」

受け取った資料をパラパラとめくり、日向は目を見開く。

(こ、これは……。なぜこんなにも見やすくて読みやすいんだ?この図の配置と文字の大きさ、色のチョイスと全体のバランス……、どういう計算で導き出した?どの方程式で?)

すると日和が、恐る恐る尋ねてきた。

「あの、佐野さん。やはりこれではだめでしょうか。改善点を教えていただけたら、すぐに訂正いたします」

日向はハッとして顔を上げた。

「いや、これで大丈夫だ」
「ほんとですか!?良かった」

日和は嬉しそうな笑みを浮かべると、日向から資料を受け取り胸に抱える。

「ではこのまま仕上げをしておきますね」
「ああ、頼む」
「はい」

お辞儀をして日和が自席に戻ると、向かいの席から後輩が声をかけてきた。

「佐野さんが1発OK出すなんて珍しいですね。ひよちゃんの資料、そんなに良かったですか?」
「え?まあ、うん」
「ひよちゃん、ああ見えてなかなか出来る子ですよねー。小柄でちっちゃくて、ほっぺたとかプクッとおにぎりみたいで可愛いし、髪もおかっぱだからどう見ても学生にしか見えないのに」

日和に目を向けて小さく呟く後輩の言葉に、日向は心の中でブツブツとツッコミを入れる。

(小柄でちっちゃいって、同じだろ?ほっぺたプクッが、なんでおにぎりに繋がるんだ?今どきおかっぱって言葉使うのも聞いたことないし。そもそもみんなして、ひよちゃんってなんだ?日和ちゃんでも、ひーちゃんでもなくて、なんでひよちゃん?あだ名は2文字って法則でもあるのか?)

すると部長が「おーい、佐野くん。今いい?」と呼ぶ声がした。

「はい」

日向は立ち上がると、部長のデスクに行く。

「宇野さんなんだけどね。どう?君の補佐としてもうすぐ1ヶ月経つけど」
「どう、とは?具体的にどういった観点でお話しすればいいでしょうか」
「あー、まあ、そうだな。仕事がやりやすいとか?」

やりやすいとはどういう状況のことか?と尋ねたくなるが、日向はグッと堪えた。
自分がいささか偏屈であることは自覚しており、こういった場面では話を合わせるという処世術も大切だ。

「仕事に関しては、頼んだことはそつなくこなしてくれます」
「そう。君とはちょっと気が合わないかなーと心配してたんだけど」
「気は合わないです」
「うっ、そ、そうか。まあ、仕事に関してはそこは重要ではないけどね。じゃあ営業としてはどう?彼女、向いてるかな?」
「営業の仕事は、まだほとんど関与していないと言えます。ゼロからクライアントを獲得するには、まだ日が浅すぎます」

ごもっとも、と部長は頷く。

「将来性というか、見込みは?」
「何とも申し上げられません。判断するにも日が浅すぎます」
「うーん、そうだな。分かった、ありがとう。人事部にはそのように伝えておくよ」

人事部に?と、日向は怪訝な面持ちになった。

「実はね、宇野さんの正式な配属先を人事部も決めかねているらしいんだ」

確か椿もそう言っていた、と日向は思い出す。

「入社試験の結果からクリエイティブな才能に長けていると判断されて、パブリッシングに配属させるつもりだったらしいんだけどね。パブリッシングでの研修評価が予想以上に良くて、それを小耳に挟んだ他部署が、うちに配属させてくれと言い出したそうだ。で、デジタルソリューションで研修させたらそこでも高評価。結果、宇野さんの取り合いになって、一旦お門違いの営業部に逃したってわけ」
「なんだか……、たらい回しみたいですね。本人にとってあまり良くないのではないでしょうか」
「そうなんだよ。さすがに人事部もこれ以上はやめて、部署先を今月中に決めるらしい。それで営業部での様子を聞かれたんだ」

なるほど、とようやく日向は納得する。

「人事部も、彼女を振り回して申し訳ないという気持ちがあるから、本人の希望に沿う形で配属先を決めるらしい」
「そうですか。でしたら彼女が希望するのはうちではないですね」
「まあ、そうだろうな。クリエイティブな仕事には一番ほど遠い。恐らく来月からは他部署に正式に配属が決まると思うが、それまでは変わらず佐野くんのそばで研修させてやってほしい」
「承知しました」

日向は淡々と話を終えてデスクに戻った。