「ねえ……どうして、すずちゃんは、こんなことが、できるの……?」
満面の笑みで振り返ったあたしが見たのは、あの子の引きつった顔と、おびえた声。
「しっかり! 男ならこれぐらいできる! やってみろ!」
あたしの力強い言葉を、差し出した右手を、あの子は受け取らない。
代わりに、震える小さな声でポツリ。
「怖い、よ……ぼく、すずちゃんが、怖いよ……」
***
「鈴菜ちゃん? もう昼休みだよ?」
あたしが目を覚ますと、前の席の響子ちゃんが振り返ってあたしをのぞき込んでいた。
パッチリした大きな瞳。あたしが目指す、理想のかわいい女子である。
「あっ、ありがとう。ねえあたし、変な顔とかしてなかった?」
あたしは乱れたロングヘアを整えながら聞く。
また、あの夢を見ていた。
夢というか、昔の思い出。
あたしの考えを、本当に180度変えてしまった、あの日。
思い出したくないけど、やっぱり思い返さずにはいられないんだろう。
「別に? でも、授業中にあんなに堂々と寝てたからびっくりしちゃった。やっぱり鈴菜ちゃん、度胸あるよね」
「度胸?」
「ほら、自己紹介のときも『かわいくなりたい!』とか言ってたし」
「あたし、決めたからね。かわいい女の子になるって」
そう、あたしは少女漫画のヒロインのような女子になるのだ。
そのために、髪を伸ばし、中学受験を頑張って、この学校に入ったのである。
あたしは朝井 鈴菜。ピカピカの中学1年生。
つい2週間前に、この中高一貫校・紅陽学園中等部に入学したばかり。
すごい進学校でもない、かといって荒れてるわけでもない、そんなこの学校にはいろんな人がいるだろう。
そんな人たちからあたしは学び、理想の女の子を目指す。
それがあたしの中学デビューだ。
出だしは上々である。前後の席ですぐ仲良くなった赤江 響子ちゃんはとても美人。
おまけに中等部の3年に姉がいることもあって情報通だ。
「かわいくなりたいなら、睡眠はきっちり取ったほうが良いよ? 今日もずっと眠そうだったし」
そして響子ちゃんはおしゃべり。
あたしがあくびをしたのを見逃さず、言葉を続けてくる。
「ゆうべ、父さんが部下と一緒に家でパーティーしてたんだ。それに付き合わされちゃって」
「それって、ホームパーティーってこと? 良いなあ、平日なのに」
「良くないわよ。もう夜遅くまで……」
出たくなかったけど、付き合いで出なきゃいけなかった。
本当はすぐ自分の部屋に戻るつもりだったのに。
「だからもし5時間目も眠くなったら、響子ちゃん邪魔しないでね」
「りょーかい」
響子ちゃんはにこっと笑う。
まずは、この自然なかわいい笑顔を自分も出せるように頑張らないと。
***
5時間目は理科室での授業なので、お昼を食べ終えたあたしと響子ちゃんは廊下を歩く。
広い校舎だけど、そこは校内事情にも詳しい響子ちゃん、迷わず進んでいく。
でも、迷いがなさすぎて廊下の曲がり角を注意せずに飛び出してしまった。
「おっと」
「きゃっ!」
誰かにぶつかり、小さく声を上げて倒れそうになった響子ちゃんの背中をとっさに支える。
「大丈夫?」
「うん……鈴菜ちゃんありがとう」
あたしが曲がり角の向こうを見ると、響子ちゃんとぶつかったであろう男子が立ち上がるところだった。
ネクタイの色からして、中等部の3年。
身長はあたしや響子ちゃんと同じぐらいだから、男子中学生としては低いほうだろう。
でも無骨な顔立ちには、なんだか風格がある。それになかなか顔は良い。
「あっ、もしかして、星川先輩ですか? すいません! わたしなんかが」
と、ぶつかった相手を見た響子ちゃんがペコリと頭を下げる。
「響子ちゃん、知り合いなの?」
「いや、知り合いというか」
「どうしたすばる?」
今度は響子ちゃんの声をさえぎって、廊下の奥から声が聞こえた。
「別になんでもねえよ。ちょっと不意を突かれただけだ」
「そうか。今度からは気をつけろよ」
目の前の星川先輩とやらにそう忠告する声の主は――すごいイケメン男子だった。
イケメンというよりは、美形という表現がよりぴったりか。
スラッとした高身長に小さな顔。透き通るような白い肌に切れ長の目。
ネクタイの色はこの先輩も中等部3年だということを示しているけど、高等部でも普通に通用しそう。
「はわわ……翔先輩まで!」
響子ちゃんの顔が真っ赤になる。
思わず美形に見とれてしまったあたしとは逆に、恥ずかしすぎて目を逸らしてしまっている。
「そのリボンの色は新入生だね。うちのすばるが申し訳ない」
翔先輩、と呼ばれた美形先輩は、丁寧に頭を下げた。
そして、あたしたちの横を通って去っていく。
「すばる、今日見舞い行かないか?」
「わりい、今日は妹のお守りがあるんだ」
「そうか、じゃあオレ1人で行くよ」
そんな会話をする2人の先輩。
いつの間にか、廊下の脇には2,3年の女子先輩が複数でキャーキャー声を上げている。
「あれが『紅桜』の新しい総長と副長よ!」
「かっこいい……あんなイケメンでしかも強いなんて」
「私もうこのあとの授業集中できない」
総長?
さっきの先輩たち、そんなあだ名なの?
「あれ、鈴菜ちゃんはまだ知らなかった?」
まだ顔が赤い、というより興奮している響子ちゃん。
あたしが?を浮かべたことに気づいたのか、歩きながら説明してくれた。
「最初にわたしがぶつかっちゃったのは星川 すばる先輩。その後声をかけてきたのは日暮 翔先輩。『紅桜』の新しい副長と総長」
「『紅桜』? なにそれ、何かのチーム?」
「あっ、そこからか……『紅桜』ってのは、何ていうのかな、暴走族というか、不良集団というか」
えっ。
紅陽学園って、そんなやばい学校だったの? 聞いてないんだけど。
「でも、別に悪いことはしてないの。校内の治安を取り締まったり、うちの生徒が他の学校の不良に絡まれたりしたときは間に入ってくれて、時にはケンカしてでも悪い人たちを追い払ってくれる。そういう人たち」
ふーん。そういえば、この前読んだ少女漫画にもそんな設定があったなと思い出す。
要は用心棒のチームみたいなものかな。
「で、『紅桜』の総長と副長は、新3年生の中から、代々先輩の指名によって決まるの。今回指名されたのが、さっきの2人。特に総長の翔先輩はね、高校生の不良10人を無傷で倒したりとか、銃を持った銀行強盗を倒して病院送りにしたとか、もうとにかく強い! その上超イケメン!」
それは確かに、本当なら中学生らしからぬエピソードだ。
その後も翔先輩の武勇伝を話し続ける響子ちゃん。それを聞きながら、あたしは翔先輩の顔を思い浮かべる。
確かにものすごい美形だった。
けど、細身でやせていて肩幅も無く、そこまで強そうには思えなかったのだが。
いやいや、人は見かけによらないものだ。
あのブレザーの下には鍛え抜かれた肉体があるのかも。
それに顔、何か誰かに似ている、ような…………
満面の笑みで振り返ったあたしが見たのは、あの子の引きつった顔と、おびえた声。
「しっかり! 男ならこれぐらいできる! やってみろ!」
あたしの力強い言葉を、差し出した右手を、あの子は受け取らない。
代わりに、震える小さな声でポツリ。
「怖い、よ……ぼく、すずちゃんが、怖いよ……」
***
「鈴菜ちゃん? もう昼休みだよ?」
あたしが目を覚ますと、前の席の響子ちゃんが振り返ってあたしをのぞき込んでいた。
パッチリした大きな瞳。あたしが目指す、理想のかわいい女子である。
「あっ、ありがとう。ねえあたし、変な顔とかしてなかった?」
あたしは乱れたロングヘアを整えながら聞く。
また、あの夢を見ていた。
夢というか、昔の思い出。
あたしの考えを、本当に180度変えてしまった、あの日。
思い出したくないけど、やっぱり思い返さずにはいられないんだろう。
「別に? でも、授業中にあんなに堂々と寝てたからびっくりしちゃった。やっぱり鈴菜ちゃん、度胸あるよね」
「度胸?」
「ほら、自己紹介のときも『かわいくなりたい!』とか言ってたし」
「あたし、決めたからね。かわいい女の子になるって」
そう、あたしは少女漫画のヒロインのような女子になるのだ。
そのために、髪を伸ばし、中学受験を頑張って、この学校に入ったのである。
あたしは朝井 鈴菜。ピカピカの中学1年生。
つい2週間前に、この中高一貫校・紅陽学園中等部に入学したばかり。
すごい進学校でもない、かといって荒れてるわけでもない、そんなこの学校にはいろんな人がいるだろう。
そんな人たちからあたしは学び、理想の女の子を目指す。
それがあたしの中学デビューだ。
出だしは上々である。前後の席ですぐ仲良くなった赤江 響子ちゃんはとても美人。
おまけに中等部の3年に姉がいることもあって情報通だ。
「かわいくなりたいなら、睡眠はきっちり取ったほうが良いよ? 今日もずっと眠そうだったし」
そして響子ちゃんはおしゃべり。
あたしがあくびをしたのを見逃さず、言葉を続けてくる。
「ゆうべ、父さんが部下と一緒に家でパーティーしてたんだ。それに付き合わされちゃって」
「それって、ホームパーティーってこと? 良いなあ、平日なのに」
「良くないわよ。もう夜遅くまで……」
出たくなかったけど、付き合いで出なきゃいけなかった。
本当はすぐ自分の部屋に戻るつもりだったのに。
「だからもし5時間目も眠くなったら、響子ちゃん邪魔しないでね」
「りょーかい」
響子ちゃんはにこっと笑う。
まずは、この自然なかわいい笑顔を自分も出せるように頑張らないと。
***
5時間目は理科室での授業なので、お昼を食べ終えたあたしと響子ちゃんは廊下を歩く。
広い校舎だけど、そこは校内事情にも詳しい響子ちゃん、迷わず進んでいく。
でも、迷いがなさすぎて廊下の曲がり角を注意せずに飛び出してしまった。
「おっと」
「きゃっ!」
誰かにぶつかり、小さく声を上げて倒れそうになった響子ちゃんの背中をとっさに支える。
「大丈夫?」
「うん……鈴菜ちゃんありがとう」
あたしが曲がり角の向こうを見ると、響子ちゃんとぶつかったであろう男子が立ち上がるところだった。
ネクタイの色からして、中等部の3年。
身長はあたしや響子ちゃんと同じぐらいだから、男子中学生としては低いほうだろう。
でも無骨な顔立ちには、なんだか風格がある。それになかなか顔は良い。
「あっ、もしかして、星川先輩ですか? すいません! わたしなんかが」
と、ぶつかった相手を見た響子ちゃんがペコリと頭を下げる。
「響子ちゃん、知り合いなの?」
「いや、知り合いというか」
「どうしたすばる?」
今度は響子ちゃんの声をさえぎって、廊下の奥から声が聞こえた。
「別になんでもねえよ。ちょっと不意を突かれただけだ」
「そうか。今度からは気をつけろよ」
目の前の星川先輩とやらにそう忠告する声の主は――すごいイケメン男子だった。
イケメンというよりは、美形という表現がよりぴったりか。
スラッとした高身長に小さな顔。透き通るような白い肌に切れ長の目。
ネクタイの色はこの先輩も中等部3年だということを示しているけど、高等部でも普通に通用しそう。
「はわわ……翔先輩まで!」
響子ちゃんの顔が真っ赤になる。
思わず美形に見とれてしまったあたしとは逆に、恥ずかしすぎて目を逸らしてしまっている。
「そのリボンの色は新入生だね。うちのすばるが申し訳ない」
翔先輩、と呼ばれた美形先輩は、丁寧に頭を下げた。
そして、あたしたちの横を通って去っていく。
「すばる、今日見舞い行かないか?」
「わりい、今日は妹のお守りがあるんだ」
「そうか、じゃあオレ1人で行くよ」
そんな会話をする2人の先輩。
いつの間にか、廊下の脇には2,3年の女子先輩が複数でキャーキャー声を上げている。
「あれが『紅桜』の新しい総長と副長よ!」
「かっこいい……あんなイケメンでしかも強いなんて」
「私もうこのあとの授業集中できない」
総長?
さっきの先輩たち、そんなあだ名なの?
「あれ、鈴菜ちゃんはまだ知らなかった?」
まだ顔が赤い、というより興奮している響子ちゃん。
あたしが?を浮かべたことに気づいたのか、歩きながら説明してくれた。
「最初にわたしがぶつかっちゃったのは星川 すばる先輩。その後声をかけてきたのは日暮 翔先輩。『紅桜』の新しい副長と総長」
「『紅桜』? なにそれ、何かのチーム?」
「あっ、そこからか……『紅桜』ってのは、何ていうのかな、暴走族というか、不良集団というか」
えっ。
紅陽学園って、そんなやばい学校だったの? 聞いてないんだけど。
「でも、別に悪いことはしてないの。校内の治安を取り締まったり、うちの生徒が他の学校の不良に絡まれたりしたときは間に入ってくれて、時にはケンカしてでも悪い人たちを追い払ってくれる。そういう人たち」
ふーん。そういえば、この前読んだ少女漫画にもそんな設定があったなと思い出す。
要は用心棒のチームみたいなものかな。
「で、『紅桜』の総長と副長は、新3年生の中から、代々先輩の指名によって決まるの。今回指名されたのが、さっきの2人。特に総長の翔先輩はね、高校生の不良10人を無傷で倒したりとか、銃を持った銀行強盗を倒して病院送りにしたとか、もうとにかく強い! その上超イケメン!」
それは確かに、本当なら中学生らしからぬエピソードだ。
その後も翔先輩の武勇伝を話し続ける響子ちゃん。それを聞きながら、あたしは翔先輩の顔を思い浮かべる。
確かにものすごい美形だった。
けど、細身でやせていて肩幅も無く、そこまで強そうには思えなかったのだが。
いやいや、人は見かけによらないものだ。
あのブレザーの下には鍛え抜かれた肉体があるのかも。
それに顔、何か誰かに似ている、ような…………

