空に還る。

琴音との通話を終えたのとおんなじタイミングで
きっちゃんがお風呂から出てきた。

貸してあげた夏用の、半袖半ズボンのスウェットを着たきっちゃんは
落ち着かなそうにソワソワしている。

「サッパリしたやろ?」

「あいは便利かばい。両手で頭ば洗えるっばい」

「でしょ。よかろ」

「あげんもこもこの泡、贅沢かねぇ」

今の時代の文明に、きっちゃんはいちいち瞳を輝かせた。

私がうんざりしていた日常も、
一刻も早くドロップアウトしたいって願っていた暮らしも、
きっちゃんにとっては夢の国だった。

それでもきっちゃんは、あの苦しい時代に帰ることを望んでいる。
そこではどれだけ命が軽く扱われてしまっても。
尊厳も生きる喜びも踏みにじられてしまっても。

ただ家族に会いたい。
それだけの想いで。

「きっちゃん、お腹空いたやろ?おにぎりしかできんけどよか?」

「…食べさせてくれっと?」

「当たり前やん。特別にウィンナーもつけちゃおっかなぁ」

「ウィンナー?」

おにぎりとウィンナーだけの夜ご飯なんて
現代では質素だって文句を言っちゃう人達が多いかもしれない。

きっちゃんは一つ一つ、ここで行動を起こすたびに
気づかせてくれる。

毎日当たり前のようにあったかいお布団で眠って、
空襲警報に怯えることもない。

自分が食べたい時に食べたいものを食べて、
清潔と健康を守ってくれるお風呂でさえ、たまに煩わしく思ってしまう、贅沢な暮らし。

同級生のほとんどに、当たり前のように与えられた「普通」の家族の形を憎んでいた。

だけど私にとって、暴力も罵倒も無い。
布団に潜って怯える必要もない、なんの変哲もない夜こそが平和なのかもしれない。

それがどんなに孤独でも。

私の心が蝕まれなければ…。