空に還る。

「よう晴れとった。こん空みたいにさ。母さんとみっちゃんば無理矢理ここに押し込んだとばい。真っ青な空がサーッと真っ黒になってからね。悪魔ごた雲の出てきよって…怖かぁ…死にたくなかぁ…って思ったっさ」

「そんなの…当たり前…」

「生きたいって思ってしまったっばい。強くさ。思ってしまったと。たばこ屋の父ちゃんも、僕の兄さんも戦争に行っとる。我が命なんて忘れてさ。国の為に命ば賭けとる。押し込めた防空壕で母さんとみっちゃんが…二人だけじゃなか。大勢が震えて…本当は悲しかことも口にできんでさ。あん雲ば見て、生きたい、生きたい、死にたくないって願ってしまったっばい。やけん…僕だけがここに飛ばされてしまった。生きてしまった」

咄嗟にギュッて抱き締めたきっちゃんの肩は骨張っていて、小さい。
汗ばむ肌が、耳元で聴こえる呼吸が、
きっちゃんは生きているんだと教えてくれる。

真っ黒の空。
止まない轟音。
離れた場所でも分かる熱。
きっちゃんが見たのはきっと、きのこ雲。

原爆投下後。
街には黒い雨が降ったという。
火薬や灰を巻き込んで黒く黒く降り注ぐ酸性雨(さんせいう)
爆薬で(ただ)れた肌を溶かしていく。

どれだけ雨が降り注いでも消えない業火。

水を求めて、
油が浮いたまま飲み、死んでいく人達。

生きたい。

そんな当たり前の尊厳すらも理不尽に奪われていった人達の悲しみ、苦しみ、無念、
そして決して口にすることは許されなかった″呪い″を、
忘れてしまう世界が訪れたら、地球なんて滅びたほうがいい。

原爆投下から八十年。

きっちゃんにとっては、今日の出来事。

未だに「生きたい」と大声で叫べない願い。

きっちゃんは涙を流した。
静かに、この場所からは家族の誰にも届けられない涙を。

灼熱の太陽の下で。

まだほんの十三歳の少年は
あの地獄の日々から逃げられたのに、
一人ぼっちになってしまったことこそが地獄であるみたいに。

ただ静かに泣き続けた。