「いいなあ……。わたしも乗ってみたいな」
愛美はちょっと憧れを込めた眼差しでその光景を眺め、机に頬杖をつきながら想像してみた。――ピカピカに磨かれた高級リムジンに乗り込む自分の姿を。
高級ブランドスーツに身を包み、後部座席にゆったりもたれてお抱え運転手に「家までお願い」とか言っている――。そう、自分はお金持ちの令嬢だ。
そして高級リムジンは立派なゲートを抜け、大豪邸の敷地内へ入っていく――。
けれど。愛美の空想はそこまでで止まってしまった。
「……あれ? 大豪邸の中ってどんな感じなんだろう?」
一度も入ったことのない、大きなお屋敷の間取りがどんな風になっているのか、インテリアはどんなものなのか? 全くもって想像がつかない。
友達の家に遊びに行ったことはあるけれど、そこだってごく普通の民家。〝豪邸〟と呼べるほど立派な家ではないのだ。
「はあ…………」
なんだか虚しくなった愛美は、空想を打ち切った。ちょうど、おやつタイムが終わったおチビちゃんたちが戻ってきたからでもある。
――これが愛美の現実。高級リムジンで送迎してもらえるようなお嬢様にはなれないし、そんな人たちと自分は住む世界が違うんだ。彼女はそう思っていた。
――この日の夜、聡美園長先生から思いがけない話を聞かされるまでは……。
* * * *
「――ごちそうさまでした」
晩ごはんの時間。愛美は半分も食べないうちに、箸を置いてしまった。今日のメニューは、大好物のハンバーグだったというのに。
「あら、愛美ちゃん。もういいの?」
照美先生が、心配そうに愛美に訊いた。
「うん、なんかあんまり食欲なくて……。先に部屋に行ってます」
「そう? あとでお夜食に、おにぎりが何か持って行ってあげましょうか?」
「ううん、大丈夫です。ありがとう」
ぎこちなく笑いかけて、愛美は食堂を出た。重い足取りで階段を上がっていく。
(……結局、園長先生に進路のこと話せなかったなあ)
理事会はもう終わっているはずなのに、園長先生は晩ごはんの席にも来なかった。その前にでも、話そうと思っていたのに。
部屋に戻ると、愛美はしおりが挟まった一冊の本を手に取った。
『あしながおじさん』――。彼女が幼い頃からずっと愛読している本で、もう何度読み返したか分からない。
この本の主人公・ジュディも愛美と同じように施設で育ち、ある資産家に援助してもらって大学に進学。作家にもなった。
――もし、この本みたいなことが自分にも起こったら? 進学問題だって簡単に解決できちゃうのに……。
「……まさかね。そんなこと、あるワケないか」
愛美は一人呟く。これではあまりにも妄想が過ぎる。
それは、ジュディが物語のヒロインだから起こり得た奇跡だ。現実に起こる確率は限りなくゼロに近いと思う。
「……でも、ゼロだとも言えないよね」
希望は捨てたくない。自分の境遇を憂いて、手を差し伸べてくれる人がきっと現れる――。いつもそう思っているから、愛美はこの本を読むことをやめられないのだ。
――弟妹たちが食堂から戻ってきたことにも気づかず、愛美が読書に夢中になっていると……。
「――愛美姉ちゃーん! 園長先生が呼んでるよー!」
部屋の外から涼介の声がした。愛美はすぐ廊下に出て、彼に訊ねる。
「園長先生が? わたしに何のご用だろう?」
「さあ? オレはそこまで聞いてないけど。ただ『呼んできて』って頼まれただけだよ」
「……そっか、分かった。ちょっと行ってくるね。ありがと、リョウちゃん」
涼介はこの施設の子供の中で、愛美と一番歳が近いので、話も合うし仲がいい。だからこうして、たまに愛美の呼び出し係にされることもある。
でも、彼は「イヤだ」と言わない。彼にとって愛美姉ちゃんは、血は繋がっていなくても実の姉のような存在だから。〝姉ちゃん〟の役に立てることが嬉しくて仕方ないのだ。
――それはさておき。
(園長先生、わたしにどんな御用なんだろ……?)
一階まで階段を下りながら、愛美は首を傾げた。これといって思い当たることがないのだ。
叱られるようなことは何もしていない。……少なくとも愛美自身は。
でも、同じ六号室の幼い弟妹たちの誰かが、理事さんに失礼なことでもしていたら……? それは一番年上の愛美の責任でもある。
(ああ、どうしよう……?)
――でも。もしも、そうじゃなかったとしたら。
(もしかして、わたしの進路の話……とか?)
愛美は今日、学校で担任の先生と面談したのだ。卒業後の進路について、まだ決められないのでどうしたらいいか、と。
その連絡が、園長先生に入っていてもおかしくない。この施設の園長が、愛美の保護者にあたるのだから。
(……いやいや! まさか、そんなこと――)
愛美は首をブンブンと横に振った。
もしそうだとしたら、この展開は愛美の愛読書・『あしながおじさん』のエピソードにそっくりじゃないか!
でも、「ない」と否定しきれない自分がいて、愛美はソワソワしながら暗くなった一階の職員用玄関の前を通りかかった。
――と、そこには一人の人影が見える。
暗いので顔は見えず、見えるのはシルエットだけ。その後ろ姿から分かることは、背の高い男性だということだけだ。
(……わ、すごく背の高い人だなあ。それに……結構若い?)
どうしてそう思ったのかは、愛美にもよく分からない。けれど、何となく「この人、そんなに年齢いってないんじゃないか」と思ったのである。
愛美が彼の後ろ姿にしばらく見入っていると、外が一瞬パッと明るくなり、愛美はまぶしさに目がくらんだ。外に迎えの車が停まり、ヘッドライトで照らされたらしい。
次に彼女が目を開けた時、目にしたのは壁に映ったヒョロ長い影――。
(……えっ!? 待って! これって……同じだ!)
愛美にはピンときた。『あしながおじさん』の本の中に、同じシチュエーションが登場するのだ。
あの時、ジュディはそのコミカルな影を目にして笑い出した。愛美も笑顔になったけれど、理由は違う。
(もしかして、奇跡……起きちゃうかも!)
ジュディのような幸運が、自分にも待っていそうな気がして嬉しかったのである。
愛美はちょっと憧れを込めた眼差しでその光景を眺め、机に頬杖をつきながら想像してみた。――ピカピカに磨かれた高級リムジンに乗り込む自分の姿を。
高級ブランドスーツに身を包み、後部座席にゆったりもたれてお抱え運転手に「家までお願い」とか言っている――。そう、自分はお金持ちの令嬢だ。
そして高級リムジンは立派なゲートを抜け、大豪邸の敷地内へ入っていく――。
けれど。愛美の空想はそこまでで止まってしまった。
「……あれ? 大豪邸の中ってどんな感じなんだろう?」
一度も入ったことのない、大きなお屋敷の間取りがどんな風になっているのか、インテリアはどんなものなのか? 全くもって想像がつかない。
友達の家に遊びに行ったことはあるけれど、そこだってごく普通の民家。〝豪邸〟と呼べるほど立派な家ではないのだ。
「はあ…………」
なんだか虚しくなった愛美は、空想を打ち切った。ちょうど、おやつタイムが終わったおチビちゃんたちが戻ってきたからでもある。
――これが愛美の現実。高級リムジンで送迎してもらえるようなお嬢様にはなれないし、そんな人たちと自分は住む世界が違うんだ。彼女はそう思っていた。
――この日の夜、聡美園長先生から思いがけない話を聞かされるまでは……。
* * * *
「――ごちそうさまでした」
晩ごはんの時間。愛美は半分も食べないうちに、箸を置いてしまった。今日のメニューは、大好物のハンバーグだったというのに。
「あら、愛美ちゃん。もういいの?」
照美先生が、心配そうに愛美に訊いた。
「うん、なんかあんまり食欲なくて……。先に部屋に行ってます」
「そう? あとでお夜食に、おにぎりが何か持って行ってあげましょうか?」
「ううん、大丈夫です。ありがとう」
ぎこちなく笑いかけて、愛美は食堂を出た。重い足取りで階段を上がっていく。
(……結局、園長先生に進路のこと話せなかったなあ)
理事会はもう終わっているはずなのに、園長先生は晩ごはんの席にも来なかった。その前にでも、話そうと思っていたのに。
部屋に戻ると、愛美はしおりが挟まった一冊の本を手に取った。
『あしながおじさん』――。彼女が幼い頃からずっと愛読している本で、もう何度読み返したか分からない。
この本の主人公・ジュディも愛美と同じように施設で育ち、ある資産家に援助してもらって大学に進学。作家にもなった。
――もし、この本みたいなことが自分にも起こったら? 進学問題だって簡単に解決できちゃうのに……。
「……まさかね。そんなこと、あるワケないか」
愛美は一人呟く。これではあまりにも妄想が過ぎる。
それは、ジュディが物語のヒロインだから起こり得た奇跡だ。現実に起こる確率は限りなくゼロに近いと思う。
「……でも、ゼロだとも言えないよね」
希望は捨てたくない。自分の境遇を憂いて、手を差し伸べてくれる人がきっと現れる――。いつもそう思っているから、愛美はこの本を読むことをやめられないのだ。
――弟妹たちが食堂から戻ってきたことにも気づかず、愛美が読書に夢中になっていると……。
「――愛美姉ちゃーん! 園長先生が呼んでるよー!」
部屋の外から涼介の声がした。愛美はすぐ廊下に出て、彼に訊ねる。
「園長先生が? わたしに何のご用だろう?」
「さあ? オレはそこまで聞いてないけど。ただ『呼んできて』って頼まれただけだよ」
「……そっか、分かった。ちょっと行ってくるね。ありがと、リョウちゃん」
涼介はこの施設の子供の中で、愛美と一番歳が近いので、話も合うし仲がいい。だからこうして、たまに愛美の呼び出し係にされることもある。
でも、彼は「イヤだ」と言わない。彼にとって愛美姉ちゃんは、血は繋がっていなくても実の姉のような存在だから。〝姉ちゃん〟の役に立てることが嬉しくて仕方ないのだ。
――それはさておき。
(園長先生、わたしにどんな御用なんだろ……?)
一階まで階段を下りながら、愛美は首を傾げた。これといって思い当たることがないのだ。
叱られるようなことは何もしていない。……少なくとも愛美自身は。
でも、同じ六号室の幼い弟妹たちの誰かが、理事さんに失礼なことでもしていたら……? それは一番年上の愛美の責任でもある。
(ああ、どうしよう……?)
――でも。もしも、そうじゃなかったとしたら。
(もしかして、わたしの進路の話……とか?)
愛美は今日、学校で担任の先生と面談したのだ。卒業後の進路について、まだ決められないのでどうしたらいいか、と。
その連絡が、園長先生に入っていてもおかしくない。この施設の園長が、愛美の保護者にあたるのだから。
(……いやいや! まさか、そんなこと――)
愛美は首をブンブンと横に振った。
もしそうだとしたら、この展開は愛美の愛読書・『あしながおじさん』のエピソードにそっくりじゃないか!
でも、「ない」と否定しきれない自分がいて、愛美はソワソワしながら暗くなった一階の職員用玄関の前を通りかかった。
――と、そこには一人の人影が見える。
暗いので顔は見えず、見えるのはシルエットだけ。その後ろ姿から分かることは、背の高い男性だということだけだ。
(……わ、すごく背の高い人だなあ。それに……結構若い?)
どうしてそう思ったのかは、愛美にもよく分からない。けれど、何となく「この人、そんなに年齢いってないんじゃないか」と思ったのである。
愛美が彼の後ろ姿にしばらく見入っていると、外が一瞬パッと明るくなり、愛美はまぶしさに目がくらんだ。外に迎えの車が停まり、ヘッドライトで照らされたらしい。
次に彼女が目を開けた時、目にしたのは壁に映ったヒョロ長い影――。
(……えっ!? 待って! これって……同じだ!)
愛美にはピンときた。『あしながおじさん』の本の中に、同じシチュエーションが登場するのだ。
あの時、ジュディはそのコミカルな影を目にして笑い出した。愛美も笑顔になったけれど、理由は違う。
(もしかして、奇跡……起きちゃうかも!)
ジュディのような幸運が、自分にも待っていそうな気がして嬉しかったのである。



